長崎先生講義録
ケーススタディ(4) 2001.9/2
マスコミ
 新宿雑居ビルの火災の話から。
 火事の際、上の方の階が危険なのは明らかである。だが、人は高い階を好む。それは、高いところが非日常の世界であり、現実から離れた気がするからである。異性を誘うなら高い階の、夜景が見えるバーがいい、などと言われるのはそういうわけである。
 最近、親子関係、家庭の問題がいろいろ騒がれるが、マスコミが言っていることは「ウソ」である。マスコミでは「普通ではないこと」を取り扱う。普通ではないことだからこそニュースになりうるのである。
 今年の1月にあった成人式の騒ぎなどはその典型的な例である。新成人がクラッカーを鳴らした、といって大騒ぎになった。だがそのような成人式は特異な例である。別に日本全国の成人式でクラッカーが鳴らされたわけではない。
 虐待なども同様である。これだけ騒がれると、自分が子どもに手をあげた時に、「これって虐待じゃないかしら」などと思い、「びびって」しまう。そうなると本来の自分の行動が縮こまってしまい、自分らしく生きられなくなってしまうのだ。


大学で
 今、大学の先生が一番困っていることは何か。それは「学生の幼児化」だそうである。例えば就職でも、かつてなら求人を掲示しておけば、学生の方が選んで申し出て来たものである。だが今は大学側から「これなんかどうだ?」と持っていってやらないと選べないという。家庭訪問をしたり、親に成績表を送る大学もあるという。


世代の問題
 このところ「学級崩壊」と騒がれているが、実はそれほど驚くことはない。すでにその前兆はあった。というのは、7年ほど前から、入学式の時に保護者が静かに話を聞けない、というのである。その親たちというのはかつて学校内が荒れた「校内暴力」の世代でなのである。学校側はそれを「管理教育」で乗り切った。
 だから親たちは学校に対していい感情を持っていない世代でなのである。このように2・3世代前から考えると特に驚くほどのことではない、と言える。


不安とは
 どんな時に人は不安になるか。いろいろな状況を考えることができるが、「予測通りにいかない時」に人は不安になるものである。それは要するに「理想と現実が合致しない時」と言ってもよい。だから不安にならないためには「無理な目標を持たない」というのも大切である。
 これまで日本は終身雇用の社会であった。従って、何歳の時には給料がいくらで。と将来について予測ができ、見通しが立てられた。つまり安心していられた。だが反対に今は「リストラ」「能力給」などと変化し先が見えてこない。こうなると「不安」が生じる。となるとこれまであった「安心」は作られたものだった、といえる。システムに支えられて成立していた安心だったのだ。逆に、システムがひっくり返ればすぐさま「不安」に変化する。
 現在はそういった基盤がぐらついている時期である。今後は間違いなく「能力に対して給料が支払われる」そういう世の中になるだろう。資格などのキャリアを伸ばしていかないと絶対に生き残れなくなる。
 おそらく10年程度で、学校でも常勤の教員は半数になり、半数はパートになるだろう。


(以下資料を見ながら)
子どもの自殺
 日本の自殺数は世界的に見れば必ずしも多くない。それは終身雇用制度がまだ続いているからである。能力給の国ではどうしてもドロップアウトする人が生じ、自殺が多くなる。


不登校〜人間関係の希薄化
 不登校率は失業率とリンクしてくるのではないか。失業によって家庭の状況が悪くなれば子どもは変化する。
 昭和39年に不登校についての最初の論文が出る。当時はまだ不登校という言葉はなく「学校恐怖症school phobia」と呼ばれた。その後、「登校拒否school refusal」と変わり、平成に入り「不登校」と呼ばれるようになった。
 特に最近は、欠損家庭における怠惰型の不登校が増加している。そして全てに共通するのは「人間関係性の希薄と不得手」という点である。
 かつて、学校に来ない大学生に連絡を取ると、バイトや遊びなどでたいてい不在だった。だが最近は、そういった学生に電話をかけると家にいて電話に出るのだという。
 こういう学生に対し大学の先生などは、イヤミを込めて「よく面倒見てもらったんだなー」と言う。よく面倒を見てもらったからといって、必ずよくなるとは限らない。かえってその人の出番をなくしていることもある。また核家族化も人間関係の希薄化を促しているといえる。
 モノで満たされると、モノのありがたみがなくなるものである。阪神大震災の2ヶ月後、子ども達に「今一番したいことは?」と聞くと、7〜8割の子が「学校で勉強したい」と答えたという。
 また同時に、大人が復興に向けて、一生懸命になって働いている姿を目の当たりにもする。これはものすごく大きなことである。
 つまり、こうしてみてみると「人間関係の希薄化」は社会の発展の裏返しだと言える。便利な社会になると、便利さの陰で対人関係を学ぶ機会を失っているのではないか。
 我々は不便さをなくすために新しい仕事をつくり出して来た。確かに便利になったのは事実であるが、それまで自分がやってきたことを他人にやらせることで、やはり学ぶ機会はなくなってきている。
 結局「人間関係の希薄化」を生み出したのは社会のシステムであり、我々大人である。従って、子どもに対して「なんだ、こんなこともわからないのか」という言葉を安易に発するべきではない。子ども達の学ぶ機会を失わせたは我々であり、ジェネレーションギャップはあっても仕方がないのだから。今度はそれを埋める努力が必要になってくるのだ。


後半
失敗について
 放課後の実験クラブでスライムづくりをした。いつもならきちんと指示通り間違えないようにやる生徒が。「大量に作りたい」と言った。こういった時どうするか。時には「隙にやる」ことも大切である。「やりたい」というモチベーションが高まったときにそれを大事にしてやる。そして失敗してもよい。失敗するからこそ、そこから学ぶことができる。学校の理科の実験では「失敗しないように」と事細かに指示をし、実験を成功させるが、そんな実験は何の記憶にも残らない。
 失敗したら、失敗したことを責めないこと。またどうしたらよいのか言わないこと。つい言いたくなるが言わない。こちらも「困ったねー」と言っていればよい。そうすれば否が応でも自分で考える。考えざるを得なくなる。
 「失敗しないようにする」というのは、実はこちらが面倒くさいからである。失敗すればそのアフターケアが必要になるし、それは大変なことである。だが本当はそこから学べるはず。


つい言ってしまうけど
 カウンセリングで大事なことは意図を隠すことである。それは「言いたいけど言わない」ということである。相談を受けて「きっとこうなんだから、こうしなよ」的なアドバイスをする人がいる。もちろんそれがうまくいくこともあるが、よけい悪化させることもある。カウンセラーは少なくとも悪化はさせない。人はつい「こうじゃないか」と言ってしまう。言ってしまったとき「相手に我慢できなくて、つい」などと言うが、実は我慢できなかったのは自分である。そこには我慢できずに言ってしまった自分があるのだ。教育はどんな場でも行われる。そこをトレーニングすることが必要である。

 (文責:菊田)
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