“ゆい”例会報告−2000(平成12)年1月21日

2000(平成12)年1月合同例会の報告 


 参加者は5名。向井・菊田・宮村・加藤・茶田の常連。


1 気楽にできる総合的学習−イズノスケ音頭を題材に−     <宮村>
 小学校4年の総合的学習の試み。社会科「わたしたちの静岡県調べ」から新世紀創造祭にからめた全校発表集会へと発展させた実践。宮村氏はこれを“気楽にできる総合的学習”と称して、2月12日(土)の合宿研究集会にて報告する。
宮村実践のキーワードは「気楽」「気軽」である。
 初めに出された資料は、“イズノスケ音頭”の練習に取り組む八幡野小4年生
の新聞記事。イズノスケは、新世紀創造祭のキャラクター。なぜ踊りの指導を受けることになったのか。それには次のような事情があった。
 1つは、“発表集会”の内容が改訂されたこと。今までの発表集会は、音楽か
音読の2つの選択肢しかなかった。ところが、今年度からその枠を外し、自由な
表現活動が認められるようになった。そこで、社会科から総合的学習へ発展した
形の発表に挑戦することにした。
 2つは、イズノスケ音頭をやってみないかという同僚や地域からの要請があったこと。もともと運動会で踊ってみないかという要請だったが、すでに運動会の
予定は確定していたので実現不可能だった。そこで、発表集会での4年の発表に結びつけて、イズノスケ音頭を踊ることにした。
 3つは、八幡野小は運動会のテーマを「ふれあい」とし、地域の人々を招く取り組みを進めてきたこと。地域のおじいさんやおばあさんを招いて行う「ふれあい種目」は何年生の担当、健康学園を招くのは何年生の担当といった取り組みを積み重ねている。それを総合的学習として時間確保しようというわけである。
 では、「わたしたちの静岡県調べから新世紀創造祭へ」の実践の流れを紹介しよう。
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1 社会科の学習:わたしたちの静岡県
 @ 静岡県の土産物を見ながら、静岡県の日本一を考える
 A 静岡県の日本一調べをグループ学習で行う
  ア 模型のタミヤ      →タミヤへFAX
  イ 旅館やホテルなどの宿泊所→県庁産業課へFAX
  ウ お茶          →茶業協同組合へFAX
  エ サッカー        →清水市役所へFAX
  オ 楽器・ピアノ      →ヤマハ本社へFAX
  カ まぐろの缶詰      →缶詰組合へFAX
 B 個人のまとめとして新聞作りを行う…9切画用紙

2 総合的学習:新世紀創造祭への発展
 @ 学年委員で発表集会の呼びかけ台本を作成
 A イズノスケ音頭の踊りの練習…地域のゲストティーチャーを招く
                 体育館で実施
                 イズノスケのうちわ・手ぬぐいをもらって
                 大喜びする子供たち
 B 全校発表集会での4年発表
 C ゲストティーチャーへのお礼の寄書き…白ボール紙
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 八幡野小は平成12年度、総合的学習に35時間確保することを決めた。


2 ミレニアムの秘密                     <菊田>
 誰もが口にするけれど、その意味を正しく理解しないまま使っている言葉。それが「ミレニアム」ではないか。そこで、3学期初めの授業でミレニアムの誤用に注意を促すことにした。
 では、次の質問に○か×で答えてもらおう。
@ 2000年は、世紀末である。
A ミレニアムとは、2000年のことである。
B 閏年(うるうどし)は、4年に一度ある。
 えっ?と思わせる質問ばかりである。意味を正しく理解している人は難なく正解を出せる。しかし、何となく雰囲気で用いていた人はその曖昧さを突かれる。
では、次ページの授業プリント(会報“ゆい”に掲載)を見て、すとんと落ちる説明の仕方を学ぼう。



3 伊東・熱海 地域学習の素材とヒント(第2集)       <加藤> 『伊東・熱海 地域学習の素材とヒント(第1集)』が発行されたのは6年前の1994年。10の断片も、整理・編集することによって10を上回る意味が
生まれる。ここに編集者としての卓見がうかがえる。その日の仕事に追われ、振り返る余裕を生み出せない凡人(茶田)とは大違いである。今回は、主として収集した資料を授業に活用することが重点。

◇源実朝はなぜ箱根路を越えたのか?◇
「都より 巽(たつみ)にありて いで湯あり 名を東路(あずまじ)の
                        あつうみ(熱海)という」
 ここでいう都は、鎌倉のこと。巽とは、辰と巳との間。つまり、南東の方角。
熱海は当時から有名な温泉地であった。
「伊豆の国や 山の南に 出る湯の はやきは神の しるしなりけり」
 伊豆山権現に関係した温泉が神聖視されていた。神の湯だから一般の人は簡単には入浴できなかったと考えられる。実朝は鎌倉幕府の将軍だから、走り湯に入浴したはずだ。
「箱根路を われ(が)越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」 鎌倉幕府を出発した実朝は、箱根を経由してから熱海へ来ている。現在なら小田原から国道135号線を下って真鶴、湯河原を通って来たほうが便利なはずだがどうしてだろう。中学生ならどのように考えるだろう。
ア 小田原から熱海へ通じる道がなかったから箱根経由で遠回りした。
イ 先に箱根方面へ行く必要があったから、用を済ませた後熱海へ来た。
 さあ、あなたなら11ペの資料をどのように料理するか。

◇熱海の寺院の始まりはいつごろ?◇
 郷土読本『熱海』の一覧表から寺院の始まりを年表に並べる。作業を通して歴史的な意味を見出すことができるだろうか。
 12ぺによると、なんと戦国時代に最も多くの寺院が開かれているではないか。
戦国時代というと、武士は大きな顔をして闊歩し、民衆は縮こまって身を隠すように生活していたようなイメージをもってしまう。しかし、鎌倉新仏教の寺院が庶民の心をとらえていたことを考えると、民衆の支えなしに寺院が開かれるわけがない。そうか、武士階級の横暴の下に虐げられている民衆というイメージは、一面的だったのか。だれもが持っている副読本も目の着けどころによって、価値は倍増する。

◇伊東・熱海の学童疎開◇
 42ぺによると、東京都渋谷区の上原国民学校から泉の天寿院に39名、福泉寺に38名の子供が疎開している。地域から戦争を調べる学習のヒントをもらえた。さっそく授業で聞き取り調査をさせてみよう。



 (文責:茶田敏明 熱海市立泉小学校)