黒井文太郎『北朝鮮に備える軍事学』



北朝鮮に備える軍事学  入門書として面白かった。役立った。

 最初にことわっておけば、黒井文太郎は月刊「軍事研究」出身の軍事ジャーナリストである(現在、同誌の別冊「ワールド・インテリジェンス」=スパイとテロの情報専門誌の編集長)。タイトルからも推察されるように、いわゆる「反戦派」ではない。
 「軍事」という視点から、日本の国防にリアルに必要なことを説く。

 ぼくは反戦派に分類されるであろうが、「反戦」とか「軍事増強」とかいう立場をいったん保留して虚心に読むと、日本にとってどんな「脅威」があるのか、それにたいする「対策」は何か、ということが平易にわかる。

 本書の特長は3つあるだろう。



(1)「脅威」を精確にしぼりこむ


 ひとつは、日本をとりまく環境のなかで「脅威」とは何であるかを冷静にみつめ、リアリティあるシナリオを描いていることである。

 左翼や平和運動家のなかで、「北朝鮮は脅威ではない」、というふうにロジックをたてている人がいるけども、たとえば日本共産党も社会民主党も、06年10月14日に国連安保理が採択した北朝鮮制裁決議を肯定的に評価している。その決議は「北朝鮮が声明した実験が、この地域およびそれを越えてさらに緊張を高めたことに深い懸念を表明し、従って、国際の平和と安全への明白な脅威が存在すると決定し」と「脅威」の存在を明言している。

 そう、現状では北朝鮮が核実験をおこなったことは日本をふくめた東アジアにとって「脅威」なのである。
 しかし、その脅威とは何か、ということを冷静に見つめることが必要なのだ。

 黒井は、2章「北朝鮮軍はどれほどの実力があるのか」という章で北朝鮮軍の装備などを検証し、この国の軍隊が日本に対して着上陸侵攻や航空侵攻なんてできるわけねーだろ、と主張している。
 そればかりか、北朝鮮だけでなく、中国・ロシアをふくめ、〈冷戦終結後、日本を侵略しようという国はもういない〉(p.222)と断じている。

 唯一残る問題は、北朝鮮の核兵器・ミサイルの存在なのだ。

 これについても黒井は〈政治的な合理性を考えると、北朝鮮が日本に核搭載ノドンを撃ちこまなければならない理由は、少なくとも平時には考えられない〉(p.5)とのべている。
 そのうえで、〈ロシアや中国のような安定した国家ではなく、北朝鮮の独裁政権はいずれ何らかの非平和的状況のなかで倒れる可能性が現実にある。いつ何が起きてもおかしくないような国だから、核も「絶対に使用されない」とは言い切れないのだ〉(p.5)と主張する。

 黒井は3章「米軍の『戦争計画』の全貌」で米軍の作戦の変遷をたどりながら、米軍の軍事理性が朝鮮半島における有事をどう想定しているかを見ていく。これをみるとよくわかるが、そこでは核開発をめぐって米朝が緊張におちいり、戦争がぼっ発するというシナリオになっている。
 黒井のいう〈何らかの非平和的状況のなかで倒れる可能性〉というのは、まさにこれである。国家滅亡の自暴自棄の瞬間に〈いつ何が起きてもおかしくない〉という状況が出現するというわけだ。そのときはじめて、日本にとって北朝鮮の核兵器やミサイルは現実の脅威となる。
 ちなみに、黒井は、“北朝鮮が使うときは国家滅亡の自暴自棄の瞬間だからもはやいかなる抑止力も効かない。平時は米軍の抑止力で十分。ゆえに日本の核武装には何の意味もない”と日本の核武装を否定している。

 このように、米朝対立による朝鮮有事こそが最も警戒すべきリアリティであることを平易な言葉とロジックで証明していく。



アメリカの想定している戦争のリアル


 ぼくは自分の有事法制議論の裏付けをここで得た思いがしたが、同時に、黒井の米軍の戦争計画の変遷をみていくことで、いくつか考えを更新せねばならないことも痛感した。ぼくの想定はせいぜい作戦計画5027(1998年版)あたりまでで、04年版ではデジタル化や電撃作戦がかなりすすんでいる。

〈2000年頃に構想していたような「69万人の米軍増派」は行われないだろうということだ〉〈数万人規模で投入し、開戦と並行して部隊増派という手順になると推定される〉(p.118)

 ぼくは有事法制議論のなかで、有事法制というのは日本が攻めてこられる備えじゃなくて、米朝が朝鮮半島で戦争をはじめたときの兵站基地になることであり、先制攻撃の支えをすることなんだ、とのべたが、黒井の次のような呪術をみて、自分の議論はだいたい的を射ていたと思った。

〈94年の核危機の際に明らかになったことのひとつは、日本が米軍の軍事行動にどこまで協力できるのかまったく決まっていないことだった。このとき、米政府から日本政府に「朝鮮有事の際の軍事協力をハッキリさせろ」との要望があり、それで防衛庁では極秘に「K半島事態対処計画」という報告書を作成している。こうしたことから、作戦計画5027の96年版では、米軍の攻撃拠点および後方支援拠点として、日本をどう使うかということが具体的に検討されたとされている〉(p.109)、〈周辺事態法というのは、本来なら「朝鮮半島で北朝鮮と米韓軍が戦争を始めた」ことを前提として、米軍に日本が協力する手順を決めたものだ〉(p.182)、〈この改訂版〔米軍の戦争計画の98年度版――引用者注〕で「先制攻撃」の考えが初めて導入された〉(p.110)

 しかし、この状況は現在では変わりつつあるようだ。もちろん、先制攻撃論や自治体や民間人が動員されるという法制の本質はかわりないのだが、黒井によれば、当時有事法制の制定を米軍があせったのは69万人増派体制を前提としていたからだということなのだ。

〈なぜ米側がそれにこだわったのか? というと、おそらく当時の米軍の朝鮮有事作戦計画では「90日以内の米兵69万人の増派」が想定されていたからだろう。69万人の増派となれば、それに付随する物資の補給量は膨大な量になる〉(p.183)

 しかし、米軍の想定がかわり在日・在韓米軍基地でほとんどまかなえるだろう、というのが本書の見通しである。

 ちょっと話がそれてしまったけど、いずれにせよ「米軍の先制攻撃による朝鮮半島有事、核などをつんだミサイルの暴発」というシナリオが一番リアリティがあるのである。



(2)対策をしぼりこみ、可能不可能を峻別


 本書の特長の2つめは、そういう現実的な脅威をしぼりこんだうえで、必要な対策を定め、不要な対策をばっさばっさと切り捨てていくことだ。冒頭の核武装論を一刀両断で不要だと断じているのはその典型だ。

 この作業をおこなうなかで、黒井は、日本の法制度や軍事力はどの程度まで対応しているか、ということをわかりやすく伝えている。


 一般的に兵器解説や法制度解説というものは、精確に書いていくと難しくなっていって、シロウトにはよくわからない自己満足な文章になることが多い。しかし、黒井の文章はあくまで平易。
 重要なのは、法制度や装備の一番前のところまで読者をつれていって、どこでせめぎあっているかをきちんと示すことだ。

 たとえば船舶検査。北朝鮮の核実験によって、現実に発動されようとしている法制であるけども、いま日本にできることは何であって、できないことは何であるかを峻別していく。現行法の範囲では〈実際に海自の艦艇が船舶検査で不正な戦略物資密輸の現場を摘発するということは起こり得ない〉(p.181)というのが黒井の結論である。
 だから、船舶検査に参加しないと、北朝鮮の核開発に手をこまねていて見ていることになってしまう、というロジックを新聞とかでみるが、この本を読んだ後だと、それはちょっと違うのではないか、とぼくなどは思うわけである。

 あるいは、ミサイル防衛や敵地攻撃能力などの検証も簡単になされている。

 これらの制度や装備に賛成するにせよ反対するにせよ、日本がどこまで今できるようになっていて、次の一手をうつために何がねらわれているかは、この本で大ざっぱにでも知っておくべきだろう。



北朝鮮の核開発で焦点になっていることは何か


 以上のことの延長線にあることだが、北朝鮮の核開発についての冒頭のくだりがおそらく「ニュース解説」としてシロウトには一番役立つかもしれない。

 ぼくのような事情に通じていない者がニュースを聞いていると、北朝鮮で核兵器が開発されたこと一般が危険なことのように思えてしまう。とりわけ核兵器というのは存在自体が人類と共存しえない、という平和運動をぼくはやっているので、北朝鮮が核兵器を開発した、という話と、ロシアが核兵器をもっている、という話は「等価」で聞こえてしまうのだ。

 黒井は、核兵器のしくみをまず解説する。よく「原爆は簡単につくれる」という話を聞くけども、じゃあ北朝鮮も簡単につくれるのかなと思う。しかし、この本をよむと、北朝鮮が軍事技術として核を開発するうえではいくつもの制約条件があり、最終的にかの国が苦労しているのは「プルトニウム型」を「どう起爆させるか」という技術の開発なのだということがわかる。

 したがって、東アジアの平和と安定にとって、現実的な脅威になってくるのは「寧辺2号原子炉が稼動してプルトニウム量産が始まる」というシチュエーションであることを黒井は解説する。

 そして、アメリカにとっての北朝鮮の「脅威」と、日本にとってのそれはズレがあることを指摘したうえで、〈日本の安全保障からすると、「北朝鮮がノドンに搭載可能な小型核弾頭を開発すること」が絶対に許してはならない“レッドライン”であり、続いて「プルトニウム量産態勢に入ること」が“準レッドライン”と認識すべきだろう〉(p.49)と断じている。



現実的な「国防見直し」提起のために――左派も応用を


 最後に黒井は7点にわたって「国防政策見直しのススメ」を提言している。実は個人的にはこれが一番面白かった。
 詳細を紹介することは控えるけども、先ほど述べてきたような北朝鮮の「脅威」についての現実的な認識をこの本から得たとき、その対策を軍備増強派であっても、反戦派であっても出すことができるだろう。黒井の提言はそのどちらにとっても有益なものだろうとぼくは思う。


 以下は、黒井の議論ではなく、ぼくの考え。

 現実の脅威とは北朝鮮の核兵器開発であるとすれば、軍事の出番はほとんどない。黒井も〈北朝鮮の核兵器についていえば、日本が軍事的に準備できることはあまりない〉(p.208)と言っている。
 黒井が〈日本の軍備をどうするかというよりも、これは外交上の問題である〉(p.211)とのべているが、ぼくは外交努力に傾注すべきであると思う。
 さらに、黒井は米軍は北朝鮮あるいは中国などにとって「抑止力」として作用しているとのべていて、それは一理あるとぼくも思うけど、じゃあ米軍基地を日本において日本がこの米朝の争いに巻き込まれることをなんでそもそも受忍せんといかんのだろうと思ってしまう。
 つまり、根本的には、日米軍事同盟を破棄して、日本が兵站基地になることをやめ、「非同盟中立」を宣言するのが一番いいではないか、と思う。北朝鮮が日本を攻撃する意味がなくなるのである。わざわざコストをかけてそんなことをやる必要がない。

 日本を侵略する国はなくなった、というのが黒井の認識である。
 領土紛争は将来あるかもしれない、と黒井は言い、そこで米軍の抑止力について言及している。しかし、黒井はそのあとでけっきょく本土侵攻はないだろうしあっても島嶼での紛争だろうと述べる。
 たとえば米軍が日本にいなくなったとして、日本は中国やロシアとの全面戦争を想定して軍備をしないといけないのかというと全然そんなことはないだろうと思う。島嶼を侵略されたとしても、それを軍事でどうこうしようとするのはバカらしすぎる。
 現に、竹島には韓国軍がいるし、千島にはロシアが実効支配をしいているけども、じゃあ自衛隊が「防衛」をかざして出かけていくのがいいのかというとそんなことはまったくない。外交の力で相手を追いつめた方がむしろ有効だ。

 日米軍事同盟を破棄しないと仮定しても、大胆な軍縮・再編案は可能である。

 黒井は、陸自は旧ソ連の侵攻に備えて北海道でそれを食い止めるために配備され、しかもそのあとは「軍事的空白」にならないように全国津々浦々に「基盤的防衛力」として陸自の部隊を張りつかせるという〈まったく理解できないし、現実にも合致しない〉(p.221)ことをやりはじめた、と本書でのべている。

 黒井は日米同盟を前提としている論者であるが、彼は〈現有の陸上自衛隊の戦力を大幅にリストラし、右記の施策〔北朝鮮の第一撃に備える施策――引用者注〕に投資を集中すべきだ〉(p.209〜210)とのべている。あとはテロ対策に少々残しておけばいいの、と。

 黒井は海外派兵のために部隊を練成しておけ、といっているのだが、仮に専守防衛に徹するならこうした強化は不要になる。

 そうすると、現状の認識や体制を前提としたとしても、陸自を徹底リストラする一大軍縮ができるというものだ。
 左派は日米軍事同盟の破棄という根本的提起を用意しつつ、このような「現実案」を対案として用意してもいいかもしれない。





講談社+α新書
2007.1.28感想記
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