重村智計『北朝鮮の外交戦略』

 ぼくがコミュニストとしての自覚的な道をあゆみだしたとき、すぐさま起きた事件が北朝鮮による大韓航空機爆破事件であった。
 そのとき、街頭で朝鮮総連のビラをもらい、そこには、“日本共産党が帝国主義のメガフォンとなって、北朝鮮犯行説を唱えている”という文章とマンガが書いてあったのを覚えている。
 つづいておとずれたのは、中国共産党による天安門事件。虐殺糾弾集会を大学で開いた。

 そんなふうにはじまったコミュニスト人生だから、ぼく自身、あるいはぼくらの世代の左翼というものは、現存「社会主義国」について、一切の幻想をもっていない。だが、古い世代はそうではなかった。


 北朝鮮問題にかぎらず、現存する「社会主義国」への態度は、左翼にとっては試金石である。

 もちろん、右派のアメリカ追随は、現実政治のなかで実際に遂行されているだけにさらに始末が悪い。対米追従は、いまやこの無法な超大国とともに侵略戦争に参加するという危険な段階にさえ入っているわけで、そのことをなんら免罪するものではない。
 だが、それはおいておこう。

 ヨーロッパではソ連への盲従が旧コミンテルン諸党に刻印され、フランス共産党は、アフガン侵略を肯定し、「モスクワの長女」とよばれた。日本のマスコミや知識人がもちあげる旧イタリア共産党(現在は「民主左翼」)とて例外ではない。イタリア共産党は、ソ連のチェコ侵略を支持している。

 日本共産党も、やはりソ連追従の影響はまぬかれなかった。
 とりわけ50年代までは深刻で、ハンガリー事件でソ連側を支持している。そのころのパンフレットを読んだことがあるが、ちょっとびっくりする。

 しかし、日本共産党は、中ソの干渉で党が分裂と混乱に見舞われ(いわゆる「50年問題」)、それ以後、事大主義(「事大」=大きいものにつかえる、の意味)に懲り、だんだんと中ソの影響から抜け出ていく。自主独立路線である。
 したがって、1960年代以降は、この党には、いわゆる「社会主義国」にたいする現実的感覚がそなわりはじめる。70年代には、これら「社会主義国」の侵略や干渉にたいする、ある意味でもっともやっかいな抗議者として登場するようになる。
 他方で、ソ連・中国・北朝鮮などへの盲従を派閥ごとに強めていったのが、旧社会党である。

 重村智計『北朝鮮の外交戦略』では、社会党がまさに北朝鮮外交においては、北朝鮮のメガフォンへと堕していった様子が克明に描かれている。
 北朝鮮は、67年に、金親子のクーデターがおこなわれ、金日成の独裁国家へと変貌する。もちろん、それ以前からソ連型体制の国なのだが、いまのような特異な国家体制ではなかった。
 現在、金王朝国家の打倒を叫ぶ萩原遼は、『北朝鮮に消えた友と私の物語』(文春文庫)のなかで、つぎのようにのべている。

「思えばこの六八年の両党(日本共産党と朝鮮労働党)会談が、日朝両党の今日の断絶状態の始まりであった。そしてまた、六七年五月から始まる『金日成のクーデター』が、北朝鮮の今日の閉塞状態を生みだす始まりであった。それは十万人の在日朝鮮人帰国者にたいする未曾有の迫害と苦難の始まりでもあった」

 北朝鮮の国際的無法が目立ちはじめるのは、実に70年代からで、これは金日成のクーデターで硬直した体制がつくられるということに符合する。
 そして、この時期に日本共産党は、朝鮮労働党に批判的になっていき、かわって日本社会党が急速に親密になっていくのだが、これは、重村の本書でも確認できる。
 とりわけ、80年代以降は、ラングーン事件、日本漁船銃撃事件、大韓航空機爆破事件、そして拉致事件と、北朝鮮の無法がいよいよ苛烈をきわめる。

 重村は、本書で、日本社会党と日本共産党の対応の比較をつぶさに行う。

 「この時期、わが国の共産党と社会党は、北朝鮮に対し対照的な反応を見せている」

 こう記した重村は、日本漁船銃撃事件、大韓航空機爆破事件、そして拉致事件での対応を比較するのである。

 「共産党の北朝鮮への厳しい対応は、一九八七年一一月二九日の大韓航空機爆破事件でも繰り返された。共産党は、事件直後の早い段階で宮本顕治委員長が新聞記者に『北朝鮮の犯行である』との判断を明らかにした。/一方、社会党の土井たか子委員長は、赤旗が『北朝鮮の犯行』と報じた一九八八年一月二一日に『ソウル五輪を考えると北朝鮮にメリットがある行為とは考えにくい。(韓国の)発表は納得できない』と、まったく誤った判断を示した」

 総選挙で自民党の安倍幹事長がさんざんもちだしていた辛光洙事件も、ここでとりあげられている。
 土井委員長は、菅直人氏や公明党議員らとともに、この拉致犯人=辛の釈放要求に署名していたのである。

 「本来なら、拉致された日本人の救出に力をつくすのが日本の政治家の使命であるはずだが、土井委員長らにはそうした感覚はなかったようだ。実は、この感覚の有無が共産党と社会党の違いであった。工作員は『拉致犯人』であって、『政治犯』ではない。それを知って署名したのであれば、土井委員長は北朝鮮の工作の手先と言われてもしかたがないであろう」

 テレビでこの問題を追及された土井氏は、「知らなかった」と開き直った。公明党も同じように答えた。
 だが、実は、重村が述べたとおり、共産党は、ちょうどその一年前、国会でこの辛光洙についてとりあげ、政府側から「北朝鮮の工作員」であるという答弁を引き出している。知らなかったではすまされない問題である。

 重村は、その節をこう結んでいる。

 「共産党は、北朝鮮が日本に工作員を送るなどの工作活動をしているとの現実感覚を持っていたのに対し、社会党と土井委員長は北朝鮮が多くの工作機関を維持している事実に目をつぶっていたことになる」


講談社現代新書
2003.11.20記
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