30年後の日本


第12回 まったく別の道――シナリオB(下)



 シナリオBというのは、ぼくの「理想」ではない。
 30年後までに「現実」になりうると思う範囲の中での「良い」シナリオの一つというくらいの意味だ。ただ、実際には現実はこれをこえていくかもしれないし、シナリオAとBの「中間」でとどまるのかもしれない。

 以下そのシナリオにもとづく架空の記録である。2007年5月4日以後の出典等の記述はすべて架空なので、くれぐれも本気にしないように!



憲法改正案否決、「あのころはよかった」政権できる

 自民党・公明党・民主党共同で出した憲法改正案は、国民投票の結果、否決されてしまった。

 「現行憲法について変えるが9条は残す」「全条項を守る」というそれぞれの政治グループが共同し「9条以外は再検討するが、変えることは一致点にしない」ということで合意。
 その次の総選挙で過半数を得た。

 この過半数の政権には、(1)左派(2)自民・民主などに属さない保守派(3)自民・民主からの離脱派(4)中道派が加わった。(2)(3)が保守派であり、最大である。

 首相には保守派の紙屋高雪が選ばれた。


 選挙後、首相になる見通しがついた日の、紙屋の記者会見。

〈私たちのスローガンは「あのころはよかった」です。ものづくり、日本型雇用、戦後民主主義、地域社会のつながりなど、戦後日本の肯定的価値をそれぞれもちよって、新しい形で再興するのがこの政権の任務です。「あのころはよかった政権」とでもお呼びください〉(読捨新聞2015年9月20日付)



9条と25条の実現をめざす政権

 紙屋は、保守派と左派の憲法をめぐる政権共同について、〈2007年ごろだったかな、左派の機関紙で大学教授が面白いことを言っていた。あのことが今でも印象に残っているんだけども、あれが結局いまこういう形で実ったわけだけどね〉(産気新聞2015年9月13日付)とのべている。
 この紙屋が口にした大学教授――愛敬浩二・名古屋大学教授のインタビューが2007年5月2日の「しんぶん赤旗」に出ているので、紹介しておこう。

〈戦後の出発点には日本の政治的民主化、経済的民主化、文化的民主化という課題がある中で、日本国憲法はそれらを全部まとめるものとしてつくられました。とりわけ憲法の原点として重要なのは、国際協調主義に立つ平和構築の理想と、平等主義的な社会改革の達成という理念でした。その現れが九条と二五条です。/施行六十年たった今、未達成な部分を含め少しでもこれを実現する方向が目指されるべきです〉

〈安倍首相は単に憲法を否定したいだけではなく、日本国憲法の出発点にあった歴史観そのものを否定したい人物です。……問題なのは、単に九条を改定しようということではなく、国内的には「市場原理」を優先し格差を容認する社会、国際的には武力によって利益を「追求」する国が目指されていることです。〉

 紙屋は、産気新聞のインタビューで続けて、こうのべた。

〈自衛隊がいざというときのためにはいてほしい、でも海外でアメリカといっしょにドンパチやるっていうのはかなわない――つまり必要最小限度の実力として専守防衛に徹してほしいというのは戦後日本のすごくリアルな「9条の実践」なわけですよ。それから、「働けば報われる」あるいは「働けば少なくとも人並みの生活はできる」っていう社会ね。高度成長が前提になったけども、こういう勤労観をささえた戦後社会の経済倫理が25条にこめられてますよ。この二つを守り発展させていくっていうことで、たまたまサヨクの人たちとやっていくことになったわけですが何か?〉




紙屋内閣の経済構想

 紙屋は前々から著作『美しい国wwwwちょwwww』の中で、次のように書いていた。

〈問題はシンプルだ。社会を支える富をどこから生み出して、どう配分するかということである。富の実体は、財とサーヴィスだが、それを交換する権利、端的にいえばお金だ。その場合、グローバリズムによる分業を前提とすれば日本の発展の道は、知識集約型の国として、ビジネスモデルや技術・製品デザインの開発、マーケット戦略そして金融操作によって世界から富をかきあつめることが一つ。この富は大企業の社員と、その社員と家族の外食などの食事、家事、娯楽、休養、育児、介護をささえる厖大なサーヴィス業を中心に分配される。これは都会のモデルだ。もう一つは、地域経済の内発的発展である。生み出された富が貨幣という形で何度も地域内で循環する。貨幣をぬきさって事態をみてみると、住民が労働力や財貨を提供しあってお互いに支えあっていることになる。これは田舎のモデル。〉

 また次のようにも書いた。

〈ありあまるほど財貨がある必要はない。富は、ナショナルミニマムが保障されることと、将来までの安定した見通しがつけばいいのだ。戦後日本は無限の富の増殖を前提にして終身雇用を組み立て、将来の安定を見通させたが、新しい時代には、この右肩上がりの経済成長を否定した上で、将来の安定と「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することが政治の責任になる。〉

 紙屋は、経済における三つの重点をたてた。

(1)知識集約型を根本から保障する、教育への重点投資。
(2)累進課税の強化。
(3)非正規雇用の待遇改善。


 (1)については、これはいますすめられている競争・エリート教育とは逆に、「裾野を広げる」ものだった。少人数学級をはじめ教育の条件整備に力を入れた。「高い山には必ず広い裾野がある。細い土台の上に頂きを高くするのは愚か者のすることだ」(紙屋)

 (2)について紙屋は、「シャウプ税制の理念はそのまま現代にいかせる」と語った。これによって、大企業が集めた富が、企業に滞留せず、再分配されることになるというのが、紙屋の見通しだったが、法人税を1970年代の水準にもどそうとしており、財界から猛反発があった。

〈牽引すべき大企業が活力を取り戻してそのおこぼれが社会全体にまわる、というのが委員のご所見のようですが、私は少し考えが違います。実際には大企業が非正規雇用の活用などで労働者から所得を移転させているだけであり、しかも大企業に集中した富は企業内に滞留するか、国内ではなくインドや中国などの企業に回っているだけで、国内の中小企業を通じて再分配されるというシステムはかなり枯れております。減税につぐ減税で税収も入ってきません。だとすればきちんと儲けたら社会に環流していただくというシステムをつくるしかないのです〉(2016年5月11日衆院財政改革特別委員会)

 これも紙屋に2007年段階でインスピレーションを与えた論文として、「世界」誌3月号に、評論家の内橋克人の「大企業が人間破壊を行っている」がある。この論文によれば、日本が稼ぐ外貨50兆円のうち、上位30社で半分が稼ぎだされていること、これらの企業の利益の8割が輸出などによるもので、国内市場は2割にすぎないこと、「上位の企業がおさめる法人税率は売上高のたった1%」だという。(ちなみに、民間企業の法人所得税負担は、2002〜03年比較でみると日本はGDP比で3.3%、イギリス2.8%、ドイツ1.3%、フランス2.9%、スウェーデン2.5%だが、社会保障負担を含めると、日本7.7%、イギリス10.0%、ドイツ10.2%、フランス2.9%、スウェーデン13.4%となる。OECD、ユーロスタット、国立社会保障・人口問題研究所などのデータをもとに垣内亮が試算=雑誌『経済』2006年5月号)

 紙屋は大企業法人税の税率復元だけでなく、中・低所得者層の絶対課税額も増やしたため、与党である左派の一部からも猛反発が出た。「所得税増税は中位所得階層まで打撃が及ぶ。それをやる必要はない」と。紙屋は押し切った。


 (3)については、〈終身雇用制や年功序列制は毎年あがっていくという点ではなく、「人生の見通しを与えた」という点が大きな功績だ。そこを再興するのが必要になる〉と紙屋は著作で書いている。新政権は、正社員との平等待遇を法律で義務づけた。賃金面では有期雇用の場合、正社員によりも10%の割増を義務づけた。これによって、契約期間や労働時間以外に非正規雇用をふやすメリットを奪った。また、日雇い派遣をはじめとする登録制派遣を原則禁止とした。

〈部品の生産、組み立て、製品のデリバリーは海外で行われる。資本集約は海外でおこなえばいいし、人件費削減やリストラはそこでおこなわれればいいことじゃないかな〉(「首相に聞く 3」朝目新聞2015年11月3日付)

 この紙屋のインタビューをめぐり、発展途上国の劣悪な労働条件のうえに自国の繁栄を築くのか、という批判が左派から起きたが、紙屋は〈インドや東南アジアの労働条件はそこにいる労働者が資本家とたたかってきめる話だ〉と意に介しなかった。




古い教育基本法を復活させる

 なお(1)について、紙屋は2006年に改悪された教育基本法を、わざわざ戦後すぐのものに戻した。
 紙屋は、この教育基本法のデザインどおり、徹底した教育分権に改革した。文部科学省は「参考」程度の「学習指導要領」をつくることと、条件整備以外に権限はなくなった。
 かわりに、教育委員会の公選制度が復活し、教育は完全に「住民自治」によるものとなった。教科書の文科省選定は廃止されたので、どんな「教科書」を選ぶのかも完全に住民の自由となった(そもそも教科書とそれ以外の区別が消えた)。
 「日本の誇りをとりもどす国民会議」なるものがつくった歴史教科書がなんと30の自治体で採択されたし、「教育勅語」の現代版をつくって奉読させる自治体も現れた。与党である左派は国会で追及した。
 「日本の誇りをとりもどす国民会議がつくった歴史教科書に中国や韓国から批判が起きている。いくつかの自治体で教科書として使われているこの本をどう思うか」という問いに紙屋は「感想を言わせていただければ、よくできたつくり話だと思います。ギガワロス」(2017年3月2日衆院予算委員会)と答弁。野党席から野次と怒号がまきおこった。
 続けて紙屋は「畢竟、住民の意識水準がその地域での『子どもの最善の利益』というものを決めるし、どんなにひどいものがそこで決まってもその発展をしんぼう強く待つというのが教育基本法の精神であります」「中国や韓国の怒りはわかるけども、国の教育統制をやめて自律した市民、分権の教育をつくることこそ戦争の構造を除去し、戦争の過ちをくり返さないという憲法や教育基本法が予定したものです。私がどう思おうが、それを決めるのは住民です。国がそれをやめよとか使えとか言うことは一切言うつもりはございません。そのことは関係諸国に説明していく所存です」とのべた。



最低賃金で暮らした紙屋首相

 また(3)については 最低賃金を時給6〜700円代から1000円に引き上げた。
 憲法で保障する「健康で文化的な最低限度の生活」がどのような水準になるかを調査させたのである。
 2006年に仏教大学の金沢誠一教授が、20代男性の単身世帯で月20万円、賃金でいうと時給1112円と試算したことがある。金沢教授は「単なる生命の維持の水準でなく、今日の生活様式、慣習、社会活動を満たしうる生活の最低の社会的再生産の水準」と規定した。
 ちなみに厚労省資料によれば2006年時点での最低賃金は日本が時給で668円、イギリスが1039円、フランスが1148円である。同年の生活保護の基準では時給換算で1281円、働きながら借金を返す民事再生法の基準で1659円だ。

 「法律であまり高くすると労賃に市場作用が働かず硬直化する」という与野党の保守派の批判にたいし、紙屋は、国会答弁で次のようにのべた。

〈最低賃金が低すぎることが非正規の賃金、ひいては正規の賃金の押し下げをしており、それが将来の見通しのたたない収入状態をつくり出しています。最低賃金は本来、生計費、類似労働者の賃金、会社の支払能力の三つを考慮してきめることになっているわけですが、実際には支払い能力だけしか考慮していません。ルールどおりにしただけです。労賃も需給で決まるんでしょうけど、労賃が1円にならないのは生計費、すなわち再生産費用を軸にして、そのうえで需給で決まるからです。市場はまったく自由なのではなく、あるルールの上に作用するものなのです〉(2017年3月11日参院予算委員会)

 これについては一つの逸話がある。
 紙屋は「自分は首相の間、最低賃金で暮らす」と宣言したのだ。
 住居は借家。車は所有せず(公用車は利用)。保有している人が人口の7割未満のモノは必要生計費に計上せず。臨時支出の備えは消費支出の1割。中学生の子どもの学習塾費や冠婚葬祭用の礼服も計上を許された。
 紙屋はそれまでの資産をこの範囲にそろえて処分した。
 3DKの賃貸マンションに住むことになり、4人家族の紙屋の年収は578万円になった。月額48万円である。
 最低賃金を引き上げたといってもつましい暮らしであることにはかわりなく、紙屋はいつもツルシの背広であった。
 紙屋は外交のときもこのツルシ背広でしかも「National Minimum」と手縫いしてあった。保守派総合誌「謬論」で、評論家の右葉崙角(うは・ろんかく)は〈外交はその舞台となる現場では、言動はもちろん、一挙手一投足、容姿や服装から与える印象が大きく左右する。容姿の貧相さは自らの言葉の貧相さへとつながっている。紙屋ツルシ外交は、笑い者というだけでなく売国とさえいってもいい〉(2018年7月号)と酷評した。

 ところが紙屋はさらに、テレビ討論会で「天皇陛下は国民の象徴であらせられるから、国民の平均生活を定め、その水準で暮らしていただくというのはいかがだろうか」と提案したことがある(テロビ朝目系「マンデーオブジェクト」2018年7月1日放映)。
 もちろん、皇室擁護派や右翼から猛糾弾を浴びた。
 しかし紙屋は動じる様子がなく、住居の広さや平均所得などを割り出す試算をその後も熱心にテレビでしゃべったのだが、新自由主義の論客、利場足庵(りば・たりあん)から次のような批判をうけてからは、よほどこたえたのであろう、以後口にしなくなった。

〈「あのころはよかったなあ政権」が右肩あがりの高度成長をなつかしんでいるだけではないかという疑惑は、たとえば、紙屋首相がさかんにハシャいで吹聴している「天皇陛下の国民平均生活水準実践」という提唱からも裏付けられる。陛下にそのような平均生活水準を押し付けることで国民生活水準を向上させる国民的なインセンティブにしようというわけだが、皇室にふさわしい水準にまで国民生活全体をプルアップしていく必要が一体どこにあるだろうか。どこまでも果てしなく物質的豊かさを追い求めるというまさに高度成長センスである〉(雑誌「頓挫」2018年12月号)



紙屋首相の「天皇制改造計画」(未遂)

 脱線ついでに、紙屋がいだいていた「天皇制改造計画」にも触れておこう。
 紙屋の死後見つかった遺稿にその様々な構想が走り書きされていた。

〈1日天皇→× 天皇の公募→◎憲法解釈で可能か? 皇室典範改正〉
〈天皇の民間委託 諮問? 入札 レンタル天皇〉

 現行憲法の枠内で、天皇制という制度を実質大統領制にしてしまうという構想だった。共和主義的な合理性の持ち主だった紙屋は、この点だけが土着的保守と違っており、たえず論争のタネになっていた。

 法制上の最大のネックは憲法2条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」であるが、紙屋の構想メモから推察するに、「民選・公募の一般人を皇室の養子にする」ことを紙屋は考えていたらしい。これを無限に続けていくわけである。「世襲のための必要最小限度の養子」という走り書きもあった。紙屋のメモには初代民選天皇として、紙屋の好きな国民的アイドル「伊藤岬」の名前が候補にあがっていた。


 しかし、結局天皇にかんする紙屋の構想がいずれも日の目を見なかったのは、その扱いがこの政権と日本社会にとって焦眉の問題ではなかったせいであろう。



地方再分配を公共事業ではなく福祉でおこなう

 紙屋は朝目新聞の前掲インタビューで、地方への再分配の問題についてもふれている。

〈都市の経済はどんどんサーヴィス化している。都市の生活を見通せるようにするには非正規雇用の人たちの待遇を改善すればいい。問題は地方。この循環のシステムをどうつくるかが課題だ〉「首相に聞く 4」朝目新聞2015年11月4日付)

 続けて紙屋は2000年代初頭に福岡の地方を選挙でまわったときの感想をまじえて次のようにのべている。

〈10年くらい前に福岡県の田舎を選挙演説で回った時、保守系の地方議員で福祉法人とかやっている人がひどく多いのに驚いた。聞けば前身は土建屋だっていう。昔の地方への再分配機能は公共事業だったが、90年代に激減し喰っていけなくなり、みんな転身したわけだ。だが福祉を再分配機能として使うというのは実は効率がいい。このことを柱に据える必要がある。たとえば古い数字になるが、鳥取県の日南町は1999年の時点で高齢化率が36%。このときのこの町のコメの販売額は8億円だ。しかし、年金は14億円にもなるんだな。いわば福祉・社会保障が町の最大の「産業」になっている。それと、たとえば日南町で福祉施設をつくったとしたら、職員の給与、施設のコストでどれくらいのお金が地元に落ちるかを試算したものがあるが※、9億6200万円になる〉(同前)

※自治体問題研究所編集部編『福祉をふやして雇用も景気も 95年産業連関表による社会保障の経済効果試算』(自治体研究社)

 つまり、大企業が稼ぎだした外貨を税金の形で中央にいったん集中させ、それを社会保障として地方へ環流するというシステムである。紙屋は続けてこう述べている。

〈福祉は雇用効果が高い。また、施設の建設や修繕も、そして物品の購入も地元業者がやるので落としたお金はほぼ全額、地域をくり返し循環する。これが中央ゼネコンが介在する公共事業だとそうはいかない。一瞬にして多額の予算がゼネコン本部へすいあげられ、地域に落ちるお金は大分減ってしまう。そうではない、環流システムが要るのだ。この環流システムを経済学的にみると、地域社会の維持のために一定額を中央政府から援助をうけながら、のこりの財やサービスを地元で支えあっているという構図になる〉(同前)

 こうした改革に対し、野党側(桂紀恢腹=けいき・かいふく衆院議員)が批判を加えたことがある。それでも地方は昔のような活況は呈さないのではないか、という疑問である。

〈桂紀「総理の地方分配モデルでは成功しても食べていくのがやっとという感じだ。あなたがかかげるような『あのころはよかった』的活況は呈さないと思うがどうか」
紙屋「その通りだ。だが、憲法25条の保障する『健康で文化的な最低限度の生活』を国が構想できれば国の出番は終わり。あとは自助努力だ。昔のままそっくりよみがえるわけじゃない……」(議場騒然)〉(『紙屋高雪政策論集6』)



紙屋内閣の「現実的防衛」政策

 紙屋内閣が外交・安全保障面でまず着手した改革は、自衛隊の海外展開の完全禁止であった。各種の海外派兵法をすべて廃止し、自衛隊法からも完全に規定を削除し、自衛隊は「専守防衛」を厳格に行う部隊として再定義された。

 対ソ戦を想定してふくれあがっていた陸上自衛隊のかなりの部分をリストラし、それらの人員を独立行政法人「災害救助隊」に再編した。紙屋はさらにこの災害救助隊をゆくゆくは「完全民営化」し、民間会社とコスト競争しようとしていたのだが、これは結局紙屋の生前は実現しなかった。
 この部隊については海外展開を積極的におこなうものと位置づけられ、災害救助だけでなく、国際的に貧困や格差を是正するための活動をおこなう部隊として派遣された。
 紙屋は〈災害救助隊の国際活動はまさに憲法9条と「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という前文の平和国家理念を体現したものだ〉(2019年3月30日災害救助隊国民振興大会あいさつ)と述べたことがあり、このため災害救助隊はしばしば「9条隊」と呼ばれた。

 紙屋内閣の防衛大臣であった石不破繁哲三(いしふわ・しげるてつぞう)は、「現実的防衛」というコンセプトを打ちだした。
 すなわち、アメリカの朝鮮戦争支援、先制攻撃支援、中国脅威論や、軍需産業の要求という非現実的あるいは避けうる脅威についての備えをすることはムダだという考え方で、現実にあった脅威に対応した軍備に再編するというものだった。

 このため、米軍の出撃拠点になっていることによって逆に招いている脅威に対応するために、最終的には日米安保条約の廃棄(10条にもとづく通告)・米軍基地撤去、代替の日米友好条約の締結を目標としつつ、当面の改革をうちだした。

(1)米軍艦船が帰港する際は非核証明を厳格に発行すること
(2)安保条約を厳格に運用し、日本を米軍の出撃拠点にすることを禁じること
(3)思いやり予算の廃止
(4)1999年の周辺事態法、2003年の有事関連法の凍結・廃止
(5)米軍の先制攻撃戦略の補完でしかないミサイル「防衛」計画の凍結

 紙屋は〈こういう措置は逐次投入的にやっても意味がない。アナウンス効果をもって初めて安全保障の役に立つ〉と自著『美しい国wwwwちょwwww』のなかで述べていたとおり、「東アジア平和拠点宣言」を出し、米軍の出撃拠点としての役目をやめることを北朝鮮・中国、そして国際世論にアピールした。

 「現実的防衛」のコンセプトのもとに、現実的な脅威に備えるために、かわりに強化したものとしては、次のものがある。
 潜入部隊やテロに対応する特殊部隊を抜本的に強化。各師団に数百人規模のものを編成した。また、テロに警戒するための日常的な警察力も増強した。
 海上の不審船、島嶼防衛、資源防衛などへの対応として海上保安庁の部隊を増強するとともに、権限を強化した。海上・航空自衛隊についてもこの部門は一定強化をはかったが、トータルには軍縮となった。

 石不破大臣は、空虚な「脅威」論を皮肉るために、陸上自衛隊をリストラする前に、「NK国侵攻富士大演習・イリュージョン2016」を敢行した。
 これはNK国がミグ17、スホーイ7などの2世代前の戦闘機で日本へ侵攻、フリゲート3隻と沿岸警備艇で日本を急襲するというシナリオで、なぜか1960年代以前の戦車部隊が大量に上陸、ガソリンがなくて動けなくなり、最後は核ミサイルが飛んできて終わりという想定だった。
 核爆発に備えるために、落下予測地点から高速で逃げる練習も入っていた。



安保条約破棄をめぐる紆余曲折

 もちろんこうした動きをアメリカが黙っているはずはない。
 アメリカの上院が、紙屋内閣の動きを北朝鮮に対する圧力を解除する動きとして非難する決議をあげるとともに、当時のオサルノ・ジョージ米大統領は、紙屋首相が安保条約廃棄を将来目標にすると述べたことを契機に、日米首脳会談を拒否したのである。

 「フォーリン・アフェアーズ」誌には、元国務副長官のアンクル・サムが「あぶなかしい道」と題する紙屋内閣批判の論文を載せ、話題となった。

 紙屋首相は、これらの動きをうけて「安保条約廃棄は現在おこなう予定はない」と再宣言をせざるをえなくなった。これには与党内の左派政党から「公約の後退」という激しい批判の声があがり、ナショナリズムの側から安保廃棄に期待をよせていた右派からも指弾されるにいたった。


 しかし紙屋は、安保条約の先制攻撃拠点化さえ実質防止できれば、むしろ日本防衛に限定して米軍がいることで何らかの抑止性があるのではないかと思っていたふしがあり、以後安保破棄については積極的な行動をとらず、上記の(1)〜(5)の当面改革に専念した。



「反省外交」もしくは「土下座外交」

 紙屋内閣の安全保障上の最優先課題は、むしろ東アジア情勢の安定、日本の道義的立場の戦略的な確立にあった。
 このために、紙屋首相は、中国・韓国・北朝鮮にたいして積極きわまる「反省外交」、批判派からは「土下座外交」とよばれた外交を展開した。

 なぜ「土下座外交」と呼ばれたか。
 これは、西ドイツのブラント首相にならって中国の南京大虐殺記念館、韓国の西大門刑務所歴史館で文字通り「土下座」をおこなったからである。さらに、国会で「靖国神社は侵略戦争の精神的動員装置」と答弁、国立戦没者追悼施設の建設に着手したのである。
 これらは、日本国内で衝撃を与えるとともに、中国・韓国で大変な反響を呼び、これらの国々の政府の思惑が吹っ飛ぶほどに紙屋人気を高めた。

 かわりに、領土問題ではかなり強気に出た。
 「尖閣諸島は侵略戦争で奪った土地ではなく日本の固有の領土です」と日中首脳会談で表明、竹島問題についてもついに国際司法裁判所に訴える挙に出た。
 さらに、ロシアにたいしても、「領土不拡大原則にそむいたスターリンの行動」の問題を日露首脳会談のなかで提起し、クナシリ・エトロフだけでなく千島全島が日本の領土であることを主張。ロシアのユ・イ・ボルシチ大統領が激怒したという。

 紙屋首相のめざしたのは、「道義的立場の戦略的確立」だった。すなわち国際公理に訴えられないものは徹底して引き、逆に国際世論にアピールできる道理をもったものは徹底的に押しまくるというものだ。
 親密さアピールなどの終始した外交から、国際世論の全体を意識した外交へと大きく転換し、これによって、東アジアでの道義的イニシアチブをめざそうとした。そして北朝鮮をめぐって続けられていた「六ヵ国協議」を東アジア共同体の基礎にしようとしていたのである。



紙屋の最期

 だが、これらの道は2021年2月11日に突然断ち切られることになった。
 大企業に応分の負担を求め、アメリカのヘゲモニーに背反し、そして何よりも「土下座外交」を続けたことを反動派は黙っていなかったのである。

 紙屋はその日、「建国記念の日」をあざ笑うように、福岡の「まんだらけ」に入り、2階のエロ漫画コーナーに行こうとした。目撃証言によれば、「まんだらけ」2階のエスカレーターをのぼり、「成人むけ」の棚の作家名「さ行」を熱心に探していたあたりで、突如「氏ねやあああああああああああああああ」という吶喊の声とともにメイド服を着た少年が飛び出してきたという。

 紙屋は意識不明の重体に陥り、翌12日帰らぬ人となった。
 犯人は逃走。真相はいまも謎につつまれたままである。