長崎先生講義録
プロジェクトアドベンチャー 2002.3/3

フラフープ
 まずこんな実習から。用意するものはフラフープを1本。出席者(この時は7人)は輪になり、人差し指の上にフラフープを載せて支える(図参照)。そしてそのフラフープを床まで下ろす、というものである。この時、一人でも指が離れたら、初めの位置からやり直しである。できるだけ高い位置から始めると面白い。
 やってみると案外難しい。指を下ろすのが遅い人がいると、反対側に傾いてしまう。時にはフラフープが落ちそうになって、あっちへ行ったりこっちへ行ったりフラフラすることもある(フラフープだけに!)。人数が多ければ多いほど難しく、15人程度になるとかなり時間がかかる。30分たっても下ろせない、ということがあるそうだ。

 プロジェクトアドベンチャー、グループエンカウンターなどさまざまな活動があるが、その目指すところでは共通するものがある。
 宮城県ではこのうような活動をMAP(みやぎアドベンチャープログラム)と名付け、各学校でこれを行うようにしている。知識を頭に詰め込むのには限りがある。それよりもこういったことの方が必要なことである。 
 中高生以上の言葉の理解が進んだ生徒を対象にこういうことを行うと、ことばが寄居着るようになる。
 また小学生でも「上手くいくときには、みんな黙って集中している」「上手くいかないときほどガヤガヤしてケンカが起きたりする」といったことに気がつく。これがわかるだけでも意味があるものである。


仲間づくり
 世界中の天才を集めて研究開発をしているベル研究所というところがある。ここで、新しいものを開発できた所員とそうでない所員のIQ(知能指数)を比較してみたことがある。その結果、意外なことが判明した。開発に成功した所員は決してIQが高くなかったのだ。どちらかと言えば所員の中では下位に属していた、という。ただし、彼らはこんなところが違っていた。それは友人関係をつくるのが上手だった、ということである。お互いに「やあ」と声を掛け合い、良好な人間関係を作ることが成功につながる、ということである。

 しかし、ただ何もせずに人間関係ができるわけでもない。新学期に、新しいメンバーで自己紹介をして、「みんな仲良くなりましょうね」といくら言ってもムリがある。そこにはきっかけが必要であり、さらに言えばネタが必要である。
 例えば、初対面のグループではこんなことをしてもよい。グループで輪になり、知っている相手の名前を呼びながらその相手にハンカチを結んだもの(でも何でもよい)を投げ渡す。最初はあらかじめ知っている人の名前しかわからないが、だんだんお互いに名前を覚えていくようになる。途中で席をシャッフルするとさらに面白くなる。
 お互いに全く知らない状態なら、まず自分の名前を「○○です」と言いながら誰か(誰でもいい)ハンカチを投げる、というステップを踏んでもいいかもしれない。

 グループ開きなどでは「他己紹介」(隣の人などと自己紹介しあい、今度は相手のことを「○○さんは〜な人です」などとみんなに紹介する)をすることもあるが、いきなり自分のことを解釈されて話されることになり、不快を感じる人もいる。
 それよりも、全員が色鉛筆を持ち、適当にじゃんけんをする。負けた方は、相手のカード(の例えば花びらの絵)に色を塗ってあげる。全てに色を塗ってもらった人から順に座り、その順序でグループ分けをする、などの方が抵抗なく始められることが多い。
 こういった活動には配列・順序というものがある。

概ね、
1)アイスブレーキング、ウォームアップ(緊張をほぐす)
2)ディインヒビタイザー(inhibit抑制,抑圧 気持ちの上で抑制を取り除くこと)
3)コミュニケーション
4)意志決定
5)トラスト(信頼関係を築く)
の順序で進んでいく。初期の段階で複雑なことを試みても上手くいかないことが多い。


忘れるということ
エピングハウスは記憶に関する実験を行い、忘却曲線をあらわした。

 任意のアルファベット3文字を、子音、母音、子音の順に並べて作られた意味のない音節(無意味な綴り)で、(たとえば zat, bok, sid など)このような音節の約2300組の中からランダムに抽出して完全に記憶した後、20分、1時間、9時間、1日、2日、6日、31日後ので覚えた音節の再生(思い出し)を求めたところ、反比例のグラフのように、1時間後、9時間後で極端に再生率が下がり、その後6日目、31日目では再生率はあまり変わりませんでした。
 つまり、記憶直後の短い間に急激な忘却がおこり、その後の忘却の過程は徐々に進行することがわかりました。このような曲線を通例「忘却曲線」と呼びます。

 ここから「忘れない方法」というのが考えられる。それはまず第一に、1)人に話す、第二に、2)2〜3日のうちにノートをもう一度見直す、ことである。いずれにせよ、もう一度思い出すことによって覚え直す、ということである。先生が「家で復習しなさい」というのはそういう意味がある。またわざわざ復習しなくても、家庭で団らんの時間をとり、子供が学校であったことを話す、そんな時間を過ごすだけでも効果がある。家庭での団らんにはそういう効果もある。

 人は一度聞くと「わかった」気がする。だがそれは決して「理解した」ことではない。「わかる」とは一時的なもので、いずれ消えていくものである。一方「理解」とはいつでもできることである。また人の頭には決まった容量がある。それを超えて注入しても溢れるだけである。溢れるほど注いでおいて、大事なところが流れていってしまってから、大人は「ちゃんと言ったでしょ!」と怒る。従って、逆説でも何でもなく、できるだけ情報は与えない、ということが大切である。
 叱るときも同様である。つい「前も〜だったでしょ!」などと以前のことや関係ないことまで話が及んでしまうことがある。八十川先生はそんなとき「以上、終わり!」と号令をかけて話を切ってしまうという。それは相手に対してではなく、関係ない話までしてしまいそうな自分に対してである。ポイントを絞らなければ論点がぼけてしまうし、さらに必要なことまで頭から抜けてしまうのだ。ちなみに河合隼雄は「説教とは自分の精神衛生のためのものである」と言っているそうだ。

 優秀な料理人は、まず皿を見て、皿に合う料理を考えて作る。「スープを作ろう」と先に料理を決め、後から皿を見たら、平らな皿でスープが入らない、そんなことをしていないだろうか。それでは皿が活きない。先に皿(=子供)をよく見る、それからそれに合う料理を決める。子育てや教育にもそういう発想が必要だ。



後半

 分数の計算、はいくつになるだろうか。当然、



となる。

 だが授業中、ある小学生がこれを誤って

としてしまった。よくわからなかったので、1を無視して、さらに前後も無視して引けるものから引いてしまったのだ。「何言ってるの?」と冷めた目で周囲が見る中、ある子供が上手にそれをフォローした。

「これは計算の途中なんだよ。っていうのは大事な数字なんだよ。

ほら、あと残りの1からを引けばで正解になるでしょ」と。

 先生はそのことが強く印象に残っていたので、三十年後の同窓会の際、フォローした生徒に聞いてみると、全く覚えていなかった。しかし間違えた当の生徒は、昨日のようにはっきりと覚えている、ということだった。
 確かに習熟度別にわけ、それぞれに応じた指導をした方が、教師側は教えやすい。だがそこで、「能力に応じて振り分けられる」ということ小学校のうちから学ばせてしまう。

 河合隼雄は「人の心はわかるはずもない、だがわかろうとしなければわかるはずもない」
と言う。

 来年度については、ロールプレイ、実習を行い、その理論的背景について講義を行う、そんな形になります。4月は14日です。
 (文責:菊田)
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