長崎先生講義録
コミュニケーションの実践 1999.8/12
 30分くらい話をして講義はお休み。近くの居酒屋で暑気払い。いろいろな話に花が咲きました。時にはこんな事もいいですね。


行動主義 1999.9/1
 夏休み中、ヨセミテに研修に行ったお話から。環境教育に関わる人が食事を大量に残す事に疑問を感じたとのこと。

 講義は「行動主義」について。科学の条件として「はかれる(再現可能性と客観的)」ことがあげられるが、心理学は思考力・情動・行動を定量化することで科学に分類される。哲学は科学ではない。 行動主義では「人間は反応の束である」といい、人間の行動は「S(刺激)→R(反応)」で成り立っていると考える。良い行動を強化し悪い行動を抑制することで人間の行動を変化させるようにする。学校教育の基本的な考え方はこれである。
 その他系統的脱感作の話など。


ブリーフカウンセリング 1999.10/6
 講義は「ブリーフカウンセリング」について。ブリーフは男性の下着だが、トランクスと違って短い。簡単な、の意。2ヶ月、6回前後で解決を目指す。

 援助モデルには「感染症モデル」「生活習慣病(成人病)モデル」がある。「感染症モデル」は「ウイルスが個体に入ったから熱などの症状がでる」と単純でわかりやすいが、原因探しに陥る可能性がある。実際の問題は「生活習慣病モデル」に近く、要因は複雑である。心の問題も同様。人間にはいろいろある。原因が判ったからといって必ずしも解決できるとは限らない(ex.父親が悪いからといっても追い出すわけにはいかない)。現状を受け入れるしかない、というのがが現実。

 また事実と問題を混同しないこと。赤ん坊の泣き声を「うるさい(問題)」と捉えるか「お腹空いたのね」と捉えるかはその人の内面の問題。問題は人間が作るもの。

 「スイッチは誰が押しても作動するが、心の窓は誰がやるかによって開く、開かないがある」

 後半の実習は「関わり技法」。

 まず、各チーム(この時は2チーム)一列に並んで手をつなぐ。

「神経(列の途中)」の人は目を閉じる。リーダーが500円玉を投げ、500と書いてある面(裏?)が出たら、各「目(列の先頭)」の人は手をぎゅっと握って伝え、以降の人も次々に伝える。「手(最後尾)」の人は情報が伝わり次第ペンを取る。各チームの競争である。次第に笑いがでるようになる。初めて会う人同士のグループなどでやると有効だと思われる。また、手を握る回数で取るものを変えるというのも良いかもしれない。

 もう一つの実習は、2人組で「自分の嫌な人・苦手な人のイメージ」を伝えあう(3分間)。その後「○○さんは〜〜な人が苦手だそうです」といった形で他己紹介する。

「高飛車・決めつける・利益で動く・せっかち・はっきりしない・反応がない・早とちり・自分勝手・態度がころころ変わる・気の短い」等が出る。

要するに、人間関係の中でやってはいけないこと。それはカウンセリングの中でやってはいけないこと。優位に立つ人ほど気をつけなければいけないことである。


 
一般意味論 1999.11/10
 まず養護学校のIEP(IndividualEducationProgram個人教育プログラム)の話から(月刊雑誌「発達の遅れと教育」日本文化科学社)。児童の実態の欄には「基本的な生活習慣は身に付きつつあるものの…」とある。これは極めて抽象的な表現。「ご飯を2杯食べる」は具体的表現だが、「ご飯を普通に食べる」は曖昧である。抽象的表現は「なんとなく」の「イメージ言語」であり、相手と共通理解を進められない。「一番搾り」「至高」「究極」も同様。このような表現は出来るだけしない方がよい。「ムカつく」と言われたら「何に?」と切り返す。ロジャース風に「そう、ムカつくんだね」と言っても問題の解決はできない。具体的になればリファー(refer依頼)できる。言葉は大事に使うべき。

 夏目漱石は「則天去私(私を去って天に則る transcend one's self and become one with the universe)」という言葉を好んで用いた。また良寛の書を、横山大観の無垢な童子の顔を愛した。それは松下幸之助の人生訓「素心」と相通じる。技術・知識のある人は立派に見える。だが日々の生活の中で楽しさを感じられる心持ちこそ大事である。

 後半の実技は前回の続き。「不思議に相性のいい人」を各自書き出す。「不機嫌な顔を見せない・ものを大切にする・趣味が同じ・言わなくてもわかってくれる・悪口を言わない・笑顔・気持ちが通じる・人当たりがよい・楽しい・言いたいことを言える」などが出る。

前回の否定イメージと逆のものが出る。この肯定イメージが重なりあう部分は誰もが大事にすることである。その中で自分の肯定イメージがあまり重ならなければ、自分が少しずれていると考えてよい。

 あくまでもイメージを作り出すのは自分である。すぐ「ヘンだ」と決めつける人はワクが狭い。  


 
特性因子理論 2000.12/1
 まず流行語大賞の話から。「癒し」が入賞した。誰にでも承認欲求がある。評価されたい。だから人は頑張る。だが仕事でも家庭でも頑張ってばかりでは疲れる。そこで評価されないで得られる喜びが必要になってくる。それが「癒し」。これが変質すると「カリスマ」「カルト」になる。長崎先生は今話題のライフスペースの自己啓発セミナーに出たことがあるそうである。アドバンスコースは25万円。80年代から流行りはじめた自己啓発セミナーであるが、最近あまり流行らなくなり、宗教化していった、と分析できる。
 「特性・因子理論」とは心理テストを用いたカウンセリングの基礎理論のことである。その由来は、例えば知能テスト。IQは知能指数Intelligence Quotientであって、質qualityではないことに注意。これは精神発達遅滞の子供を区別するために生まれた。上位、下位は(良くも悪くも)特異な人であり、それに適切な処遇を与えるためのもの。一方でこれはエリート教育も生み出した。またコッホのバウムテストも同様。「実のなる木をかいてください」とA4程度の白紙を渡す。その絵でその人の心理状態を把握する。例えば根は基本的信頼感を表し、実は獲得したもの、葉は元気を表す。不登校児は隅のほうに小さく描くという。だが心理テストには様々な問題がつきまとう。あくまでも上手に利用することが大切である。体重計でその人の全てがわかるわけではない。身長などと組み合わせた上ではじめていろいろなことがわかる。あくまで傾向がわかるだけである。
 実習はグループカウンセリング。事例を出し、みんなでアドバイスをしあう、というもの。1対1の個別カウンセリングだと当事者の関係性が重視される。客観的な第三者の方が言い易いときもある。 様々な人が様々な立場でアドバイスできる点、また様々な意見が聞ける点で言う方も勉強になる。


ゲシュタルト療法 2000.1/12
 まず教育の問題から。ドイツなど先進国の学校は能力別である。社会が能力主義であれば、その社会に対応できる人間を育成するよう学校のシステムが作られる。例えば「お前は手先が器用だから職人になった方がいいんじゃないか」と進路とカリキュラムが一致するようになる。

 一方日本の学校では年功序列の社会システムを支えるよう、同じ内容を同じように教える。できる子はできない子の進度を待ち、進学も成績で振り分けるだけ。「お前はよくできるから医学部がいいんじゃないか」と。それは同時に「俺は勉強できねーからダメだよ」という子を産む。もっと一人一人に合わせた個別の関わりが必要である。例えば、文部省だけではなく、通産省が運営する学校、農水省が作る学校もあってもいい。

 どんな集団も、特にできる者、リーダーになれる者はわずか2割、あとの8割は普通である。おもしろいことに、できない下位8割の集団だけを別の場所に持っていくと、その8割の中で、また2割のリーダーが生まれるという。同様に、上位2割だけの集団を作ると、8割はサボりはじめる。どんな集団でもそれは変わらない。これを「2-8の論理」という。ということはたくさんの「場」を作ってやればそれぞれの場で「2割」のものが生まれそれぞれの能力を引き出すことができる。能力別とはこういうことではないか。

 さて、コップに半分入った水を見て「もう半分しかない」と感じるか「まだ半分ある」と考えるか。事実は一つでもものの見方は多種多様。問題は「現象をどうとらえるか」である。人間の欲求は限りがない。不平不満の目でばかり見ていると次第にに全てが嫌になり、生きづらくなる。これがゲシュタルトの考え方である。

 ゲシュタルト心理学の考え方の基本になるのが「ルヴィンの壺」である。壺のように見えたり、二人の顔のようにも見える。

 ルヴィンの壺にしても通常は「どちらにも見える」のであるが、片一方しか見えない人もいる。こうしか見えない、こうあるべきだ、と考える人はどこかで問題が生じる。このような「壺」「顔」の関係を「図と地」という。どちらが「地(背景)」でどちらが「図(見える絵)」なのか。

 マイナスの考え方はマイナスの考えを呼ぶ。問題はその意味づけ。

 教育では「こうでなければならない」を強制することが多い。しかし、多様な者の見方を獲得しポジティブなところに目を向けると、明るく生きられるようになる。

 パールズFrederick.S.Perls(米)はカウンセリング場面で、クライエントに対して共感よりも積極的に関わっていくべきだと説いた。 

後半は、体罰とスキンシップ、教員のしごと、「ねばならない」の卒業などの話。少ない参加者でしたが、かえってアットホームな感じで話が弾みました。
日本における自立訓練 2000.2/2
 最近、児童虐待のニュースをよく聞く。そこには、日本と欧米の社会のコンセンサスの違いがあるのではないか。欧米社会ではキャリア女性は子供が産まれて4ヶ月で仕事に復帰するという。同時にそれは社会一般のコンセンサスが得られ、また当然保育のための施設もきちんと準備されることになる。一方日本では3年は子供のそばにいたいと考える親が多いそうである。となれば「本当は仕事がしたいのに、この子のせいで思うようにならない」という思いが生まれ、虐待につながるのではないか、という。虐待については「永遠の仔」が最近ベストセラーになった。(下記参照)

 日本には古来から「ハレ」と「ケ」という思想がある。お祭り騒ぎをしてストレスを発散することも大切である。

 カウンセリングには、セルフカウンセリング、1対1のカウンセリング(ロジャース)、集団カウンセリング(エンカウンター)などがあるが、行動療法の一種である自律訓練法とは、自己暗示術(催眠)、セルフカウンセリングの一種である。これはもともと心療内科医から始まったという。

 公式0の「気分が落ち着いています」から始まり、重感、温感、冷感を出していくよう自分をコントロールする。 人間には交感神経と副交感神経がある。交感神経が優位なとき、人間はアドレナリンを分泌し言ってみれば戦闘状態になる。一方副交感神経が優位になると、体が寝ている状態に近くなり、安心・安定する。このように副交感神経優位な状態に自分を持っていくことによって自己を制御するメンタルトレーニングが自律訓練法である。

 一つ重要なことは「覚醒」。起きるときに「うーん」と伸びをして体を目覚めさせるように覚醒運動をすることが必要。

 渡邉淳一は自分が成功した秘密として、@「なるほどなあ」とあらゆることを素直に受け入れ、学ぶことができた。Aおだてに上手に乗れた。の二つを挙げている。

 遠藤周作は「全ては<おもくるしい>」と言った。<おもくるしい>は、「重苦しい」ではなく、<おもしろい>+<苦しい>である。楽しいことも、辛いことも両方あって人生である。甘いものばかり食べていれば、甘いのが当たり前になって本当の甘さを感じることができなくなってしまう。含蓄のある言葉である。


佐々木雄二
<略歴>
1936年 広島県生まれ 1961年 九州大学医学部卒業。九州大学医学部心療内科助手、駒澤大学文学部助教授、筑波大学教授を経て現在 駒澤大学文学部教授、筑波大学名誉教授。医学博士。
<専門>  
心身医学、臨床心理学、自律訓練法  
<学会役職>
日本自律訓練学会理事長 日本健康心理学会常任理事 日本心療内科学会理事 国際自律訓練委員会座長 世界心理療法学会副会長 日本心理医療諸学会連合理事など。
<著訳書>
『子どもの精神衛生』(共編、教育出版)
『図で読む心理学 生徒指導・教育相談』(編、福村出版)
『催眠分析』(ウォルバーク著、共訳、新興医学出版社)
『催眠法 心とからだの「治る力」を引き出す本』(マーリーン・E・ハンター著、訳、講談社)
『自律訓練法の実際』(創元社)
『自律訓練法の臨床』(岩崎学術出版社)
『自律訓練法U』(ルーテ著、誠信書房)
『自律訓練法』(編著、日本文化科学社)

★長崎先生のおすすめの本★
『自律訓練法入門』(ごま書房)
『自律訓練法の指導実際』(クラインゾルゲ、クルンビーズ共訳著、岩崎学術出版社)
 


 
エンカウンターグループ 2000.3/1
 「泥棒の教育」という話がある。泥棒が自分の子供を連れて盗みに行き、泥棒稼業を教えるのである。親子共々家に忍び込んで何か手に入れた後、親は「泥棒だ!」と叫び、自分だけ逃げる。子供は仕方なくねずみの鳴き真似をしてかろうじて切り抜ける。「ひどいじゃないか」と子供は庭で親をなじるが、そこでも親は「さっきの泥棒が庭にいるぞ!」と叫んで自分だけ逃げる。またしても子供は懸命に逃げ、井戸に身を投げた振りをして逃げおおせる。
 体験学習などといわれるが、切羽詰まったところまで追い込まないと意味がない。ギリギリまで待つ、やらせる、任せる。台本どおりにやらせて成功しても本当ではない。本当の体験が大事である。体験は言葉にできない。職人は無口である。
 心理学に裏打ちされた体験活動として、エンカウンターグループがある。始めたのはカウンセリングの大家C.ロジャース。牧師の息子に生まれたロジャースは「良い子」を演じてきた。「良い子」は「誰にとって?」が問題である。必然的にそれは「(誰かがはめた)枠」と化す。ロジャースは「本当の自分を出したい」という思いの中から「非指示的nondirective」なカウンセリングを創始した。しかしロジャースは晩年「非指示にこだわりすぎたのではないか」と直接人間と関わっていくようになる。こうしてロジャースのグループカウンセリングが生まれる。これがグループエンカウンターである。
 グループエンカウンターには、非構成的グループエンカウンター(NSGE nonstructured group encounter)、構成的グループエンカウンター(SGE structured group encounter)がある。要するに、グループ作り、仲間作りのように、体験的に人間関係を作るのである。
 行ったエクササイズは「先生ばかりが住むマンション」。「南野先生は、松田先生の2つ右に住んでいる」「田原先生は近藤先生の部屋から一番離れた部屋に住んでいる」といった14枚のカードを各自が数枚ずつ持ち、誰がどこに住んでいるのか見つけだすもの。
 自分のカードは決して他に見せてはいけない。各自がもっている情報を的確に提供することが必要になる。初めてあった人同士で「さあ心を開いて話してください」といっても無理。このようなきっかけ(場)を提供することで活動が生まれそこからお互いを理解するようになる。今回は10分程度で終了。早いと8分半くらいでできるそうである。
 ただのゲームで終わらせないためには、シェアリングと自己評価が大切。メンバー用の振り返り用紙で「〜に〜してほしい」といったことを書く。これだと互いを非難する攻撃的な振り返りになる。そこでグループ用振り返りでは「〜が〜してくれた」と肯定的な振り返りをする。こうすることで個人の特性を分かり合うことができる。
 他のエクササイズには「大きな三角形の紙を小さく切って並べさせる」「文章を切って並べさせる」などがある。また野外では「1m位の壁を全員が乗り越える」「川を全員が渡る」といったものも考えられる。いずれも時間を競うのではなく、問題解決のために協力しあい人間関係を作ることが目的である。またブラインドウオークなどもあるが、初対面どうしでは身体接触があるものは抵抗感があるため、先の「先生ばかりが住むマンション」のようなものが適当と考えられる。
 柴門ふみは「人が『やめろ』といってやめたことは、その人の個性ではない」と言った。人に言われてやめるようでは、その程度のことでしかない。枠にはまらないこと、枠にはまらないものが個性であり、大事にすべき個性である。
 なお、「先生ばかりが住むマンション」の教材セットが欲しい方は申し出てください。                         
 (文責:菊田)