30年後の日本


第1回 シナリオA「多様な働き方ができます」



シナリオA

 シナリオAはいまの政治・経済トレンドを延長していった先にある社会だ。国際環境もまた同じ。いわば「延長社会」である。そのなかである意味で「最悪」、しかし現実性をもったシナリオを考えてみる。

2050年のわたしから この「延長線」タイプのシナリオについて、もっとも極端にしたのが金子勝・ヤマザキマリ『2050年のわたしから』(講談社)である。現在のトレンドをグラフ化し、それを直線で延長線にしてしまうので、「年金納付率は0に」「投票率はゼロに」などとなってしまうのだ。「そうするととんでもない結果が導かれてしまいます。しかも、この本来『ありそうもないシミュレーション』が不気味な現実性を帯びてくるから不思議です」(同書p.115)とあるように、凡百の財界系シンクタンクがいかに「もっともらしくみえる」数字を並べても、ちょっとした条件の変化で大きく狂ってしまい、「いつも大きく外れてしまう」(p.113)それらシンクタンクのシミュレーションよりは、はるかにリアリティがあると豪語している。

 当研究所はそこまで極端な方向をとらなかったが、それでも同様の「延長線」という考えでシナリオを考えてみる。

  • 二極化が極限まですすんだ社会。
  • その根源にあるのは「非正規=不安定雇用」の多数化。
  • 多数の「不安定雇用」組は、子どもをつくらないし、つくれない。ゆえに、少子化はさけられない。
  • 当然そのうらはらとして高齢者の人口比率は高まり、年金・医療・介護などの社会保障は「ミニマム」化する。
  • 基幹税制は消費税になり、法人税・所得税は空洞化され、いまよりさらに「小さな政府」になる。
  • 「再分配」、それにもとづく「社会保障」という考えが衰退する。
  • 教育は労働の選別化にあわせて格差をもうけられる。
  • 先行きの見えない社会では、自殺、犯罪などが増大し、それを抑圧するための治安コストが上昇する。


 少子高齢化とか、年金や医療がどうなるか、とか様々な問題をたてられるが、最大のカナメになるのが、「雇用」の状態である。


 若年層でいえば非正規雇用(フリーター)の平均年収は、正社員の半分だ(384万円と140.4万円。2003年厚労省、リクルート2001)。生涯賃金差は2.2億円にものぼる(丸山2003)。

 「非正規雇用」が圧倒的多数になれば、貧困が広がる。格差とは貧困が広がることである。
 内閣府レポート(2004)によれば、一般労働者(一部にパートなどをふくむがだいたい正社員としよう)の月額賃金は平均33万円なのに、派遣労働者は20万円、パート・バイトでは9万円だ。非正規雇用労働者の8割が月20万円以下の賃金で生活している。
 若年層の間での格差と同じような比率であることがわかる。

 企業は「人件費の節約」という観点から(2003厚労省調査)、つまり資本の側に富を蓄積させるための手段として「正社員主義・終身雇用制・年功序列」の解体=「非正規化」=労働力の「流動化」をすすめている。


労働者は3つのグループに分かれる

 財界は1995年の日経連(現在経団連に統合)は「新時代の『日本的経営』」という研究レポートで、正社員主義・終身雇用だった日本の雇用制度を解体し、「ひとにぎりの正社員(長期蓄積能力活用型グループ)」「少しの専門家(高度専門能力活用型グループ)」「大多数の非正規雇用(雇用柔軟型グループ)」の3分野に解体させてしまおうというねらいを発表した。

 不安定雇用をふやすことで、その分、企業がもうけるということになる。事実、日経連報告以後、企業利益と家計所得は1997〜98年ごろから「逆相関」をしめしはじめる。「企業がもうかったときには従業員の給料もあがり、企業がもうからないときには従業員の給料もさがる」という高度成長期の「幸福な運命共同体」の神話は崩壊している。リストラや非正規化で企業側が徹底的にすいあげることと、もうけを従業員ではなく、自らの蓄積や株主にまわしてしまうのである。

 この財界のねらいを、「わかりやすく」のべたのが、櫻井修・住友信託銀行相談役(当時)だった。彼は日経連報告の2か月後、私大の学生生活担当者の研修会でこう語ったという。


(1)「ブリリアントな幹部要員」

「本来、大企業が生き残るためには、どういう形であるべきか。トップの能力が重要なのは無論だが、そのトップを支えるきわめてブリリアントな幹部要員、参謀本部が必要です。ほんのひと握りでいいが、人柄がよいなんてことではなくて、徹底的に勉強してきた人間でなければならない」

 これが正社員、「長期蓄積能力活用型グループ」である。

(2)「契約制のスペシャリスト集団」

 つぎに、「高度専門能力活用型グループ」について語る。

「それからマネジメントのプロと大量のスペシャリスト集団。これも一括採用した正社員たちの中から企業が育てればよいなどという生半可なものではなくなっている。現時点で必要な人材を、その人材が要求する金額で採るとなれば契約社員のような形になって、これだけでも新卒一斉採用は崩れるしかないのです」


(3)「ロボットと末端の労働力」……orz

 最後に「雇用柔軟型グループ」だ。

「あとはロボットと末端の労働力ですが、賃金にこれほどの差があるのでは、申し訳ないけれど、東南アジアの労働力を使うことになるでしょう。そういたしますと、学生諸君には参謀本部入りを目指して大企業にチャレンジするなどとんでもない話。マネジメントのプロなりスペシャリストになってもらわなくてはならないのです」(以上、斎藤貴男『機会不平等』文芸春秋、p.26〜27)

 NHKスペシャル「フリーター漂流」でものべたように、ここはロボットやアジア労働力との競争相手として徹底した不安定さと低賃金のもとにおかれた「フリーター」たちがおぎなっているのである。

 それから8年。
 2003年に、経団連は国際競争力の強化を目的にして「活力と魅力溢れる日本をめざして」という方針文書を発表したが、そのなかに「多様化する個人が、多様な働き方を選択し、働きに応じて報酬が得られる仕組みを構築しなければならない」「働き方によって人事や処遇が異なるのは当然である」「多様な選択、多様な人生がまっとうできる制度システムが用意される必要がある。その際、重要なのは結果の平等を求めないことである」と書いた(参考:今村幸次郎「ねらいは戦後労働法制の抜本的転換に」)。
 これが財界のいう「多様な働き方」である。


野村総研の頭の中――美化と裏腹のフリーター罵倒

2010年の日本―雇用社会から起業社会へ  このような財界の雇用戦略にたいして、「多様な働き方」ともちあげるのが財界シンクタンクのアタマの中と売文稼業といえる。 野村総研『2010年の日本』は、その副題が「雇用社会から起業社会へ」となっているように、正社員という安定からの「解放」を「自由」だととらえるのである(この本についてはのちにくわしく扱う)。

 そして、そうした「美化」とコインの裏表の関係にあるのが、フリーターへの愚痴であり、「説教」であり「罵倒」であるといえるのだ。

 しつこいようだが、ぼくは今財界のかなり露骨な「労働力グループ分け」の証言をあげた。そして実際に進行しているのは、労働力の「非正規化」であり、もっといえば「使い捨て」のような働かされ方である。

 ところが、野村総研は、『2010年の日本』のなかでフリーターとニートをいっしょくたにしたうえで、次のように規定する。

「日本もある一定の豊かさの水準になってきていることから、個人から見ても、社会全体から見ても、目標不在の状況になっていると考えられる。とりわけ、若者を中心に『何のために働くのか』あるいは『やりたいことが見つからない』という人が増えている。働く動機そのものが非常に不明瞭になってきているわけである」「明確な目標、わかりやすい目標というものがなくなっている。フリーターやニートの増加の背景には、このような基本的な価値観の変化があると考えられる」「今後、若者の働くモチベーションというものをどう作っていくのかが課題になっている」(p.24〜25)

 お馴染みの説教だ。
 さらに、読みすすめれば、シンクタンクで働く人間の居酒屋談義、ソープランド説教は加速していく。

「フリーターから見れば……〔中略〕……人の人生にとやかくいう権利は誰にもないだろうと反発されそうだ。しかし、今のフリーター状態に落ち着いてしまうことは彼ら自身の将来にとっても問題である。フリーターが担当するほとんどの業務は“自由”でも“個性的”でも何でもない、それは企業の都合によって生み出された、ただの『マニュアル労働』である。これを繰り返しているだけだと、自ら創る、変える、動かすための頭と体の働きが弱くなる。自分の問題を主体的・能動的に捉えることができなくなり、“やらされ感”だけが募っていく。そして問題があると、それは上司のせい、社会のせいだと言って他人に転化し、自己を肯定化する傾向を強めていく。こうした状態を続けたまま、将来はプロフェッショナルや起業家になりたいと夢見ても土台無理である。なぜなら起業家やプロフェッショナルに求められるものの考え方や資質というものは、こうした『野党的批判根性』とは正反対のものであり、問題を自分のものとして受け止める覚悟が基本だからである」(p.67)

「〔フリーターには〕現実と期待値に大きなギャップがあり、しかしそのギャップを埋める行動が不在なまま、現実の仕事に対する無気力感を募らせる。“オンリーワン”とか“自分探し”という耳触りの良い言葉を逆利用して自分を正当化してみるものの、実際には確たる目標を持てないでいる」(p.68〜70)

 オフィスの中で、資本に魂を売って搾取を正当化する仕事をばかり繰り返していると頭と体の働きが弱くなる。自分たち財界の問題を主体的・能動的に捉えることができなくなり、“このやろう感”だけが募っていく。そして問題があると、それはフリーターのせい、ニートのせいだと言って他人に転化し、自己を肯定化する傾向を強めていく。こうした状態を続けたまま、将来は起業社会になると夢見ても土台無理な話である。なぜなら、フリーター問題解決に求められる考え方というものは、こうした『若者が悪いんだ論』とは正反対のものであり、財界が問題を自分のものとして受け止める覚悟が必要だからである。



6〜7割は非正社員になる

 さて、このような非正規社員化はどれくらいのスピードですすむのか。UFJ総研の丸山俊は、30年後にはフリーターが4割をこえると見た(2003丸山)。現在は2割だから、倍になるということだ。これは若者全体のなかでの数字である。よく「若者の2人に1人はフリーター」というデータがあるが、これは24歳以下でしかも「被用者」のなかでの割合なので、若者のなかで倍になるということは、給与をもらうような労働者のなかではもう8割とか9割が「フリーター」(非正規雇用+失業者)になるのだといえる。

 若者だけでなく、全年齢階層ではどれくらいになるだろうか。
 財務省・財務総合政策研究所は中高年フリーターの数を現在は46万人で、2021年には3倍の146万人と推計したのだが、この推計には首をかしげざるをえない。全年齢でみると、非正規雇用は現在33%(総務省2006)だから、被雇用者の6〜7割くらいになるだろう。ちなみに現在の被雇用者総数は5459万人(総務省2006.4)。




正社員は残業「代」ゼロ社会になる

 ひとにぎりの正社員とて、「勝ち組」ではなく、成果主義賃金のなかでいっそう苛酷な競争にさらされる。
 成果主義賃金はすでに上場企業の90%で導入されており、30年後の日本では一般企業にも導入されているだろう。
 労働時間ではなく、会社が判断する「成果」をあげることが基準とされる労働社会では、労働時間は破滅的なほど無制限になる。

 日本経団連は05年に「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」を出している。年収400万円以上の労働者に対しては(ほとんどの労働者だ!)、労働時間規制の適用を除外できるようにする制度だ。ここでも経団連は「国際競争力強化のため」という口実を使っている。ちなみにこれはアメリカの要求でもある。アメリカ商工会議所が提案している「残業手当の対象外の拡大」は、2005年の「日米投資イニシアチブ」の実務者会合で要求されている。
 すでに政府は2006年の「規制改革計画」に「労働時間規制の適用除外制度の整備拡充」をもりこみ、厚労省においては07年度に法案を出すように作業がすすんでいる。

 30年後の日本では、低収入の非正規雇用の増大と、何時間働いても法律で規制できない正社員が存在していることになる。