八十川先生講義録
論理療法(3)、ゲシュタルト療法 2002.7/14

論理療法の続き、まとめ
・論理療法は「現実をどう受けとめるか」である。
・神経症の人に共通するのは、何でも周囲のせいにすること。それよりも自分自身がどう主体性をもって生きるかが大切なはず。
・論理療法は、理屈っぽい人、つまり感情よりも理性でもって論理的な思考ができる人、もっと誤解を恐れずに言えば言えばIQの高い人にうまくいく。
・人はつい周囲の人間との関係を「よくて当たり前」と考えてしまうが、世の中は「よくしてくれて当たり前」ではない。「よくしてくれたらありがとう」である。


ゲシュタルト療法Gestalt therapy
・1951年、ゲシュタルト心理学から生まれた治療法で、実存主義的な心理療法のひとつ。実存主義とは、「今、自分がここにある、」という「現在」でものを見る見方。その他の実存主義的な心理療法としては論理療法(アルバート・エリス)、交流分析*1(E・バーン)などがある。
・創始者:フレデリック・パールズF Perls(1893〜1970)

*1交流分析 こうりゅうぶんせき Transactional Analysis 
 交流分析は、精神分析学に基礎をおき、そこに行動科学的、システム論的な考えをもりこむとともに、人と人の出会いとコミュニケーションを重視する集団的精神療法(心理療法)のひとつ。E.バーンによって創始された。

・ゲシュタルトという言葉は、「ゲシュタルトする」というように使うが、つまりものをどう見るか、ということである。よく例に出されるのか「ルビンの盃(壺)」とよばれる図である。盃のようにも見え、2人が顔を突き合わせているようにも見える。
・ゲシュタルトとは、「意味ある全体像(=部分部分、あるいは要素要素を1つの意味ある全体像にまとめ上げたもの)Meanningful organization of elements」という意味である。
・ケーラーkohlerの実験とよばれる次のような実験がある。チンパンジーのいる部屋に、天井からバナナをぶら下げておく、そしてその部屋に2つの箱と棒を置いておく。棒だけではバナナには届かない。するとチンパンジーは箱を重ねて踏み台とし、棒を使ってバナナをとる。これは「バナナ」「棒」「箱」というバラバラのものを組み合わせて「バナナをとる」というあるもの(全体像)を構築した、ということになる。これがゲシュタルトする、ということである。
・右のような図形を見たとき、漢数字の二に見える人もいれば、跳び箱に見えたり、線路に見えたり、見る人によって様々に見える。それはそれぞれの人が「ゲシュタルトする」ということである。・内村村鑑三*1は、娘が亡くなった時、皆が嘆き悲しんでいるなか、「神のもとに召されて幸せになったのだ」と言ったという。死は一般的に悲しいものである。だが見方によって、死すら悲しみではなくなる。
・物事をどう受け取るか。これによってどのようにでもなるものである。他人には通用しなくても、少なくとも自分には通用する説得力のあるとらえ方となる。

 次回はゲシュタルト療法の続き。

*1 内村鑑三 うちむらかんぞう 1861〜1930 
キリスト教の独立伝道者で、無教会運動の創始者。ジャーナリスト、文筆家。
幕末に江戸に生まれ、札幌農学校(北海道大学の前身)に学び、受洗。その後アメリカに遊学した。
 1891年、教育勅語への敬礼を拒否して「不敬事件」をおこし、浪人中は「基督信徒の慰め」「求安録」「日本および日本人」「余は如何にして基督信徒となりしか」などを書き文筆家、思想家としての名声を確立する。その後日刊新聞「万朝報」「東京独立雑誌」で政治評論や社会批判に健筆をふるった。
 1900年ごろからは独特の無教会主義の運動をはじめる一方で、社会運動にも積極的にかかわった。日露戦争時には、非戦論を説き、第1次大戦末期には、その悲惨な体験をうけて、キリストの再臨による歴史の完成と世界平和の実現を希求する再臨運動を展開した。
 (文責:菊田)
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