八十川先生講義録 |
グロリアと3人のセラピスト(2)、出会いへの道 2002.12/15 |
グロリアと三人のセラピストの続きである。 ・今日「カウンセリング」の主流といえば来談者中心療法Client Centered Therapyである。 ・これは1940年代のアメリカで成立し、戦後日本に輸入された。 ・ロジャースは心理療法とカウンセリングを同じものであるとし、それまでは医者がするものであったカウンセリングを素人でもできるとした。 ・ロジャースは、「人間は放っておいても良い方向へ向かう」という人間観を持っていた。 ・従って、面接はNon Directive非指示な方法で行うとした。カウンセラーはクライエントの話をひたすらうんうんと聞く。そういう中でクライエントの中に気づきが生まれる。 ・ただし、聞く側にも技法がある。それが受容・繰り返し・明確化である。こうして相手にひたすら話をさせる。人間は話すとストレスが発散される。逆に話したがる人間はストレスがたまっていると言える。 ・一方でカウンセラーはクライエントに信用されなくてはいけない。信用できない人に悩みを話したりはしない。そこで大切になるのが「共感」である。なぜその人がそんな考え方・ものの見方(Internal Flame of Reference内部的準拠枠)をするのかがわかると相手に共感できる。ただし、これはカウンセラーが自分の価値観を持つことを否定するものではない。 ・なぜ悩みが生じるのか。それは「今ある自分」と「なりたい自分」の差、すなわち「自己不一致」が原因である。従って治療するとは「自己一致させること」となる。そしてそれを指示するのではなく、わからせる、それが治療である。 「グロリアと三人のセラピスト」パールズの面接場面を観る <個人的に気づいたこと・感じたこと> ・徹底的にしぐさに着目している。言葉としぐさのズレ・矛盾をひたすら厳しく突っ込んでいる。 ・正直「厳しい」カウンセリングだと思う。 ・それに対してグロリアには激しい感情の表出が見られる。パールズはグロリアを挑発しつつ本音を引き出そうとしている。 ・とにかく感情を出させようとしている。 「出会いへの道」を観る <個人的に気づいたこと・感じたこと> ・はじめは表面的なことしかわかってもらいない怒りが場を覆う。 ・「マスクを取る」というキーワード ・感情交流によってお互いのことが次第にわかるようになってくる。 ・「このままわからないままに終わってしまうのでは、と恐れていた。もっと続けたい」という言葉は「一期一会」の発想との共通項を感じる。 ・自分のことを話しながら気づきを得るのではなく、他人のこと、他人の話を聞くことで自分のことに気づきが生まれている。 |
(文責:菊田) |
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