中島岳志『パール判事』




 まったく偶然であるが、新聞などの予告をみると、本日(07年8月14日)放映されるNHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判 知られざる攻防〜」(午後10時・総合)は、中島の本書『パール判事』の主張をほぼ番組化したものになりそうである(付記:今見た。すばらしい内容。この中島本の中身の反映もさることながら、東京裁判が結論の決まった単なる茶番劇ではなく、判事同士の激しい確執のある、きわめて動的なプロセスであったことが浮き彫りになった番組だった。そして東京裁判の「成果」が平和憲法や国際司法の発展に寄与していることもわかるものになっている)。

 ぼくは今、東京裁判について書かれたものをいくつか読んでいるが、東京裁判そのものが膨大な資料があるために、とても「そのもの」を読むところまでいかない。たとえば冨士信夫『私の見た東京裁判』(講談社学術文庫)にしても、裁判の全体像をコンパクトにまとめてあるのだが、それでも上下全部で1000ページをゆうに超える。ひいひい言いながら読んでいるところである。

 日本の敗戦後、ポツダム宣言を根拠に、日本の戦争犯罪を裁くということで行われたのが極東軍事裁判、すなわち東京裁判である。
 「パール判事」とは東京裁判の判事の一人で、ラーダービノード・パール(「パル」と表記されることも多い)のことだ。インドの法学者で、東京裁判で被告たち全員の「無罪」という結論を出したただ一人の判事として知られている。


右派論壇から利用されまくりのパール判決書


 そのことからもわかるように、パールの判決は、右派、とりわけ戦前の日本のおこした戦争は「正しかった」と評価する人々からその言説を補強するものとしてフルに活用されている。さらにパールその人自身もそうしたグループから「神格化」された扱いをされているのである。
 たとえば1997年には「パール博士顕彰碑」が建立され、その除幕式では「日本の自虐的な風潮が収まり、一日も早く英霊に安らかにお休みいただける日が来ることを念願してやまない」と靖国神社の宮司があいさつしている。「日本の戦争は正しかった」という立場をとる靖国神社の遊就館にはパールの写真や言葉が飾ってある。
パール判事の日本無罪論 (小学館文庫) パールの判決書の一部をとりだして書かれた田中正明『パール判事の日本無罪論』のアマゾンのカスタマーズレビュー53件(07年8月14日現在)を見てもらえば、そういう扱われ方、読まれ方をしているのがわかろうというものだ(中に数人、冷静な立場からレビューを書いている人がいるが)。
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パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義  本書『パール判事』は、こうしたパールをめぐる昨今の右派論壇の状況から入る。田中正明をはじめ、小林よしのり『戦争論』、東条英機を描いた映画『プライド』などだ。


 そして、著者・中島は、この右派論壇の状況を次のような言葉でまとめている。

「数多くの論客から注目を集めながら、一方でパールの生涯や思想、東京裁判の判事以外の活動に関しては、ほとんど語られることがない。彼の意見書の概要には触れられても、それ以外の部分には、全くといっていいほど関心が向けられない。『東京裁判史観』を批判する論客が、『パール判決書』の都合のいい部分だけを切り取って引用し、自己の歴史観を補強するために利用しているというのが現状だ」(p.11)「『日本無罪論』というミスリーディングな表現によって勝手な拡大解釈がなされ、ご都合主義的に流用され続けているのが現状である」(p.14)

 中島は、そのことを象徴的に示している、パールの業績を展示した「下中記念館」の閑散とした状況を冒頭で描写する。そして、本書はまさに、この(1)パール判決書の精読、(2)そのような判決書を書くにいたったパールの思想と生涯を明らかにするために書かれている。
 その意味で非常にシンプルなつくりである。
 すでに出版されている判決書を精読することが基軸の一つになっているからである。この部分だけであれば、そのあたりのいち読書家でもやろうとすればできたことであるが、実際にそれをやった人がいなかったというわけである。




本書についてのぼくの乱暴な要約


 そして本書の主張を乱暴に要約すれば、これもまたシンプルなものになる。

  1. パールは「日本のやったことは正しかった」というたぐいの主張はまったくしておらず、欧米帝国主義の悪しき模倣者としての日本の戦争行動を厳しく批判している。
  2. 熱烈なガンジー主義者であり、ヒンドゥー法学の泰斗であったがゆえに、真理(正義)の実現に非常に厳しい態度をとり、さらに欧米の植民地支配や帝国主義を痛烈に批判する立場をもっていて、その立場から事後法による裁きはできないことを主張し、欧米列強の身勝手な論理を批判した。
  3. この(B.)の立場の敷衍として、のちに再び来日したとき日本の再軍備、対米従属を厳しく批判し、平和憲法の遵守を主張し続けた。




パールは日本の戦争行動に批判的だった


 中島は、「被告は無罪だった」=「日本は無罪だった」=「日本のやったことは正しかった」となっていく混沌に分析のメスを入れていく。というか、パールの判決書がもともとそのように「分析的」なのである。

 たとえば、戦勝国の人間は裁いてはいけないという立場をパールはとっておらず、判事が国家代表ではなくあくまで一個人として法の実現に力をつくせば一方的なものにはならない、と考えたし(そしてパールはそうした)、あるいは「平和に対する罪(侵略戦争を共同で謀議するなど)」は事後的に考えだされた罪の概念だから裁けないけども、「通例の戦争犯罪(捕虜の取り扱いなどの戦争法規違反など)」は裁けるとして、この狭義の戦争犯罪を裁くという意味で東京裁判は成立すると主張している。コトを分けて論じているのである。「ここで重要なことは、パールは、自分自身が構成員の一員を担っている東京裁判を、根本的に否定してはいないということである」(p.102)。

 パールは、南京虐殺についても「日本兵の行動は凶暴」「証拠は、圧倒的」(パール判決書)だとし、その他の残虐行為についても「行為の鬼畜のような性格は否定しえない」(同前)と事実認定と価値判断を下しながらも、ではA級戦犯としていま東京裁判にかけられている人々にその残虐行為の責任を問えるかと、問題を分けて論じているのである。南京事件については、マギー証言を伝聞が中心だと退けるなど、証拠を精査しつつ、この結論に達している。

 あるいは、満州事変についても「非難すべきもの」(同前)だとしながら、「張作霖爆殺事件から日米開戦にいたる歴史過程には一貫した方針」(中島p.141)があったかどうかが、有罪無罪の焦点なのだから、パールはそんなもんねーよということで「無罪」を下しているのである。
 つまり、罪の概念がそもそも事後的なものであるのに加えて、そうやってつくられた罪の概念の内実も「一貫して侵略戦争を共同で謀議してきた罪」というムリムリな設定であったとして、パールはその適用を退けたのである。
私の見た東京裁判〈上〉 (講談社学術文庫) ぼくも、『私の見た東京裁判』を読んでいて、検察側が一貫した共同謀議の存在を描こうとして、なんか戦前の日本政府を「世界征服をたくらむショッカー」「死ね死ね団」みたいに言っているのは全然リアリティがねえなあと思ったものである。
 欧米帝国主義に厳しいまなざしをむけるパールが、こういうやり方を許さないのは当然だといえる。

 パールは「日本の為政者、外交官および政治家らは、おそらく間ちがっていたのであろう。またおそらくみずから過ちを犯したのであろう」(パール判決書)と明言している。そしてそれにつづいて「しかしかれらは共同謀議者ではなかった」(同前)と言っているのである。

 「パールにとって、日本のアジア侵略も西洋諸国の植民地支配も、道義的・社会通念的には、間違いなく不当な行為であった。しかし、何度も繰り返すように、法学者という立場上、彼はそれを国際法上の犯罪と認定することはできなかった」(中島p.131)というわけである。
 「パールは、決して『日本無罪』と主張したわけではなかった。彼が判決書の中で主張したことは『A級戦犯は法的に無罪』ということであり、指導者たちの道義的責任までも免罪したのではなかった。まして、日本の植民地政策を正当化したり、『大東亜』戦争を肯定する主張など、一切していない。彼の歴史観によれば、日本は欧米列強の悪しき『模倣者』であって、その道義的責任は連合国にも日本にも存在すると見ていたのである」(中島p.297〜298)。



絶対的平和主義者、反植民地主義者としてのパール


 興味深いのは、パールのヒンドゥー法学者、ガンジー主義者としての思想からくる崇高な厳格性、そして非暴力主義が、欧米帝国主義への厳しい見方とともに、日本の平和憲法への期待、再軍備・対米従属への懸念(というか怒り)にまで達していることだ。
 奇妙なことに——っていうか「さもありなん」なことに、右派論壇はこの点についてもパールの言動については沈黙している。
 中島は、東京裁判後のパールの再来日の様子や言動をくわしく追っているが、この厳格な法学者は本当に厳格であったのだなと驚く。再軍備やサンフランシスコ条約の対米従属性などを本当に厳格に「怒る」のである。親日派であるとか、日本に同情的だったとか、単なる欧米列強への反発とかいうレベルではなく、パールの中にはっきりした指針が存在し、そこからすべてが価値評価される。だから、パールはそれに背くものに明確に「怒る」のである。
 中島があとがきでパールについて「その論理の鋭さと孤立を恐れない高貴な精神に圧倒され続けた。遥か上の高いところにいるパールを仰ぎ見るという感覚が、私を支配し続けた」(中島p.303)とのべているのは、まさにそのパールの厳格性が引き起こしたものである。
 このような厳格なパールのロジックと思想を、「A級戦犯無罪論」から「日本無罪論」、そして「大東亜戦争肯定論」へと利用する右派論壇の状況を、もしパールが見たら、泡をふいて卒倒する、いや火がついたように怒りだすかもしれない。




映画「プライド」に抗議したパールの息子


 パール自身ではないが、本書にはそれに似たエピソードが一つ紹介されている。
 パールの息子であるプロサント・パール。東条英機をはじめとする日本の戦争指導者を美化する映画『プライド』が彼の「心を傷つけ、憤らせている」とインドの新聞「インディアン・エクスプレス」は報じた。

「父が渾身の力を振りしぼってまとめ上げた判決書を、自分の政治的立場を補完する材料として利用しようとする者への怒りは、きわめて厳しかった」(中島p.295)


 パールの思想と生涯の記述を通じて再構成されたパール像、および、そこから解析されたパール判決書の再読は、読後痛快な印象を与える。このような基本的な事実さえもふまえられておらずに「パール礼賛」をしている右派論壇にびっくりしたというか、ひとごとながら大丈夫ですかと心配になるほどだ。

 日本正当化論には使われなくても、「都合のいい」部分だけを使うというのは、ほとんどがそうである。
 いまぼくが読んでいる『私が見た東京裁判』にせよ、最後の判決を紹介するくだりはパール判決書との対比で書いてあるが、まさに「都合のいい」部分だけの利用となっている。
 あるいは、山崎豊子『二つの祖国』でのパール判事の言葉や性格づけもやはり「都合のいい」部分だけを利用している感が否めない。

 本書についてはすでに、中島の成果を生かす形で朝日新聞が06年7月12日付で従来のパール像を批判する記事を描いている(中島はこの記事に先行して「中村屋のボースとパール判事——日本人はいつまでインドを利用し続けるのか?」を雑誌「エコノミスト」に発表した)。




右派は国際社会で通用するロジックをパールから学ぶべき


 最後に、右派論壇が今後とるべき方向のことについて。

 パール判決書は、厳格なロジックの上に組み立てられている。そして欧米と日本の帝国主義をひとしく糾弾する視線をもっている。ゆえに、そのとどく範囲は広く、そして簡単には古びない生命力をもっている。

 日本の右派——右派のなかでも戦前回帰派——が国際社会へ出て行ったとき、先の「従軍慰安婦意見広告」で大変な国際的孤立を味わったように、世界に通用するロジックを持っていないことが致命的である。
 たとえば東京裁判や原爆投下を批判するとき、そこに説得力はあっても、「アメリカやヨーロッパはまちがっていたけど、日本だけは正しかった」というに及んでたちまちリアリティを失ってしまう。

 パールがやったように、もし、日本の行動の過ちをしっかり認めつつ、欧米をふくめたすべての帝国主義や暴力を批判するというラジカルなところから東京裁判や原爆投下を批判するのであればそれは国際秩序をも変えうる強烈な説得力を持つにちがいあるまい。パールの絶対平和主義、ガンジー的非暴力主義はそれゆえに説得力を持っているのだ(国際政治における日本国憲法の説得性もパールの説得力と同じ地平のものである)。

 パールを利用する者はすべて答えなければならない。戦前の日本の行動は「非難されるべきもの」であり「鬼畜」的な行為だったのかどうか。ぼくは欧米の帝国主義も、日本の帝国主義も、どちらを非難することにも、いささかのためらいもない。それこそリアリティというものである。

 もちろん、ぼくはパールの東京裁判論に全面的に賛成するわけではない。たとえば「平和に対する罪」を考えるとき、すでに不戦条約があったとこと、各種の慣習法や各国の成文法にその根拠となりうるものがあったことは主席検事であったキーナンが述べている。パールはこれを退けているのだが、そこには論争すべき余地がないとはいえないのである。

 しかし、そのことは置いておくとしても、もし日本の右派論壇が世界に通用する東京裁判批判を展開したいと思えば、日本の戦争行動の誤り真摯に認め、その帝国主義的な行動を反省することをふくめ、パールの論理と思想に厳格に学ばねばならないだろう。


 ※『パール判事』感想 ちょっといい話


中島岳志『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』
白水社
2007.8.14感想記
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