八十川先生講義録
精神分析(5) 2001.2/21
八十川先生講義録2/21 精神分析

III 構造論〜構造的見地〜人間の心はどのようにできているか


・人間の心は3つの部分からなる。

  ・エスes(イドid) … 本能
  ・エゴego … 自我、自分の意志
  ・スーパーエゴsuperego … 超自我、良心

 ・性格とはこの3つの相互関係のことである。
 ・3つのバランスが取れていることが望ましい。バランスが崩れると、問題行動となる。




1 エスes(ラテン語)または、イドid(独語(=英語のit))〜交流分析のC
・エスとは「本能」のことである。快楽原則に従う欲望といってもよい。「無意識」である、という言い方もする。
・人間は基本的に本能の固まりである。特に幼児期はそうである。赤ちゃんはお腹が空けば泣き、おむつが濡れれば泣く、それをとがめたりはしない。つまり100%快楽原則に従う。だが徐々に授乳の時間が決まり、トイレットトレーニングをしていく中で我慢を身につけていく。そういう意味では、エスの部分が大きくなると、幼児的、幼児性が高いといえる。エスの肥大は幼児性である。

・エスは人間に本来的にあるものである。従ってエゴego(=自我)、超自我をどう育てるかが問題になる。


2 エゴego 〜交流分析のA
・エゴとは通常「自我」と呼ぶ。快楽原則に従う本能を「抑える力」である。そういう意味では「意思」と呼んでもよい。「意思が強い(がまんしてやり通せる)」というときの「意思」である。そのためには判断が大切になる。外界を観察し、状況に応じて判断する必要がある。
・意思(=我慢)の身につけ方
 ・価値ある我慢をさせること。我慢をすればストレスがたまる。それは事実である。だからこそ何かにつながる我慢をする。
 ・我慢はつらい。だから周囲がそれを理解すること。我慢に失敗しても、我慢に挑戦したことをホメる。
 ・ただしホメすぎると、ホメられるために我慢をするようになる。そうすると我慢のしすぎになる。 → 「優等生の息切れ」となる 
・「エゴが強い」「エゴイスト」(いずれもワガママ、自己中心の意)というときの「エゴ」と精神分析のおけるエゴは違う概念である。


3 スーパーエゴsuperego〜交流分析のP
・超自我は「良心」である。「〜をしてはならない」という「禁止命令」といってもよい。これは親のしつけによって身に付くものである。そういう意味では超自我とはしつけの強いものであるとも言える。
・超自我が強い人はとは道徳的な人、良心的な人である。それはよく言えば「よくできた人」であるが、悪く言えば「おもしろみのない人」「抑えつけられた人」である。反対に超自我のない人は、良心がない、ということであり。犯罪を犯すような人、ということになる。ただし犯罪を犯す人の中にも超自我の強い人がいる。我慢のしすぎでストレスがたまり、それに耐えられなくて犯罪をおかす、ということもある。
・養育者が変わるなど、一貫性のないしつけを受けると超自我が身に付かない、という。・行動に予測のつく人は健全である。予測がつかないということは何をするか判らない、ということになる。
・超自我は時代や場所によって異なる。
・青年期は不安定といわれる。それは、一般には、大人扱いされたり子ども扱いされたりするからといわれる。だが精神分析的にいえば、子ども時代に、親によって作られた超自我を壊し、自分の超自我に作り直す時期だからとも言える。

・交流分析は精神分析の口語版である。エスはCchild、エゴはAadult、超自我はPparentである。
・エス、エゴはそのまま呼ぶが、スーパーエゴについては超自我と言うことが多い。一貫性がないとも言える。




IV コンプレックス論〜性格の偏りはどこに原因があるか

・「ランチメイト症候群」というのがある。「あの人は一緒にご飯を食べる友人がいないのか」と思われるのがイヤだと思うのである。要するに周囲の目が気になる、仲間の目が気になる、という。

例のバスジャック事件のときにコメントを述べていた町沢静夫という精神科のお医者さんが『あなたの心にひそむ「見捨てられる恐怖」』(PHP研究所)という本を書いていて、自著について語っています。女子校に勤めて以来、興味深くながめていたことにお弁当の時間のみなさんの行動があります。みんなにも覚えがあるでしょう。中学一年生に入って最初にお弁当を持ってきた日のこと、クラスのかわった今年の四月のこと、それを「ランチメイト症候群」と名づけて論じていました。

 『本書は「見捨てられてしまうのではないか」という不安や恐怖が日本人には一般的に見られるのではないか、という考えで書いたものである。(中略)愛情欲求が強く、そのため愛情を向けた相手にしがみつき、その別れができない、つまり母親との分離がうまくできないことで、すべての人間関係がうまくいかない、というふうに考えたものである。
 日本人は甘えが強いと一般的に言われており、確かにその通りのように思われる。甘えというのは、当然それは愛情というように見なされる。したがって甘えが強いということは、日本人一般が愛情への依存が強いということになる。したがって我々はいつもその愛情から見放されてしまう恐怖というものを抱えていると考えられる。
 さらに現代社会は消費社会が完成された社会であり、何でも手に入る社会である。したがって今の青少年たちは欲望を断念することがきわめて困難である。(中略)
 本書で述べている「ランチメイト症候群」というのは、女子中学生、高校生、大学生、OLを中心として、ランチを一緒に食べる人がいないと不安で仕方がないという現象をまとめたものである。他の国では「ランチメイト症候群」など、およそ理解できることではないように思われる。日本人ならではの見捨てられ感の、あるいは孤独の弱さを示しているものである。
 日本に多く見られるいじめは、その多くは「仲間に入れない」ということからくるいじめなのである。それはみんなが集まっている一方で、自分がひとりになる恐怖でもある。つまり一方の、多くの仲間から見捨てられていると考えるのである。これがいじめの基本的な形なのである。日本人は個人主義ができていないので、個人よりもみんなで一緒というところに安心を見つけるのである。かくていじめられる方もいじめる方も、見捨てられ感からの逃避を企てているに過ぎない。』

 町沢氏の論考があたっているかどうかわかりませんが、とても興味深く読みました。日本人の甘えについて論じた名著「甘えの構造」(土居健郎)のことは、おそらく保護者のみなさんの年代ならご存知だと思います。読まれた方もたくさんおられるでしょう。表現方法が違うだけで、昔から指摘されていたことも、もちろん含まれています。この「見捨てられる恐怖」を乗り越えていくことが、現代に生きる私たちに課せられた宿題かもしれません。町沢氏は太宰治(だざい おさむ)のことを「典型的な見捨てられ感」の強い作家だと指摘し、自伝的な考えを小説化しようとすることによって、「見捨てられ感」を克服しようとしたと言っています。町沢氏の論考が正しいかどうか別にして、人間関係に悩んだときにはいろいろな人の考えを参考にするのもいいでしょう。(http://www.shoin-jhs.ac.jp/seikatsu/yhattori/j2b12.htmlより)

「あなたの心にひそむ「見捨てられる恐怖」」町沢静夫著 4-569-61131-1 PHP 1300円 
 序章 「仲間はずれ」と孤独におびえる現代人―「一人でいる不安」にさいなまれ、コミュニケーションに依存する心理
 第1章 「しがみつき」の精神分析―ストーカー、ボーダーラインの病理と見捨てられる恐怖
 第2章 見捨てられることを恐れる人たち―主婦たちの孤独、そして幼児虐待
 第3章 「愛情を失うのではないか」とおびえる心理―日本的な超過保護とボーダーラインの精神病理
 第4章 まともな対人関係を築けない若者たち―いじめ、引きこもり、そして異常犯罪
 第5章 日本人の寂しさ、そして孤独への不安―「分離不安」と芸術による癒し
 第6章 若い女性をむしばむ拒食症の病理―母に見捨てられたある女性の軌跡
 第7章 心の癒しと自立に欠かせないもの―母子分離をうながす「移行対象」
 終章 母性に支配されている日本人―神話の昔から現代まで続く深層心理

・プリクラ集めも同様である。ミエ坊とも言えるし、自身がない、不安の表れとも言える。本質的に他人とつながり会えない傾向があるのではないだろうか。
・○○症候群とは、原因がよく分からないときに使う言葉である。現象として〜である、ということ。
・さて、ここでのコンプレックスとはいわゆる劣等感inferiority complexのことではない。心のしこりであり複合体complexのことである。人が産まれながらに持つ傾向とも言える。


1)エディプスコンプレックスOedipus complex
・男の子が無意識のうちに同性である父を憎み、母を性的にしたう傾向。
・オイディプス(エディプス)が父とは知らずに父を殺し、母を妻とした、というギリシア神話にちなむ。


2)カインコンプレックスCain complex
・聖書のカインとアベルの話から。
・兄弟は親の愛を巡って本来ライバルである。
・兄弟が競い合うことを同胞競争・兄弟競争sibling rivalryと呼ぶ。
・親の扱いに差別があれば、子どもは必ず非行化する。そうでなければ自殺する。
 ex.久米正雄「学生時代」

カイン Cain 
 旧約聖書に登場する人物。アダムとイブの長子で、アベルの兄。ある日、カインとアベルは自分の収穫物を神にささげた。アベルの供え物だけが神によろこばれたため、ねたんだカインはアベルを殺し、神によってエデンの園から追放された。放浪の身となったカインはエデンの東、ノドにすみ(「創世記」4章2〜16節)、その子孫はカイン族といわれる遊牧民となった。
 人類最初の殺人をしるすこの物語は、多くの歴史家や聖書学者によってさまざまに解釈されてきた。カインという名を、殺人者の象徴としてとらえる場合もある。新約聖書でも、悪人のたとえとしてカインの名がでてくる(「ヨハネの手紙一」3章12節、「ユ ダの手紙」11節)。

「アベルの死」
 アントニオ・バレストラ(1666〜1740年)によるこの作品は、兄のカインに なぐりころされた直後のアベルの遺体をえがいている。とくに印象的なのは、 死してもなおたもたれているアベルの美しさと、崩壊する世界の醜さとの対比で、作家がいかにこの点に重きをおいたかがわかる。

久米正雄
 明治24年11月23日〜昭和27年3月1日
小説家、劇作家。俳号三汀(さんてい)。父由太郎、母幸子の3人兄弟の末っ子に生まれる。
久米家は徳川幕府の直参で、由太郎は16歳で上野の山で彰義隊の一員として戊辰戦争を戦う。その後、東京師範学校を卒業。福島県令安場保和の要請で明治7年創立の「小学校教訓講習所(福島師範学校の前進)」の初代校長として着任。以来明治16年まで、草創期の福島県教育界の育成に尽くす。
母幸子は、安積開拓に功労ある立岩一郎の娘。(開成館前の安積開拓官舎は、かつての館岩邸である)由太郎は明治16年長野県に転出、明治天皇行在所ともなった上田尋常小学校長となったが、明治31年3月、御真影と校舎が火災で全焼。その責任をとって割腹自殺。残された母幸子、姉静子、兄哲夫、そして正雄の4人は、母の実家開成残山の立岩家に移り住む。
 正雄は、開成小・金透小・安積中で学び、その後一高・東大に進学。 同級生に、芥川竜之介・菊池寛・松岡譲・山本有三・土屋文明・倉田百三らがおり、文学へ傾倒を深めた。
安中時代の正雄は、野球・テニス・絵画に熱中するが、教頭西村雪人の指導で俳句に親しみ、俳号を三汀と号し、上京後、河東碧桐梧を師とし、“魚城の三汀”とまで有望視された。また、芥川・菊池ら同級生と第三次「新思潮」を発刊、郡山を舞台とした社会劇「牛乳屋の兄弟」を発表。東大卒業後の前大正4年、芥川と共に夏目漱石の門下となり小説を書く。
「学生時代」「枕草」「破船」「月よりの使者」など、大衆小説にも手を染めて流行作家となる。

・会社の人間関係、特に上司との関係がうまくいかないという人を、精神分析では親の愛が少なかったのだ、とする。上司を親と見立て、愛情がほしいと言う気持ちで接してしまうからである。一方、同僚とうまくいかない人というのは、劣等感の処理ができていない人である。自分の中の嫌な部分を相手の中に見てしまうからである。


3)ダイアナコンプレックスDiana complex
・女性が「男性に負けたくない」という感情。
・女性はペニス(=力)がないことから、女でありたくないという感情が産まれる。
例 「結婚しない! 結婚は男性への屈服である」という女性。


4)スペクタキュラコンプレックスspectacular complex
・男性が女性のハダカを見たい心理=愛したい
・女性が男性にハダカを見せたい心理=愛されたい
・見る(=心を外に向ける=攻撃性)=愛する
・欲望をナマのままの形で出すのは知性が低い。社会的に認められた形で出す。従って「見たい」「覗きたい」という人は天文学者になる。また精神分析医もそう(かもしれない)。


5)ナルシズムnarcissism(独語読み)(英語ではナーシズム)
・自己愛のこと。
・「自己中心性(世界は自分のために!)、うぬぼれ(自分はできる)、万能感(世の中自分の思い通りになる)が合体した心理である」(国分先生)
・ナルシズムの強い存在の例は子どもである。従ってナルシズムとは幼児性のことである。
・そして成長とは、我慢できるようになることであり、現実原則に合わせられるようになることである。つまり成長とはナルシズムの崩壊である。


6)劣等コンプレックスinferiority complex(いわゆるコンプレックス、劣等感のこと)
・社会生活の中では必然的に比較があり、その結果優劣が生じる。つまり誰もが劣等感を持つ。
・「劣等感は成長の原動力である」(アドラー)
・ホドホドの、埋められる程度の劣等感は有益である。日本人は他人との比較を気にする傾向が強く、劣等感も強い。

※ カウンセリングを学び、行う際には、他人の心を覗き見しようとか、比較してみようというような下世話な感情は持つべきではない。


7)退行コンプレックスregressive complex
例 モラトリアム 境界人marginal manと呼ばれる大人と子どもの間の期間が長くなっている。
・一時的に退行することは必要。遊びはどれも退行現象である。それが明日への活力になる。

           
 (文責:菊田)