“ゆい”例会報告−1999(平成11)年7月23日

7月例会の報告 

 参加者は、宮村・菊田・向井・加藤・茶田の5名。職員旅行から帰ったばかりの宮村氏
のお宅に、“夏休み顔”に変わった常連が集まる。



1 楽しくわかる授業−国語辞典の使い方−            【宮村和秀氏】
 「楽しくわかる授業」−これは宮村氏が常に念頭に置くテーマである。舞台は、保護者の授業参観。参観者から「先生にのせられて、見事に子供が夢中になっていますね。」と評価された“宮村ギャグ授業”である。教師主導なので、教育委員会の指導訪問には見せられない、と断って報告が始まる。


 1 国語辞典はこんなふうに使います
  本時の目標は、次の2点。
 ★ 国語辞典の言葉がアイウエオ順に並んでいることを理解する。
 ★ 国語辞典を進んで利用する心構えをもつ。
  宮村氏は、「国語辞典はこんなふうに使います。」と実演をする。さて、どのような
 例を示したのか。それは、生まじめな人間には考えも及ばない所作だった。
 ▲ 頭に載せて歩く
 ▲ 枕にして寝る
 ▲ 2冊でバシッと顔をはさむ
  えっ、そんなばかな!?ところが、子供たちも負けじとまねをするのだから、宮村色 は教室に浸透している。呆気にとられる例会参加者。そこまでやれる演技者としての徹 底ぶりに一同感心するばかり。
  さて、騒ぎ?が静まった頃を見計らい、国語辞典の使い方を次のように押さえる。
 ☆ 読める言葉の漢字を調べる。
 ☆ 読める言葉の意味を調べる。


 2 子供の名前で見出し語の配列を理解させる
  始めに例示したのが、元気者の愛さん。その理由の1つは、国語辞典の最初のページ に載っている言葉であること。理由の2つめは、本人の性格と「愛」という言葉の意味 のずれから笑いが生ずること。
  ここで忘れてならないのは、「漢字を調べる」「意味を調べる」という押さえを落と していないことである。「楽しく」とは、単なるギャグではない。「わかる」という目 的のための手段として明確に位置づけている。ただ宮村氏の場合、すでに「楽しくわか る」という授業の行為が自然体になっているので、截然と分けることは難しい。
  次に、出席番号がアイウエオ順になっていることを利用して、国語辞典の見出し語の
 配列の理解へ。うまい助走である。
 ☆ 安東(あんどう)と渡辺(わたなべ)…アとワ〔最初と最後〕
 ☆ 浮貝(うきがい)と中山(なかやま)
 ☆ 肥田(ひだ)と細谷(ほそや)と福岡(ふくおか)…ハヒフヘホ対決
 ☆ 伊藤(いとう)と伊久美(いくみ)と稲葉(いなば)…イ対決
 ☆ 小原(おはら)と長田(おさだ)と落合(おちあい)と岡野(おかの)…オ対決
 ☆ 山下ともみ・山下ゆうた・山下あきのぶ…ヤマシタ対決
  このようにして、1文字目が同じなら、2文字目で前後を決める。2文字目が同じな ら、3文字目で前後を決めるという並び方を確認する。
  応用編として清音・濁音・半濁音の順を例示する。その例がおもしろい。
 ☆ 「へん」=頭が「変」なのは先生だ
 ☆ 「べん」=うんこのことだ
 ☆ 「ペン」
  おそらく、こういう反応が出てくることを予想して言葉を選んだのだろう。そこが、
 “宮村ギャグ授業”の面目躍如たるところだ。


 3 班対抗国語辞典早引き競争
  本時の2つめの目標を達成するための手立ては、班対抗の国語辞典早引き競争である。
 36人学級で8班構成、1班4〜5人。方法は、各班から選手が1人ずつ出る。4位ま でに入ったら、得点1ポイント。4位までというところがミソ。選手は、仲間の励まし
 を受けながら夢中になって引こうとする。

   《記録者の感想》
◇ 国語辞典は、ぜひ身近に置いて親しく利用したい物。しかし、ついつい引くのがめんどうくさくなりがち。また、慣れていなければ、見出し語を見つけるのに時間がかかり嫌気がさす。
◇ そこで宮村実践では、子供の名前を用いることによって、国語辞典の見出し語の配列の約束を示すという作戦を立てた。「出席番号と同じ配列」−身近な例を引き合いに出す。「子供の実態に即して」とは、このような知恵を言う。さすが、「楽しくわかる授業」の実践者だ。子供の名前の出し方の順に、宮村氏の緻密な計算がうかがえる。表面は笑いのあふれる授業だが、その裏には確かな子供の読みがあることを忘れてはならない。
◇ それに比べて、自分の場合はどうか。国語辞典をさっと引けるように練習の時間は確保している。練習を積めば、引くのにかかる時間は短くなる。子供もそれなりに自信がつく。そういう意味では、「確かに引ける」力を保障する授業ではあるだろう。しかし、知的なおもしろさといったものを子供に伝えられたか。「できる」だけをめざすと子供は満足しないのか。わが発想の貧しさをふり返ってみた。 どうするのかという意見をいろいろ出して貰い、正しい判断力をつけてほしいです。





2 「アジアの純真」−地理コラムからの出題−          【菊田兼一氏】
 伊東商業高校の生徒の学習意欲に火をつけるべく、菊田氏は今日もまた意外な発想を披露する。それが、「地理テスト:アジアの純真」である。宮村氏とは別の角度から「楽しくわかる授業」を追究する実践者だ。


 1 地理コラム
  本編の授業の流れとは別に、学習内容を補うために読ませているもの。それが“地理
 コラム”である。ここから中間・期末テストを出題すると予告。
  “地理コラム”は、CD−ROMの「エンカルタ」という百科事典から引用して作成。
 「エンカルタ」は各学校に寄付されているとのこと。


 2 どういう糸(意図)でつながっているの
 「16のコラムは、ある糸でつながる。では、16のコラムをつなぐ糸は何か。」
 ★ リベリア共和国
 ★ インドネシアの音楽=ガムラン合奏
 ★ 世界周航をなしとげたマゼラン
 ★ イラン=指導者ホメイニ氏の顔写真
 ★ ダブリン=アイルランドの首都
 ★ ベルリン=ドイツの首都
 ★ 北京=中華人民共和国の首都
  これら7項目で“糸”が分かったとすれば、かなり頭が柔らかい。相互に関係があり そうでなさそうで、いったいその心は何なのか。
 ★ ロシアの弦楽器バラライカ
 ★ アフガニスタン=「アフガン族の地」という意味
 ★ マラリア=運び屋はハマダラカという蚊
 ★ シャンハイ=中国最大の都市
  そろそろ耳に音楽が聞こえてきただろう。そう、puffyの「アジアの純真」だ。
 3 テスト問題−2人の会話−
  イラン革命の年は誤植。とにかく、菊田氏の作文のユーモア感覚に感服する。高校生 の世代感覚を上手にくすぐる。

   《サークルでの話題》
◇ 「アジアの純真」がその心だと見破ったときは、菊田氏のユニークな発想に一同ただただ感心するのみ。菊田氏は“サークルゆいの発明家”だ。
◇ 始めに「アジアの純真」を聴かせてみる。「都市の名前を探せ。国名を探せ。」などと指示を出す。そういう導入の後、地理コラムを登場させてもいい。
◇ 一見無関係と思われる物事から、意味あるつながりを見出だす能力に脱帽。





3 中学校郷土読本『熱海』改訂作業−熱海の歴史−        【加藤好一氏】
 中学校郷土読本『熱海』は授業書型式で改訂することになった。東豆地区の教員で、加藤氏ほど熱海の歴史を科学的に語れる人はない。
 前回の改訂は、読み物としてのわかりやすさに重点を置いた。そのための資料選定には、
加藤氏の時代考証の鋭い目が光っていた。
 今回の改訂は、学習の手がかりとなる授業書にしようと悪戦苦闘中。今回の報告は、原始社会から平安時代までの原稿である。

  《改訂のポイント》
@ ページをめくる前に、問題が出される。
A そのページには、問題を解くための資料が提示される。
B 次のページには、前のページの答えと解説が記述される。
C 熱海市の各地域が登場する(地域の偏りがない)ようにする。

 ここでは、印刷が鮮明に出るように原稿の文章を打ち直す。




  V 熱海市の発展
 1 熱海のあけぼの(原始社会)│
1 どこで、いつから、どんなくらしを?−大越遺跡と旧石器時代− 今から一万五千年以上も前の氷河時代のことだ。人々は寒さのきびしい箱根山から温暖な泉・伊豆山(今の熱海中学校付近)へと、高地を通って移動してきた。 熱海での人間の活動は、こうして始まる。泉の大越遺跡(泉浄水場近く)からは、熱海はもちろん静岡県東部ではいちばん古い石器が発掘された。
 ここは、海からの高さ280mのなだらかな土地で、そばには泉川も流れている。人々は深い森の中で狩りを行い、その肉や木の実などを食べて生活していた。
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│肉はどのように調理したのだろうか。   │
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→ 「大越遺跡発掘の石器〔実物大〕−どうやって作り、何に使ったのだろうか」

 例会でも、どのように調理したか予想を出し合った。
「串のような物に刺して、火にかざした。」
「鉄板の代わりに、焼いた石の上にのせた。」
 6年生や中学生の発達段階を意識した発問だ。こういう具体的な問題だと、自然に考えてみたくなる。

 大越遺跡では右のような石のまとまりが三ヶ所見つかり、焼け土もところどころにあった。人々は石を熱して肉を焼き、それを食べていたのである。
 石器の材料となった黒曜石を調べると、伊豆や箱根はもちろん長野県や東京都の神津島からも運ばれていることが明らかとなった。熱海では上多賀・景徳院の裏山から海岸にかけて黒曜石を産出した。だが、あまり良質ではないためか、大越遺跡では使われていなかった。
 なお、この遺跡では住居のあとも見当たらなかった。その理由も考えてみよう。

2 生活の向上と定住−各地区に広がった縄文時代の遺跡−
 一万二千年前になると、大越の人々はものを煮るそまつな土器を使い始めた。熱海の縄文時代の始まりである。人々の生活にはどんな変化が起きたのだろうか。
 宮前遺跡(初島)発掘の石器A・B・Cを大越遺跡のものとくらべ、その使われ方を考えてみよう。
→ 「宮前遺跡発掘の石器」 石皿・石錘・石ぞく
Aは石皿である。木の実などはこれですりつぶして、パンやクッキーのような食べ物を作った。Bは石錘である。これは漁の時おもりとして網の下に結びつけて使われた。共同して漁が行われていたことがここから分かる。
 Cは石ぞく(石のやじり)である。縄文時代には大型動物が死に絶え、シカ、イノシシや小動物をとるために弓矢が使われた。宮前遺跡から12もの石ぞくが見つかったのは、小さな島でも狩りがさかんであった証拠である。
 では、縄文時代の土器にはどんな特ちょうがあるのだろうか。大越遺跡と新釜遺跡(下多賀神社〜多賀小)から発掘された土器をよく比較してみよう。

→ 「約一万二千年前の大越遺跡の土器」「約四千年前の新釜遺跡の土器」

 市内の旧石器時代遺跡の数は3であるが、縄文遺跡は36ヶ所以上を数える。はじめは、泉ゆずり葉(標高258m)・七尾原(340m)・下松田(150m)・網代山(210m)などの高地に多い。これに対し、四・五千年前になると戸又(上多賀港近く)・宮脇(上多賀神社あたり)・新釜・薮の内(下多賀中野)・宮前など、標高10〜30mのあたりに大きな遺跡がふえてくる。これは人々が漁業にも力を入れて海岸の近くに定住したためである。山からも海からもたくさんの食料をとり、人々の人口は大きくふえていった。 しかし、それから500年を過ぎて今から三千五百年前になると、初島と伊豆山の2つを残して熱海の縄文遺跡は急速に消え去ってしまったのであった。

◇ 熱海の遺跡は、なぜへってしまったのだろうか。

 (文責:茶田敏明 熱海市立泉小学校)