八十川先生講義録
ゲシュタルト療法(3) 2002.9/8

復習
・カウンセリングは、まず理論があって技法technic,skillがある。主要な理論としては自己理論(来談者中心療法)、行動主義理論(行動療法)、精神分析理論(精神分析療法)がある。
・右の図はルビンの盃といわれるもので、盃にも見え、2人の顔にも見える。そして一方が見えるときには一方が見えない。行き詰まる人も同様である。行き詰まる人は物事の片側しか見えていないことが多い。
・最近の心理学は現象学の立場になっているものが多い。現象学とは「ものごとをどう見るか」と考える考え方である。これまでの精神分析などの心理学では「過去」でものを見る。過去のできごとから現在を捉えようとする。しかしゲシュタルト療法では、「過去」ではなく「今」でものを見る。
・ゲシュタルト療法の創始者はフレデリック・パールズFriedrich Perlsである。彼ははじめ精神分析家であったが、精神分析だけでは全てが治るわけではないことから、「現在」に焦点を当てたゲシュタルト療法をはじめた。

ゲシュタルト療法の4つの柱
1 現在志向である。(←→精神分析は過去志向)
2 クライエントの全体性を見て自己統御力を尊重する。
3 感情や考えを客観視することなく、感情や考えそのものになること。
・「悲しかったら泣け」「嬉しかったら呑めばよい」「怒りたかったら怒る」というように、自分の感情にどっぷり浸かりなさい、ということ。
・ゲシュタルト療法では「言葉はウソをつく」「体はウソをつかない」という。パニック障害となったある女優は、体中に湿疹が出るという症状がみられた。その場は言葉で取り繕うことができても、意識しなくても体は反応を示す。
4 非言語、即ち体の反応や態度を重視する。
・言葉にならない部分を大切にするということ。精神分析では「エスes(本能)あるところエゴego(自我・理性)あらしめよ」という。現実原則に合わせて自分の欲望をいかに抑えるかが重要視される。一方ゲシュタルト療法では「エゴego(自我・理性)あるところにエスes(本能)あらしめよ」という。「自分の体・感情の言うことに耳を傾けよ」「頭で判断しないでカラダで判断しろ」「自分のカラダが本当のことを一番よく知っている」ということである。


ゲシュタルト療法の技法
1)役割交換法roll play(役割演技)
・「親想う心に勝る親心今日の訪れ如何に聞くらむ」(吉田松陰)という歌がある。「子の心親知らず」「親の心子知らず」ということわざもある。相手の気持ちというのはなかなか思いが及ばないものである。「図」だけでなく「地」も見るために、役割を交換して演技をするというものである。例えば母親の役割を果たしてみると母親の気持ちがよくわかるようになる、といった具合である。

2)ホットシートhot sheet
・多数が1人に対して罵詈雑言をぶつけるというもの。自分の嫌なところというものは、自分ではどこかに押し込んでいて知らないふりをしていることが多い。それをあえて意識化するのである。精神的には辛いので激しくやる必要はない。「改善すべき点を挙げてください」というカタチで行えばよい。また先にいいところを挙げさせるなどしてカムフラージュするのも方法である。

3)未完の行為
・例えば、早く母を失い、母親の姿さえ見たことないため母のイメージがない、そんな人に対して「お母さん」と口に出して呼ばせる。何度も叫び、呼ぶうちに次第にお母さんのイメージが自分の中で形成されていく。それが実際の母親と違ってもよい。自分なりのものが作られればいいのである。

4)同じ言葉を何回も繰り返す
・繰り返すうちに新しいものが作られてくる、というもの。浄土真宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでよいと教える。繰り返して唱えるうちに救われる気持ちがしてくる。唱えることで救済されることを信じられるような気がするのと同じである。

5)身体言語を誇張する
・大げさに表現することによって身体表現の意味する感情がはっきりする。例えば大きく背筋を伸ばし、あごを引いて前を見ることでカラダがシャキッとするのと同様である。
6)発言の内容と正反対のことを言う
・例えば臆病な人に「オレは勇敢である。オレは勇敢である」と繰り返す。

7)言葉にジェスチャーをつける
・「くやしい」ときに言葉だけでなく、オーバーにジェスチャーをつけさせる。くやしい思いをあえて明確に意識させる、それが次につながる。言葉と行動を一緒にすることで身体に覚えさせる。(覚知awareness)

「ゲシュタルトの祈りGestalt Prayer」Friedrich Perls,國分康孝訳
我は我がことをなさん 汝は汝のことをなせ
我が生くるは 汝の期待にそわんがためにあらず
汝もまた 我の期待にそわんとて生くるに非ず
汝は汝,我は我なり
されど,我らの心 たまたまふれあうことあらば
それに越したことなし
もし心通わざれば それもせんかたなし
I do my thing. You do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations.
And you are not in this world to live up to mine.
You are you and I am I.
If by chance we find each other, it's wonderful.
If not, it can't be helped.

「パールズを超えてBeyond Perls」W. Tubbs,國分康孝訳
曰く 我は我がことをなし 汝は汝のことをなす,と
されど それのみならば 我らの絆,失わるること明白なり

我が生くるは 汝の期待にそわんがために非ず
されど,我 かけがえなき汝の存在に脱帽せんとするものなり

そしてまた 我も汝に脱帽の礼をうけんと欲す
我ら相互に 心とこころふれあいしときのみ
我らここに在り,と宣言すべきなり
汝との絆失わば 我すでにおのれを喪失したも同然なり

我らの心ふれあいしは 偶然にあらず
心を尽くし思いをこめて 求めあいしがゆえに
心通うに至りしなり
いたずらに,事の流れに おのれをまかしたるに非ず
内に期するところありしが故に 心ふれあうに至りしなり
然り,事の起こりは 我が発心なり
されど 我が発心のみにて 足れりとするに非ず
真理のきざしあるは 我と汝と 共にあるときなり
If I just do my thing and you do yours,
We stand in danger of losing each other and ourselves.
I am not in this world to live up to your expectations;
But I am in this world to confirm you
As a unique human being,
And to be confirmed by you.
We are fully ourselves only in relation to each other,
The I detached from a Thou
Disintegrates.
I do not find you by chance;
I find you by an active life
Of reaching out,
Rather than passively letting things happen to me,
I can intentionally make them happen.
I must begin with myself, true;
But I must not end with myself;
The truth begins with two.


最後に
・ゲシュタルト療法は、来談者中心療法とも精神分析ともひと味異なる。頭痛にも腹痛にも同じ薬しか出せない医者はヤブ医者である。カウンセラーは多くの理論を学び、千手観音のようにそれぞれの状況・症状に応じて薬が出せなければいけない。
 (文責:菊田)
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