重村智計『最新・北朝鮮データブック』

 「日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない」(清沢冽『暗黒日記』)

 「(日本の政治は)歴史に学び、相手のことを考えた危機管理ができない」(堀田善衛『めぐりあいし人々』)


 北朝鮮への憎悪と恐怖と蔑視のみから組み立てられる「外交政策」というものは、戦前、清沢が痛烈に批判したように、戦前のアジア侵略につらなっていく日本外交と似ている。
 現時点で日本の対北朝鮮外交がそういう色彩一辺倒だとは思わないが、歴史的にアジアにたいしては相手の立場に立つという発想が不足しがちであることはどうしても否定できない。それが堀田の発言(この発言は1999年のもの)となって表れた。

 重村は、本書のあとがきで、「国際政治の原則は、まず相手の国の立場になって理解し、判断することである。好きであれ、嫌いであれ、相手の実情を理解することが最も大切である」と外交の要諦をのべているが、これはおそらく北朝鮮をめぐる強硬と排外主義が席巻する日本において、もっとも欠くべからざる視点であろう。

 本書全体が、北朝鮮の国際無法や専制国家ぶり、かつ外交的狡猾を遠慮なく描いているように、そのことは決して、(旧社会党がやったような)北朝鮮の利益のメガフォンに堕すということではない。
 重要なことは、国際政治の道義と国益を守りながら、相手が変わるような角度で、もっといえば、相手も利益を感じたり、あるいは折れたりせざるをえないような角度で、問題を提起できる力をもつことであり、それこそが、清沢、堀田、そして重村がのべている「相手の立場にたつ」ということにほかならない。

 本書は、その北朝鮮自身の発想や全体像をつかむうえで、コンパクトな手引書となっている。ここに書いてある情報を受け入れるにせよ、批判するにせよ、まず最初の核となるものを自分の頭の中につくるうえではたいへん役立つ一冊だ。
 むろん、無味乾燥な統計書ではなく、ジャーナリスティックな躍動感にみちたエピソードが豊富にもりこまれていて、読んでいて面白い。

 とりわけ本書の中で大事なのは、「先軍政治」を理解することだろうと思う。
 北朝鮮は、それまで朝鮮労働党主導の官僚国家であった。
 しかし、1998年、金正日と軍部によるクーデターがおきた。

 「北朝鮮は、一九九八年九月五日に憲法を改正した。この憲法改正は、金正日総書記自身による事実上の親政クーデターを意味した」
 「北朝鮮はそれまでの『労働党優位』から『人民軍優位』の軍事国家になったのである」

 これを皮相にながめれば、すわ南北武力統一の野望かのように見える。
 だが、重村は別の説明をする。(むろんこういうことを計画した時期も北朝鮮にはあった)
 北朝鮮では党主導の政治、つまり官僚制集産主義が破産に直面し、人事面でも無能で腐敗した党官僚が国家制度全体に巣食うようになった。
 これを国家意識、国家理性の立場から、金正日は一掃し、「党」から実権をはぎとることをめざした。「軍内部にしか、命令に従い目標を達成する人材は残されていなかったのである」。
 主体思想、思想動員による政治というものが後退し、プラグマティックな実力主義が前面に押し出されるようになる。

 「先軍政治の背景には、周辺諸国や大国が北朝鮮の崩壊を目指し包囲網を敷いている、との危機意識があった」と指摘されるように、包囲された「国際環境の中で北朝鮮が生き抜くには、軍事力の強化と国内の分裂を押さえるために、秘密警察や軍の物理的力を必要としているのだ」。
 「北朝鮮の軍事力は当面は韓国に攻め込み武力での統一を実現するためというよりは、(1)権力と体制の安定(2)対外交渉のカード(3)国際的なパワー・バランスの誇示――のための道具として認識されていることになる」。

 つぎに重要なのは経済面。これはいまのべたように、スターリン主義的な官僚集産経済=主体経済が破産したということは周知の事実である。
 北朝鮮は、いわゆる「改革・開放」路線を基本的にはこばんでいる。集産主義経済を維持しながら、ごく部分的な導入を試みている。
 1989年にはソ連国境付近に「自由経済貿易地帯」をもうけるが、市場経済にたえうる労働力がなく、外国資本が来ずに失敗している。2002年から「経済管理改善措置」という名前で、配給制度の廃止や「貨幣経済」の一部導入にふみこんだ。
 重村が指摘しているように、中国・ベトナム型の「改革・開放」路線への切り替えは、ひとつの閉塞打開の方向ではあるのだろうが、下手な舵取りで「改革・開放」にすすめば、急速に支配体制が崩壊するという危険をもっているというのが現実であろう。

 軍事面の実力は、日本にとっては気になるところだが、重村の持論は一貫していて、全面戦争を継続するだけの石油が決定的に不足している以上、装備が多少あっても、軍事力としては基本的に役立たないとみている。だから、「北朝鮮が攻めてくるから有事法制を」という式の議論はまったくのナンセンスに属する。
 ただし、それを補う意味で「ミサイル」と「核」というカードは捨てていない。これはリアリティがあるとぼくも思う。

 最後に、外交面である。ここでは、次の指摘が重要だろうと思われる。「そもそも北朝鮮は一九七〇年代からアメリカとの関係改善のために多くのシグナルを送った。一九八〇年代後半からアメリカへの外交姿勢を活発化させた。何度も高官会談を申し入れたのだが、なかなか成功しなかった」。
 この動機を根底におきながら、有名な核をカードに使う、危険な「瀬戸際外交」を展開する。
 重村は、このあと、北朝鮮の外交原理としての「振り子外交」について解説する(一方の大国と親密になると他方の大国と疎遠となり、またある時期はその逆をとる、というやり方)。


 このほか、北朝鮮での生活の実態などのところは、もっとも俗な意味での関心をひきつけられるところではあるが、それについてはここではふれない。

 重村のこうした認識にすべて賛成するものではない。だいいち、そういう判断ができるほどの背景と知識をぼくはもっていない。

 ただ、本書の全体からは、「北朝鮮のもっている切迫感と国際環境観」というものが、あるていどのリアルさでたちのぼってくる。
 国際的な孤立感を、とくにアメリカにたいする恐怖感を、軍事力の誇示によって備え、それゆえに、安心して「改革・開放」の道(これが実際に北朝鮮の国民にとっていいかどうかは別にして)をとることができない、というところである。

 最初に立ち戻ると、この北朝鮮の感覚を、そのままだらしなく認めるのではなく、その感覚をいかしながら、国際正義と日本の国益をあくまで守りながら、外交を展開する必要がある。
 それは、国際的孤立ではなく、国際社会へ正当な資格をもって復帰するということ、少なくとも、中国やロシアや韓国を味方につけることが、実は、北朝鮮自身の最大の外交的安全保障の道となるということである。核武装こそ、味方につけるべき国々を「向こう側」へ押しやり(近づけなくなる)、国際的孤立を深め、北朝鮮自身の安全保障をいっそう危うくする。そのことを、「北朝鮮の国益」として説く外交が必要になる。
 さらにすすんで、国際社会全体を「味方につける」ためには、北朝鮮自身が拉致やテロ、麻薬取引などの国際的蛮行を、清算していくのが、いちばん効果的だということである。金正日が拉致を認めたのは、まったく不十分ではあるが、踏み出した道としてはまったく正しい。それも「北朝鮮の国益」といえる。

 近隣諸国は、アメリカへの恐怖感をとりのぞくうえで、アメリカに不可侵条約や先制攻撃をしない約束をさせるような(むろん北朝鮮側もしなければならない)外交努力が求められることになる。
 米軍の先制攻撃戦略に加担する日本の有事法制は、この意味で、逆行している。北朝鮮像を正しく認識していない。

 もういちど、最初の清沢冽の言葉をみてみよう。

「日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない」

 国際正義に合致させる形で、北朝鮮自身の利益から物事を説いていくという外交こそ必要となる。

 そして、核問題を解決したあとには、日朝国交正常化という問題が残る。
 重村がさまざまな留保をつけながらも、最初と最後にこう述べていることは非常に重要である。
 「なぜ、朝鮮半島に関心を持ち研究を続けるのか、とよく聞かれる。どんなに南北関係が悪化しても、国民感情が悪化しても、決して戦争や軍事衝突には至らないシステムを見い出すためである」
 「日本は、なぜ北朝鮮と国交正常化せざるをえないのか。理由は簡単である。隣の国であるからだ。いくらお互いに嫌い、憎しみあっても離れるに離れられない地勢的な位置にある」

 ぼくらは、ひっこしをするわけにはいかないのだ。



『最新・北朝鮮データブック 先軍政治、工作から核開発、ポスト金正日まで』
講談社現代新書(2002.11発行)
2003.11.22記
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