八十川先生講義録
論理療法 2002.5/19

「自分の生き方」
・教師は「生きる見本」である。「あの人のように生きればいいんだ」と思ってもらえることが大切である。従って最終的に問われるのはこちら側になる。
・八十川先生はもっぱらマイペースで生きているが、クルマを購入するとき、ある気づきがあったという。ベンツはどこにでも走っている、BMWにしようか、Volvoにしようか、何にしようか。そう考えることは、つまり人と違うクルマに乗りたいと思っている、ということであり、誰か他人の目を意識し、人にウケたいと思っているところがある、ということである。
・では、人に好かれる人間とは何か。それは「自分に正直な人間」である。自分が納得した生き方をしていれば周囲もそれを受け入れてくれる。ロジャースはそれを自己一致と呼んだ。他人のことに惑わされず、他人にあわせようとして、自分を演じるようなことはしない。
・八十川先生はオペラ歌手の岡村喬生にあこがれ、同じような黒縁の眼鏡が欲しいと思ったことがある。マネが全てダメというのではなく、それがプラスになるならばそれもまた可とすべきである。
・これからは、毎月テーマを決めて「自分の生き方」「生き様」を振り返れるような講義をしていきたい。

論理療法とは
・論理療法Rationnal-Emotive Therapy=論理的感情療法(直訳) 通常RTと略す。
・創始者:アルバート・エリスArbert Ellis(1913〜) → 日本に論理療法を紹介したのは国分康隆
・カウンセリングの理論としては三大理論(精神分析、来談者中心療法、行動療法)の次に来る第四の理論である。
・なぜ論理療法が三大理論の隙間を埋めることができるか。それは精神分析が過去を見るのに対し、論理療法が、現実すなわち今を見る現象学的な考え方に立つからである。
・財布がなくなったとき、「盗まれた」と思うと「悔しい」と思うであろうし、「誰が盗んだのか」「あいつか」と思考が発展していく。だが「落とした」と思えば「自分が悪かった」「次には気をつけよう」と思うであろう。落としたかもしれないのに、「盗まれた」といって大騒ぎをしているのは、ある意味滑稽ですらある。

論理療法の考え方
・エリスはかつて精神分析を勉強していた。カウンセリングの世界では、ロジャースも同様だが、精神分析を勉強していた人は多い。精神分析を勉強して、それに飽きたらず新しい理論をうち立てるというパターンが多い。
・精神分析では「解釈をすれば、変わることができる」という。だが実際には「わかっちゃいるけどやめられない」ことは多い。つまり精神分析で全てを説明しきることはできない。こうして精神分析から発展して、新しい療法が誕生してきた。
・論理療法がまとまったのは1954年頃。従来の心理学では、問題行動の源泉は「感情」であるとされてきた。例えば、学校を休む(=不登校)という「行動」は、学校はつまらないところだという「感情」からくると考えられていた。従って学校を楽しいものにしてやれば問題行動は改善される、ということになる。だがそれに対し行動療法では「学校に行けば500円もらえる」といった「条件付け」によって行動変容を図る。またロジャースならば自己概念を変えることで自分の理想と現実を自己一致させることで治療をする。精神分析なら、幼児期などの過去に学校で嫌な体験をした、と考えるだろう。

・では論理療法ではどのように対処するのか。論理療法では「感情とは言語記述である」と考える。この場合クライエントは「学校は面白くないところだ」「勉強は面白くない」「勉強は役にたたない」という文章を頭の中に記述している。そこでその「〜は〜である」という記述を書き直せばよい。つまり「感情を変えるということは、この記述を書き換えることだ」ということになる。
・つまり
 理屈に合わない感情 = 理屈に合わない記述 
      ‖               ‖
  非論理的感情    非論理的文章記述
となる。
従って論理療法による治療は「文章記述を改める」ことにほかならない。
・ある大学生が女の子に振られ、「オレはもうダメだ」と学校に行けなくなった。だがその記述に根拠はない。「振られてせいせいした」とか「手切れ金もなしで別れることができた」と考えることもできる。
・「みんなが言っている」というのも同様である。「誰が言っているのか一人ずつ挙げてごらん」と確認していけば「みんな」が「○○さんと△△くんと□□さん」になる。現実は一つである。だがものの見方は様々だと言える。
・八十川先生は酒は好きだが、カラオケは嫌いだという。それに対し国分先生は「酒は静かに飲むべきである」という非論理的記述があると指摘した。よく考えてみればそこには何ら根拠はない。


文章記述のきまり
・ただクライエントが自由に論理を組み立てて受け止めていいわけではない。そこにはある一定のきまりがある。
それは
┏まともな受け止め(受け取り)方・・・rational belief
┗まともでない受け止め(受け取り)方・・・irrational belief
である

判断の基準
1)事実fact・・・事実に即しているか
2)論理性logical・・・筋道が通っているか
・例えば、彼女にフラれた → 「オレはダメな人間だ」というケース。フラれたのは事実だが、論理的必然性がない。必然性がないのにこだわるのは意味がない。それは「バカstupid」である。エリスは「神経症とはもともとバカでない人間がバカになったものであるA newrotic person is a stupid person who is not originaly stupid 」(つまり、論理性のないこだわりを持ってそれに苦しんでいるのだ)と言っている。

イラショナルビリーフの例〜我々はどういう誤りを犯しているか
1)生まれてから今日まで、他者に暗示をかけられてしまった。
ex.「職業はかわらない方がいい」「離婚はよくない」「婚前交渉はよくない」
・これらは実はさほど根拠がない。ただそう思いこんでいるだけである。それを守ったからといってどうということはない。かえってそれにこだわって劣等感を持ったりすることの方が問題とも言える。
・これらは自分の体験から獲得したわけではなく、借り物の考え方に過ぎない。一見価値がありそうで、実は価値がないことである。職業をかわって上手にやっている者は多い。

2)願望と事実を識別しないか
・「〜すべきであるshould」「〜して欲しいwish」を混同している。
・例えば「私は人に好かれない」という悩みは、「人に好かれるべきである」と考えているのだ。だがこうすると好かれないことが悩みになってしまう。これは「人に好かれるにしたことはない」と考えた方がよい。

3)過去へのとらわれ
・「いくら後悔しても過去は戻ってこない」
・例えば「こんな人と結婚するんじゃなかった」と何万回思っても元には戻らない。行き詰まる人間は、往々にしてこのように過去にとらわれる。
・ではどうすればよいのか。人間には学習する能力がある。今度は気をつければよい。「もう二度と結婚しない」「全く違う人と結婚する」など。論理療法に過去はない。「今」が問題である。

4)自己主張に怖さがある
・周囲が気になって言えない、やれない、こんなことしたらどう思われるか、はしたないなど。これは他人に支配されているといえる。その結果「〜しない方がよい」という非常に消極的になってしまう。だがこれらは「周りがこう思うのではないか」という推論にすぎない。
・問題点もある。世の中全てのビリーフを否定したら、いったいどうなってしまうだろう。また「赤信号みんなでわたれば怖くない」じゃないか、といってもはねられたら困る。ただ我々は知らないうちにイラショナルビリーフに縛られているのも事実である。そのことに気づくことは重要である。
 次回はゲシュタルト療法。                
 (文責:菊田)
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