八十川先生講義録
ゲシュタルト療法(2) 2002.8/18

ゲシュタルト療法Gestalt Therapy

・ゲシュタルト療法は、ゲシュタルト心理学を基にしているが、実存主義の考え方の影響を強く受けている、という。
・右は「ルビンの盃」とよばれる図である。ルビンは人名。黒い部分を「地」とし、白い部分を「図」とすると盃が見える。図と地を逆にすると顔を突き合わせた二人に見える。どちらにも見える、ということが「要素を以て全体を見通す」ということであり、ゲシュタルトできる、ということ。
・ケーラーの実験(前回)では「バナナ」「棒」「箱」という無関係な3つの要素を組み合わせて「バナナをとる」という全体像を作りあげた。これが「ゲシュタルトする」、ということである。チンパンジーは「ゲシュタルトできた」から「バナナを得ることができた」といえる。つまり、ゲシュタルトできたから動けたのだ。逆にゲシュタルトできなければ状況判断ができないし、どうしていいかわからない。ケーラーの実験で言えば、棒や箱を使ってバナナをとることができないことになる。
・ゲシュタルト療法の創始者はフレデリック・パールズFriedrich Perls(ドイツ語読みならフリードリッヒ、フリッツFrizと呼ぶことも)(1893〜1970)。彼には、死ぬ数日前、大学で講義中の奥さんをわざわざ呼びだして「ずいぶん世話になったな」と電話したという逸話がある。つまり「自分がありたいようにあればよい」というのがゲシュタルトの考え方である。これは今の若者の行動と似た所がある。大学へ行ってもその先が約束されるわけではない。その結果、先のことを考えるより、今を楽しく生きた方がよいと考えても不思議ではない。
・ある日パールズは、寮の風呂場で騒いでいた学生を怒鳴りつけて叱った。それに対し周囲が「相手の学生が向かってこなかったからよかったものの、向かってこられたら逆にやられてしまいますよ」と言うと、パールズは「いのちが惜しくてセラピーができるか」と答えたという。その人の生き方と、そのセラピーはやはり密接な関係があるといってよい。
・パールズはもともと精神分析医であった。だが、ユダヤ人であるため、ナチスに追われ、1934年に南アフリカ共和国に移住し、1947年にアメリカへ移住した。そしてこの頃から脱精神分析を目指すようになる。
・精神分析は「過去志向」である。人間の「過去の出来事」が人生を決定づける、と考える。しかしパールズはそれに疑問を持つようになる。パールズは「過去の出来事を、今どう感じているか」と考える。これは過去志向ではなく、現在志向である。
・パールズは「精神分析の解釈は分析者の考えをクライエントに投影しているに過ぎない」という。例えば面接中にクライエントが時計を見たらどうするか。これは「早く帰りたい」というサインである。従って通常は「君は帰りたいんだね」と解釈する。しかし実はこの時カウンセラーは自分が「上手にカウンセリングができていない」「カウンセリングがうまくいってない」と感じているからこそそんなことを言うのだ、とパールズは考える。そしてそれよりも、クライエントが「カウンセリングを早く終わってほしい」と思っていること、その感情自体を大切にし、それをじっくり自覚する(させる)ことが大切なのだ。カウンセリングがイヤなら「こんなカウンセリングはイヤだ」と言って席を立てばいいのだ。言葉はウソをついてもカラダはウソをつかない。カラダがどうしようとしているのか自分内なる声を聴くことが必要なのだ。
・カウンセラーがすべき事は解釈ではない。カウンセラーが解釈をしてクライエントを帰るのではない。精神分析ではカウンセラーは解釈をしてクライエントを変えるから、そのこと責任を持つが、ゲシュタルト療法ではそうではない。カウンセラーは、今ある自分というものをクライエントに気づかせる。その上で自分で変わりたいなら、自分で変わればよい。

・ある意味、ゲシュタルト療法の考え方は一人一人の個人を大切にするとも言える。そしてとても厳しい。日本人の感覚からすると、すこしかけ離れた感もある。
・日本にゲシュタルト療法が紹介されたのは1975〜6年ごろ。国谷誠郎などが挙げられる。八十川先生は国谷先生、ヘルムート・トポフの講習を受けた。
・現在行っていることにきちんとゲシュタルトを作る。それが大切なことになる。これは言い換えれば、遊びたいときには徹底的に遊ぶ、勉強するときには徹底的に勉強するというように、きちんと「切り替える」ということ。ルビンの盃で言えば盃を見るときには盃を見る、顔を見るときには顔を見る、ということになる。簡単に言えば、「今やりたいことをやれ」ということでもある。クライエントが自分の感情、身体表現に気づき、それをきちんとゲシュタルトすることが重要。そのために、今、何をしたいのか、きちんと自分で理解することが必要。席を立ちたいなら立てばよい。立ちたいのにそこに座っていることが病気のもとになるのだ。
・ゲシュタルトとは「要素を意味あるものに組織化する(まとめあげる)Meanning of organization of elements」ということ。チンパンジーは、箱と棒とバナナをゲシュタルトできたから動けたのであり、そしてバナナをとることができた。ゲシュタルトできない、また1つしかゲシュタルトできないと、動けないし、行き詰まる。人生はゲシュタルトを作っては壊し、作っては壊すこと。健康な人間は自由にゲシュタルトできる。

ゲシュタルト療法の理論
・精神文政では「エス(本能)あるところにエゴ(自我)あらしめよ」という。理性でもって本能をコントロールせよ、ということである。
・一方ゲシュタルト療法では「エゴ(自我)あるところにエス(本能)あらしめよ」という。「理性を捨てよ」「利口ぶるな」というのだ。そしてカラダの感覚に耳を傾け、カラダの感じるままに動け、という。
・精神分析では、本能はコントロールすべきもの、抑えるものである。言ってみれば精神分析は性悪説といえる。それに対しゲシュタルト療法では性善説をとる。ユングなども「無意識には知恵がある」として性善説をとる。ただし、性の問題などはどう考えるか。本能のおもむくままでよいのか。それには「ヤバイと思ったら止めろ」「ごまかすな」という。いずれにせよ考え、行動する主体としての個人が重視される。

ゲシュタルト療法のカウンセリング
・動作、ジェスチャー、表情、視線、座り方、声のトーンなどをよく見る。それらは言葉よりもその人の気持ちをよく表している。

病理現象
・病気とは「身体表現と言語表現のギャップ」である。従って、治療とは、あるがままの自分になること、ありたい自分になること。そのためには自分に正直になること。そして治るとは、本音の自分に気づくこと。あるがままの自分になること。これを「覚知awarness」という。本当のことをカラダで感じる、ということである。
・ではどのように覚知させるか。どうしたら覚知できるか。そのためには「本音になりきれ」という。ただし、実は人間は本音を出すのが辛い。本音とは出したくないものであり、知られたくないものである。「相手の本音を知りたい」とも人は言うが、本音を出すのは裸になるようなものである。だから本音を本人に知らしめるというのは辛い、難しいことである。だがパールズは「それは本人が困ればいい」し「本人が困ったそこから考えればいい」という。生きていくのは本人なんだから、そこまでカウンセラーが責任を持たなくてよい、という。極めて個人の責任を重視し、個を大切にする考え方である。日本ではゲシュタルト療法のような考え方を通すのは無理があるのではないだろうか、とも思われる。

ゲシュタルト療法の理想的人間像(治療目標)
1)今を生きる
・過去にとらわれるな。明日のことを考えるな。「明日を思い煩わず、過去に縛られず」。過ぎたことはしょうがない。先のことはわからない。言ってみれば快楽主義である。
2)ここで
・今この場所でのことに没頭せよ。here and nowで人生は完結している。
3)想像に遊ばない
・「勉強しておけば役に立つだろう」といった考えではなく、「今やりたいからやる」でよい。
4)喜び、悲しみ、怒り、性感情を表現することをためらわない
・日本人はこういうことを「はしたない」と考えてきた。だが、ものごとは抑え込むとゆがむ。素直に表現せよ。その方が健康的である。
5)つらいこと、不快なことがあればそれに逆らわない
・つらければどっぷりつらさに浸かれ。泣きたければ泣け。
6)他人の決めた道徳に縛られない
7)人がこうしたから自分がこうしたとは言わない
・他人のせいにしない。行動や感情は自分の責任である。
8)人が何と言おうとこれが自分だ
・気取るな。男らしさは大事だが、女らしさが必要なこともある。いろんな場面でそれぞれ必要な自分を作る。

 (文責:菊田)
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