組織左翼に必要な10の習慣





 こういうライフハックみたいなのが、最近やたら目につくので(もうずいぶん前からだろうけども)漏れもちょっと書いてみた。組織左翼でない人間には何がなんだかわからないかもしれない。それから、後で直すかも。




1. 中央決定が出る前に自分で書いてみる



 世界と日本の情勢はどうなっているのか、そのために左翼がしなければならない問題は何でどこが障害になっているのか。そういうことを全部自分の頭でいっぺん考えてみる。考えて考えて考え抜いてみる。別に「文書」にしなくてもいい。箇条書きのメモだっていい。

 サヨの会議やってて可笑しいのは、身近な組織方針の話になると、中央決定とかそんなもんブッとんで、ものすごく経験主義的なことをしゃべりだす人な。いやいや、笑っちゃうけど、いいんだよ。そういうのがいいんだ。
 「友だちに署名を頼むコツ」についてがまず第一に来たりとか(笑)。
 そうやって、いま自分がリアルに感じていることを対象化してみるんだ。そうして、そこと組織の中央が出すものとの距離をはかるのである。そうやってはじめて中央決定がいかにすばらしいか、もしくはくだらないか、がわかる。
 昔、共産党の中央決定の感想文を報道する欄で「宮本議長の知的プレゼント」とかいう感想があったけど、こういう態度は本当にどうにかしてくれと思う。今はもう違うと思うのだが、知的源泉はいつも組織の中央からしかない——こういう感想を書いてしまえる人が本当にスターリニストなのである。




2. 幹部のインタビューを読む時、自分ならどう答えるかを考える


 まあ1と似てるんだけど、組織の幹部とかがマスコミに出たりしたとき、報道が簡単に機関紙に載るだろう。そのとき、答えを隠しながら読むわけだ。自分ならどう答えるか、という具合に。
 たとえば国保料値上げ反対とか、保育所ふやせとか、サヨなら自分が得意にしているフィールドがあるわけだけど、国民はだれでもそういうことを聞きたいわけじゃない。「自民党の総裁選挙をどうごらんになってますか」とか「こんどの首班指名では誰にいれますか」とか「あなたの政党は退潮傾向にありますね」とか、そういうことへの回答も聞きたいのだ。




3. 会議で中央決定をホメるやつにしつこく具体的に何がいいのか聞く



 サヨの会議で「このすばらしい中身を一刻も早く徹底しよう」といっている人がいたら、そのすばらしい中身とは一体なんであるのか、しつこく具体的に聞こう。具体的にいえないやつは、たいてい自分の頭では咀嚼していない。
 いま自分たちの組織が直面している現実に本当に合うのかどうか、自分の頭で考えてなければイッパツで化けの皮がはがれる。




4. 楽しさのない組織拡大は何かがまちがっていると思い直す


 会社の営業と同じだが、数字目標が独り歩きしてノルマ化したときは活動がすさむ。仕事でいうと、いい商品があって、しかもそれをほしがっている客のイメージがあるときはやりがいがあるものだ。それが消失するとこわい。仕事はまだ食い扶持をひねりだすためという大義があるが、ボランティアである政治活動でなおさらキツい。

 もともと革命の出発点は「サロン」であったように、ぐだぐだしながら酒や茶でものんで意気投合し、一文にもならない活動に身を投じることにこそ、楽しみや喜びがあった。政治のことをダベったり、世の中変えることをみんなで群れてやるのは楽しいものなのだ。

 しばしばこの問題ではレーニンの『なにをなすべきか』が引用され、自然成長性への拝跪が問題にされてきた。もちろん活動に意識性は必要だし、大衆闘争が前進すれば自然に党派が大きくなるわけではない。しかし、それを活動の楽しさや意義と切り離すというのは、レーニンの悪用というものである。

 なんか楽しくないな、と思ったら引き返して考え直そう。

 ただし、数字が独り歩きして「楽しい」ときもある。
 市議会議員選挙のように、あと何票とってこないと確実に落ちるという情勢判断がハッキリしているとき、あるいは、前回2票差で次点だったみたいなときは、この人を落としてなるものかと数字だけでもものすごい馬力が出る。こういう具体的な情勢判断と結びついているときは、数字だけの提起であってもいい。




5. 青年期以降マルクスを読まない古参を馬鹿にする


 若い頃はマルクスとか読んだけど、今さらねー、といって読まない老ボルシェビキは多い(健康上、または物理的な理由等以外で)。そういう類いの人にとって、活動とは畢竟経験でしかない。それは理論の重みを破壊する。丸山眞男のいう「実感信仰」である。

 そうするとどうなるか。
 飛躍ができないのである。
 そいつにとって、活動とは昨日までしてきたことを明日もすることであり、明日に必要なものは自分の経験の引き出しからしか出してこないことである。この実直さは革命運動の、ある局面では絶対に必要なものだが、新しい情勢にあわせた飛躍が必要なときには、恐ろしい障害に転化する。
 そういうやつがいたら、徒党を組んで馬鹿にしよう。すごく嫌がられるけどね。




6. マルクスを訓詁学的に読むのをやめる


 さっきとは逆のようだが、何のために古典を読むのかを考えることだ。マルクスのいった命題をいまさら丸暗記したって意味ねえんだよ。いやホント。
 『ゴータ綱領批判』でマルクスはラサール派の綱領案を批判したんだけど、ラサール派の言っていることって、けっこういまの左翼が現実の議会とかで言っていることなんだな(笑)。要は、その時代背景のなかで、どういう精神で、どういう角度でコトにあたったのか、っていうのを知るためにマルクスを読むわけだ。天才の横にいて、その発想術に学ぶ、みたいなものである。
 左翼的にいえばその弁証法的な精神を学ぶためである。

 別の言い方をすると、すぐれた人間のそばにいて、その発想術や思考方法を真似したり、そこから学ぶっていうのは、日常的に行われている。あなたもやっているだろう? それと同じことなのだ。だから別にマルクスでなくてもいろいろ学ぶことはできる。
 しかしマルキストであれば、やはりマルクスという男の発想法や研究精神をまずは知っておかねばならない。そこから生かしたり捨てたりするものを選ぶのはあなたである。




7. 簡単でもいいから全体像を知って反論する


 まあたとえばブログで政治的主張を書いたり、ネット上で論争となったりしたときに、機関紙に載った情報だけで「反論」したりすると、ものすごく痛い目に遭う。2ちゃんねらーの一部が2chないしは2ch由来のソースのコピペを膨大にやって満足していることのサヨ版でしかない。
 「社会生活の諸現象は非常に複雑なので、任意の命題を確証するのに事例や個々の資料をいつでも好きなだけ探し出すことができる」(レーニン『帝国主義論』フランス語およびドイツ語版への序文、大月p.12)。




8. 政府や右派の論理に一度身を沈めてみる


 そのことに似ているのだが、自分とは反対派の気持ちになって、一度その論理に身を沈めてみるのがいい。これは単に反論のためだけではない。
 しばしばサヨ機関紙などでは、批判点しか報じられないので、全体像がさっぱりわからないことがあるせいだ。
 たとえば後期高齢者医療制度。
 これが大変な負担増になるのはわかるのだが、これまでの制度はどうだったのか、政府はなぜこれが解決策になると思っているのか。制度発足の趣旨と全体像を身につけないと、よくわからなくなってしまうのである。




9. 少なくとも飲み友だち左翼を1人以上つくる


 あ、飲めない人はお茶なんかで。自分のいる基礎組織(細胞とか支部とか班とか分会とか)で気の合う仲間がいればそれでよし。
 しかし、そこは人間の組織。
 本当に心を許してグチをいったり、大言壮語を語り合えるような人間関係がないと、それこそ腐っていってしまう。とくに専従などで若い人が孤立しているようなケースは危険である。その若手を確実にスポイルする。




10. 自分で綱領を書いてみる


 ええっと、1.に似てるけど根本的に違う。

 どうやったら革命ができるかを日常的に考えるんだ(ぼくの場合には選挙を通じた革命である)。

 いや、実はその具体化が時々の中央決定になるわけで、その精神がちゃんと入っているならいいんだ。しかし、まあ、たいてい当面の選挙でどう議席を維持するのかとか、今から手をつける大衆闘争は何かとか、いまの組織活動の障害は何かとか、そういう目の前のこと(本当はそれらが「目の前のこと」であってはいかんのだが)だけを考える人間になってしまう。
 改良主義者が出来上がってしまうのだ。
 そもそも本当に革命をやる必要があるのか、とか、やる必要があるとして、それは何を変える革命なのか、とか、どうやってその革命をやる勢力が形成されるのか、とか、そういうことを一人ひとりの共産主義者が日々考えないと、共産主義者は改良主義者になっていってしまう。
 われわれは革命をやっているのである。
 





2007.9.24感想記
この記事への意見はこちら
メニューへ戻る