長崎先生講義録
ロールプレイ 2002.10/6

ロールプレイは初心者同士の方がよい
 あるカウンセリングの研修で、ロールプレイを行った。そこで長崎先生はカウンセラー役をになったのだが、その時のクライエント役が、ほとんど全くしゃべらなかったという。 ロールプレイを行うとき、実はクライエント役は答えを知っているものである。クライエント役に当たると、相談内容として問題のある誰かを思い浮かべ、それを脚色して演じようとする。その時「こうしたらいいのに」という解決法を既に持っていることが多い。だから、ロールプレイの中でカウンセラー役が受容して聞くと、クライエント役はあらかじめ持っていた解決法を再確認して「分かった」となる。

 従って、ロールプレイは初心者同士の方がうまくいくことが多い。上級者になるほど「わざと黙ってみよう」といったことをするからである。



大切なこと
 夏目漱石が座右の銘としていたのは「諦観」、松下幸之助の座右の銘は「素心(すごごろ)」だという。問題を内に込め、悩むのが最も収拾のつかない状態である。あきらめ、素心になることが重要である。

 ある生徒の母親に教育学の博士号を持つ母親がいた。その親は授業参観の際には指導案を見せろと迫り、その指導案に赤ペンを入れ、授業後には批評までするという。

 一方、同じクラスの生徒に高校を中退した母親がいた。ある日、子どもが上履きを忘れたことに気づき、その母親は上履きを学校まで持って来た。だが、親が持ってくることが子どもにとって本当に良いことなのかどうか迷い、下駄箱のところで悩んでいた。

 この2人の母親を比較すると、博士号を持つことがいかに意味のないことかがわかる。博士号を持つ母親は担任のあら探しをしているに過ぎないのに対し、高校中退の母親は、あくまでどうすることが子どもの成長なのか、つまり人間の関係性を第一に考えている。最も大切なのはその人の尊厳を脅かさないことであり、尊厳をもって接することである。我々はつい、知識を獲得し、博士号を取ることが重要だと思ってしまうのだが、それは結局「自分がよくなりたい」ことである。それよりも「どの人も幸せになる」といったことの方が大事なはずである。そこが抜け落ちると、手段と目的が入れ替わってしまうことになる。

 本来小学校あたりで大切なことは、思いっきり遊ぶことのはずである。それを大人の都合で塾などに行かせておいて、「子どもがおかしくなった」などと言うのは本末転倒である。



ロールプレイ
 ロールプレイroll playは役割遊び、役割演技といった意味である。
 まず二人組になり、A,Bを決める。ただ「A,Bを決めなさい」というと、それぞれが様々な決め方で決める。リーダーシップをとる人がいれば早く決まる。教員の集団だと早く決まることが多いという。一方「どうしましょう」「どうしましょう」とお互いに言い合っている組ではなかなか決まらない。5分たっても決まらないこともあるという。

 このロールプレイでは、カウンセラー役は肯定的に聞くことに徹する。基本的には質問はしない。時間は5分。カウンセラー、クライエントの距離の取り方について、標準では斜め45度、膝と膝がこぶし一つくらい空く程度、などというが、これは人によって異なる。これは相手に聞けばよいことである。

振り返りから。
 クライエント役が「ただ話を聴くだけではなくて、アドバイスが欲しい」と感じることがある。これは自分の中で答えが見つかっているからである可能性がある。

 また、ただ「『うんうん』と聞くのは初期の段階ではないか」という意見もあった。これについては、國分康孝先生の「コーヒーカップ方式」というのがある。



 さらに処置の仕方としてはその強さによって「対決」〜「支持」といった方法がある。対決は「お前、どうするつもりなんだよ」といった形で学校でよく行われる。カウンセラーやセラピストは「支持」を使うことが多い。



後半
 嵐寛寿郎は「演じようと思ってやるわけではなく、日常生活全てが練習である」と言ったという。

 ロールプレイをすると、「カウンセラーも大変だな」などと様々なことに気が付く。例えば学校の先生の役をすると「先生にしてみると、こんなこと言われたら嫌だろうな」と思ったりする。
カウンセリング中の問題として、「沈黙」がある。相手に黙られるとどうして良いか分からず困ってしまうことが多い。特にカウンセラー役は、相手にどんどんしゃべってもらって、スムーズにカウンセリングをすすめなければ、と思ってしまうので沈黙が怖くなる。だが通常相手は「考えているから黙っている」ことが多い。「クライエントに考える時間を与えなさい」というのがこの問題に対する答えである。

 カウンセリングに限らず、相手は百人百様である。トラブルが起きないように、と考えるより、トラブルをどう切り抜けるかが大切なことである。
 ある施設では「知は一隅を照らす、徳は人を照らす」と掲げてあるという。カウンセリングで重視されるのは人間性の部分である。大切なのは生き方であり、人格の部分であると言ってよい。國分先生は「神経質な大学教授より、陽気な煙突掃除人」と言った。
 (文責:菊田)
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