八十川先生講義録
グロリアと3人のセラピスト(1) 2002.10/20

はじめに
・今年度、ここまでゲシュタルト療法について学習してきたが、これらはあくまでカウンセリングの第三勢力である。カウンセリングの本流はロジャースの来談者中心療法である。今日はそのロジャースの面接場面のビデオを観る。
・来談者中心療法は自己理論に支えられている。
・そしてどんなカウンセラーでも、ロジャースの来談者中心療法を学んでいないものはいない。それはなぜか。

カウンセリングの歴史的発展とロジャース
・1900年代はじめ フロイドが精神分析を作ったころ、カウンセリングとは医者のするものであった。
・次いで1930年代、ウイリアムスンが登場し、カウンセリングは心理学者のするものとされるようになった。
・さらに1940年代、ロジャースは「心理療法」と「カウンセリング」を同一のものと見なし、カウンセリングは医者などの資格がない素人でもできるとした。これがロジャースの功績である。
・ロジャースは時々によって考え方が多少変化するが、終始一貫して大切にしていたことは「リレーションrelation、つまり人間関係が人をよくする」ということである。
・「自己理論」では次のように考える。「人は生まれながらにしてある傾向を持った有機体である。そしてある傾向とは自立・独立・成長である。」
・また、生まれてきた人間に自他の区別はない。成長し他人の存在に気づき、そして自分(自己self)という存在に気が付く。そこに比較が生まれ、自分の希望と現実の差がに思い至る。そのと希望と現実の差が大きければ「自己不一致」の状態となる。これがこころの病気となるのである。従って、「治る」とは「自己一致」することである。そのための技法として、受容、繰り返し、明確化などがある。


1)受容acceptance … ひたすら「うんうん」と聞くこと
2)繰り返しrepeat … 重要な発言を繰り返す。クライエントが使った言葉をそのまま繰り返す。
3)明確化(明瞭化) … 相手の感情を、カウンセラーの言葉で返してやること。
・これらの技法の根底にあり、これらをひとまとめにしたものが「共感」である。これはクライエントのものの見方・考え方に立って相手の気持ちを受け止めることであり、良い悪いは言わない。

「グロリアと三人のセラピスト」ロジャースの面接場面を観る
<個人的に気づいたこと・感じたこと>
・ロジャースはとにかく、ひたすら相手の内面に焦点を当てようとしている。
・そのうち、ふっと話の方向が変わり、グロリアが前向きになる。それがものすごく不思議である。いつの間にか手段、やり方、解決法について話をしている。初めからグロリアは答えを知っていて、ロジャースはその答えを覆っていたものを少しずつ剥がしていく、そんな感じがする。
・問題はほぼ片づいたように思えるが、面接ではさらに話が進み、父のことまで話題になっている。「面接時間がまだあるから」というのが理由であろうが、さらに別の問題が現れてくる。
・ふりかえりでロジャースは否定しているが、父の話題について、これは感情転移だろうか。
・「あのとき、あそこで」という過去の感情が「今、ここで」に変わっていくことで良くなっていく、というロジャースの振り返りの内容が印象に残った。


「グロリアと三人のセラピスト」エリスの面接場面を観る
<個人的に気づいたこと・感じたこと>
・グロリアの方はエリスの発言に「決めつけ」を感じ、反発している。
・イライラしてきたグロリアはたばこを出し、吸い始める。これはロジャースの面接時には見られなかった行動である。
・「論理療法」は「説得療法」である、と感じる。
・言葉遊びの要素がある。このような方法での面接は、知的に高い人でないと効果がないのではないだろうか。
・極めて面接のテンポが速い。正直、内容に追いつけない。
・後半グロリアはエリスのいうことを理解しようとし、前向きに考えようとしているが、グロリアは前半のイライラからいつ、どのように切り替わったのだろう。
・行動させる、という点ではゲシュタルトに近いと感じた。
 (文責:菊田)
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