30年後の日本


第11回 まったく別の道――シナリオB(上)



誰が統一戦線の担い手になるのか?

  内橋克人は、『もうひとつの日本は可能だ』を書いた。ここで紹介したように金子勝も『2050年のわたしから』を書いた。別に彼らに限らず、日本の将来について、新自由主義とはちがう、オルタナティブを描こうとする試みは無数にある。

 それはそれで結構である。

 問題は、それをだれがやるのか、ということになる。つまり国民の間でどのような一致点をつうじて、統一戦線が形成されていくのかという見通しだ。



新自由主義=革命派という「リアリティ」

 現状の否定、現体制の破壊に国民が共感をもつ、という一定のリアリティがそこにある。
 小泉自民党・石原慎太郎・民主党は、(ときどきに入れ代わりながら)国民の現状否定のエネルギーを吸収して巨大化した。

 公務員や郵便局などといった「既得権益者」や「抵抗勢力」を設定して、自らを「革命勢力」として描く手法は見事というほかない。
 小さな勢力が何をいったところで変革のリアリティは持てない(「言うことは立派だが小さいので力がない」)。
 となれば、権力や大勢力をもっていることによってその破壊のリアリティが強化されるのだから、「権力者こそ真の革命勢力である」という戯画がここにはある。

 この三者はいずれも新自由主義勢力であるが、新自由主義は多国籍企業にとって利潤追求の自由の障壁となるものをことごとく破壊する。ケインズ主義的福祉国家がもっていた規制やルールを破壊する様が、あたかも革命勢力であるかのように見えるのだ。

 しかし、こうした新自由主義にたいして、格差や貧困の拡大、安全性の犠牲、地方の切り捨て、という批判が澎湃としておこる。
 少なくとも生活の現状を維持したい――これもまたひとつのリアリティだ。



革新(左派)のスローガンは「保守」

 だとすれば、革命と破壊を呼びかけている新自由主義にたいして、対抗するスローガンは、驚くべきことに「保守」ということになる。

 保守(右派)が「革命」をスローガンとし、
 革新(左翼)が「保守」をスローガンとする。

 左翼のお前がいったい何と言うことをいうのか、と目をむいて怒り出す人がいるのはわかる。そして、こうした図式は小沢一郎がかつて「守旧派対改革派」ととなえたものや、現在の小泉政権がいう「改革派対抵抗勢力」などの宣伝にまんまと乗っかるものではないかという批判もあるだろう。

 この問題をもう少し考えてみたい。



戦後的価値を再評価する

 実は、自民党と民主党の旧来の支持基盤が動揺をきたしているという。
 自民党の支持基盤であった医師会、「農協」、郵便局、商店街、民主党の支持基盤であった自治体労働者、教員などである。
 医療「改革」が国民皆保険を崩壊させ、「新農政」が農村や農地主義を解体し、大型店の規制緩和が商店街を衰退させ、公務員削減や教育基本法改悪が現場を直撃しているのに、両党ともそれを加速しているからだ。

 これらの団体にこれまで一党支持の押しつけや様々な腐敗があったことは、ここではおいておこう。ぼくはいま、トレンドについてだけ話をしているのだ。

 また、いわゆる「平成の大合併」によって、自治体数が極端に減り、選挙の際の集票機構となってきた自民党系地方議員が激減している。自民党員は300万人台から100万人台へ大幅に減少した。

 合併が小自治体を切り捨てるというなかで、たとえば保守派と共産党が直接手をくんで自治体与党になるケースも少なくない。このURLは全国に64ある共産党与党の自治体であるが(2006..6.24現在)、70年代のような共産・社会で大都市において勝利するというパターンはほとんどなく、どれも田舎での、最近の勝利が多いことがわかるだろう。
 また、共産党が定数1の議員選挙で勝利するパターンもふえているのだが、これも合併によって切り捨てられる小町村での出来事が多い。

 これまでのような「平和」や「民主主義」、「中流生活」を維持したいと願う気持ちは、ある意味、虚偽の上に成り立っているが、そこには一つの切実さがある。

 それは戦後的価値を再評価するということである。

 いわゆる左派が示してきた価値である「戦後民主主義」、そして保守派が示してきた価値である「戦後経済」を「なかなか捨てたものではないではないか」と見直すということだ。

 しかし、それらはいずれも老朽化している。
 そのままでは使えない
 そこで、そうした価値を発揮させるシステムを修理しなおして国民に提示しようという発想だ。



現行9条下で専守防衛に徹する

 たとえば「平和」。
 いま、アメリカとの軍事同盟の深化によって、日本は改憲を迫られ、海外でのアメリカとともに武力行使する国へと道を開こうとしている。

 憲法9条は左翼にとっては完全な軍備放棄の理想として考えられたが、保守派はそれを「専守防衛・軽武装」の路線として考え、両者はある意味で幸福な同居を果たしてきた。
 この価値を再評価するとすれば、米国にしたがって海外で武力行使する道を拒否し、自衛隊員は「国防」のためのみに死ぬという、「専守防衛」路線を継続するということである。
 つまり、戦後の保守政権の憲法解釈を一つのリアリズムと考え、9条はそのまま残し、自衛隊は存続させ、国外には出さない、という方式をとるのである。
 もちろん、世論の変化次第でそれは増強されもするし、逆に縮小・廃止されもするだろう。しかし、戦後においてリアルに存在してきた「9条」をこのような形で自覚的に「選び直す」のである。



教育基本法どおりのデザインにする

 たとえば「民主主義」。
 教育基本法は、中央政府による統制を完全に拒否した。
 その理念どおりに教育を再構築するなら、市町村ごとに教育委員会を公選し、そこで住民参加によって教育計画をきめるということに改造する。
 もちろん、そこでは「新しい歴史教科書をつくる会」を採択し、日の丸・君が代を義務付ける自治体も出てくるだろう。その逆の自治体も出てくるだろう。そのような住民意識がモロに出てくるものとして、しかし、教育を住民自治によって再興する道が開けることになる。



地方の振興を公共事業・観光から「内発的発展」に

 たとえば「地方」。
 これまでの保守政権は、中央の大企業が輸出を中心にして富をかせぎだし、それを公共事業や誘致型の観光によって「地方に落とす」という富の再分配システムをつくり出してきた。
 しかし、長野県の田中知事の「脱ダム宣言」や、「新幹線新駅中止」をうたって勝利した社民党支持の滋賀県知事候補にいたるまで、地方の住民自身も、もはやこのシステム自身を見放しつつある。
 これは、中央のゼネコン・マリコン、その他それに関連する中央の大企業が仕事をおこない、その金はほとんど中央=東京に吸い上げられるからである。

「現在の日本は東京一極集中にみられるように、社会的剰余は東京都を中心に大都市に集められ、再投資される。したがって、地域が開発されればされるほど東京中心の経済が発展するという矛盾した結果となっている」(宮本憲一『都市政策の思想と現実』有斐閣1999)

 そこで、地方を振興するという戦後理念を再興するためには、従来型のシステムを否定し、「内発的発展」という路線をとる必要がある。
 すなわち、小規模な地方圏で産業をおこし、そこで雇用が生まれ、貨幣が流通し、再投資されるというしくみである。

 宮本憲一は、地域の内発的発展を次の3原則にまとめた(前掲書より)。

(1)目的の総合性
 つまり所得や人口を究極の目的とするのではなく、そこにいる住民が人間らしい生活を送れているかどうかをめざすという考ええだ。

(2)地域内産業連関をつけ、社会的剰余を地元の福祉や文化に分配する方法
 これは先ほどぼくがのべたようなことである。

「製造業・建築業などの物的財貨を生産する部門が相互に連関するだけでなく、それらに卸小売業・金融・観光・福祉・教育などのサービス部門が関連し、できるだけ地域内で財貨やサービスに付加価値をつけることがのぞましい。生産物が他地域で加工され、あるいは東京や大阪の商社やサービス業によって卸売やサービスされるよりは、地元の卸売業やサービス業によって売買される方が雇用も所得も増えるのである。/さらに、都市で生みだされる社会的剰余(営業利潤+個人の余裕資金+租税)が地域内で分配され、再投資され、その際にできるだけ福祉や文化など史上にのりにくい公共的な性格の財やサービスの向上にも分配されれば、地域の総合的な発展が可能になる」(宮本前掲書p.358)

(3)住民の参加と自治

 このような小さい経済自立圏を想定するなかで、「エネルギー自給圏」という構想も現実味をおびる。
 化石燃料や原発ではなく自然エネルギーによって小規模なエネルギー自給圏を形成する。その投資を市民がおこなってコントロールしながらおこなうというもので、欧米の都市ではすでにその雛形がある(もちろん、自然エネルギー利用は現在の技術では十分に引き出すことはできないから、主力は将来においても化石燃料となるだろう)。

「自然エネルギーはクリーンであるだけでなく、地域をベースにしたエネルギーとして地域経済を再生させる可能性を秘めたエネルギーである。地域特性に応じて多様な自然エネルギーをうまく組み合わせていけば、現状でも電力の地域自給すなわち“電力自給圏”は十分に可能である」
「また、自然エネルギーの担い手は必ずしも国家や大企業である必要はなく、地域において自治体や市民がただの消費者ではなくエネルギーの『生産者』として立ち現れてくる」
(中村太和『自然エネルギー戦略』自治体研究社、2001)



正社員と非正社員の完全均等待遇

 たとえば「雇用」。
 ぼくは、現在、財界の大戦略によって雇用が流動化(労働者の総フリーター化)させられつつあり、逆に大企業に蓄積した富は再分配されず、これが貧困と格差の根源となって、少子化や社会保障の空洞化を再生産していると書いた。

 戦後の企業社会は、正社員・終身雇用・年功序列・企業別組合によって、安定して将来を見通せる社会を構築しようとしてきた(実態はどうか別としても)。また、社員を育てる、つまり社会的常識人を育てるコストは基本的に企業が負担してきた。

 大企業が雇用を流動化させ、しかもたしかに労働者のなかにも「多様な働き方」を求めるニーズがあるとすれば、このシステムをそのまま使うことはできないかもしれない。

 だとすれば、どうすればいいのか。

 『「ニート」って言うな!』の共著者である本田由紀は、「若年雇用の現状」という論文(雑誌「都市問題研究」665号)のなかで、95年の日経連報告にもふれ、フリーター増加の原因を若者の意識に解消する見方を厳しく批判しつつ、次の4つを提言した。

「第1に、『学校から仕事への移行』を、従来の『学校経由の就職』のように離学時点にのみ正社員への入職口が開かれているような状態ではなく、学校を離れたのちに数カ月〜数年をかけて段階的に正社員に参入できるような柔軟な入職形態に変更すること」
第2に、一方では正社員の過重な負担を減らし、他方では非正規労働者の処遇を向上させることによって正社員と非正規労働者との処遇や働き方の大きな格差を緩和すること
「第3に、上記のように柔軟化した労働史市場においては若年者の職業能力が職とのマッチングの際により重視されるようになるべきであり、そのためには労働市場に参入する以前の学校教育と、労働市場参入後の企業外教育訓練期間において、有用な職業教育・訓練の機会を保障すること」
「第4に、柔軟化した労働市場における適職の模索や職業教育・訓練の選択を支援するための公的な機関を、学校教育の外部に整備すること」

 ぼくはとりわけ「第2」の提言が重要になると考える。
 「第3」「第4」については、雇用保険のうち、企業主負担を引き上げて職業訓練の基金とすべきである(現在でも雇用保険は一定このために使われているし、ジョブカフェなどは「第4」機関の萌芽であるといえる)。

 内閣府の白書によれば、スウェーデンでは、パート労働者は時間が短時間なだけで、あとはすべて正規雇用者とかわらず、パート労働者=短時間の正規雇用者という概念になっている。

 すなわち、非正規雇用は、期間や時間をくぎられているだけの正規労働者にまで待遇を引き上げるのである
 また、労働基準法などの労働ルールを厳格に守らせる。
 左翼の側は、正社員型の労働組合を見直し、非正規を軸にした労働組合に変化させ、多くの人が加入して利用できるようなものにする。

 そうすることによって、非正規雇用のメリットを、「短期」ということ以外にはすべて無くしてしまうのである。できればフランスのようにパート労働者は逆に正規雇用よりも10%賃金をあげてもいいかもしれない。



シャウプ税制の完全復活

 そして、「税制」。
 現在、法人税や所得税がおちこみ、消費税が基幹にすえられつつあることによって、税制が「再分配」として機能しなくなりつつある、とぼくは書いた。

 したがって、富を公正に「再分配」するシステムの復活が求められる。これはシャウプ税制の原則をそのまま生かせるであろう。何も老朽化していないのに、大企業によって骨抜きにされているだけだからである。

 すなわち、

(1)累進性
(2)直接税中心
(3)生計費非課税

である。そうなれば、消費税は縮小し、所得税・法人税が累進化していくことになるだろう。

 以上、「戦後的価値を見直す」というシナリオBの原則について書いてきた。



現行憲法を「選び直す」

 「いまの生活を維持する」「いま『いい』と思っている価値を生かす」というこの戦略のカナメにくるのは、すなわち現行の「日本国憲法」である。

 憲法9条について、はじめの方で述べたように、「戦後的価値」を具現したものがまさに現行憲法だからである。
 人口の大多数をかかえる農村の貧困が戦争の大きな原因となったのをみて、現行憲法は戦争の原因となる貧困を除去して、「豊か」で自由な経済を構想した。

 戦後政治や戦後民主主義をくり返すことではない。

 九条の会のアピールで「この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です」とのべているように、それは「選び直される」もの、すなわち「鋳直される」ものである。

 ぼくは、次回、この日本が「うまくいってきた戦後」を「戦後的価値を再評価する」という機軸で、「伝統的保守」と「土着左翼」の共同によって再興するというシナリオを最後に描いてこの企画の結びとしたい(対米従属や北朝鮮問題もそこで書く)。