槇村さとる『Real Clothes リアル・クローズ』1巻



「ありゃあ大人子供だな!!
 自分を護るのに必死なお子ちゃまだよ。
 たぶん責任ある仕事を任されたことないから
 ガキのまんまなんだろ?」

という真鍋昌平『闇金ウシジマくん』8巻のセリフを読んでマジにヘコんでいる漏れ……orz

 ぼくはガキのままであるなあ、と。

 別に仕事で大きなヘマをしたとか、出世が遅れて焦っているとか、そういうことはまるでないのだが、仕事に対して「触れなば切れん」というほど鋭敏な問題意識も真剣さもなく、30代半ばでこんなことでいいのだろうかと抽象的にダメな悩み方をしたりする。

 それで、労働や仕事を描いたある種の漫画を読むといろいろグサリときたりするのである。

 槇村さとる『Real Clothes リアル・クローズ』もその一つだった。

Real Clothes 1 (1)  新宿という苛烈な商戦のド真ん中で百貨店に働く主人公の天野絹恵の物語である。はじめ、ふとん売場で働いていて異動で婦人服に回るのだ。

 天野は、ふとん部では有能な人間である。
 「あの〜この『高反発マット』って何?」という何か求めていさげな客の質問に答えるなかで、天野は自然に客の求めているものを引き出してしまう。

「お客様自身でお使いになられますか?」
「うん 眠れなくて腰に疲れが残る感じ
 あ…うん 硬めなのね
 これにしようかなァ
 でもふとんって失敗するとなァ」
「わかります 簡単に捨てられませんよね」

 ここには客の欲求と不安がある。
 それにたいして、天野は、欲求の部分をガンガン刺激してふとんを売るのではない。葛藤している客にたいして、その不安部分に応えるのだ。

「あの ご提案させていただいていいですか?
 うすいものを重ねていく方法はどうでしょう」

 つまりふとんをパーツにわけてしまい、自分の体に合うパーツを組み合わせることでリスクを低減させ、最適なものを自分でつくってしまえという提案だ。そして、客のパーツ探しに天野はつきあうのである。

 漫画の描写として、「お買い上げ」になるまでの天野の描写にまったく無理がない。いたく自然で、もし自分がその場にいてもまったくストレスゼロでこのセールストークを受け入れられたであろう。

 天野の表情の描写も、価値中立的でありながら適度な親身さを備えている。申し分ない。

 接客だけでなく、天野は現場の労働力の管理にも長けている。
 売場でヘマをやる販売員たちにたいして、お小言をいうのだが、それはいわゆる「お小言」ではなく、すでに的確かつシャープに改善の提案である。
 そして「契約の販売員の反感かったら売場成立しない」という思いを胸に、決して「怒らない」。「和よ 和!!」と自分に言い聞かせるのだ。

 しみじみと「天野はしっかり生きているなあ」と読みながら感心する。皮肉でも何でもなく。
 たとえばうちの兄は大企業のサラリーマンだが、「ああしっかりと仕事してんなあ」などと指をくわえながらぼくは彼の話を聞いている。
 高校や大学の同級生たちの話を聞いても同じ印象をもつし、そろそろテレビや新聞で出始めた自分の同世代の(なかでもクローズアップされている人々の)働きぶりは、ほとほと感心してしまうことが多い。

 とくにビジネスにたいする倫理観や使命感は、ぼくの甘さを指弾するかのような厳しさをみんな持っている。
 「そりゃー資本の走狗ってことだろ」という言い方で片付けられることでもない。大企業において差別されているコミュニストは、逆に模範たろうとして仕事に精勤したりするのだ。

 とにかく、30代半ばにして、なぜか天野の厳しい使命感、かつ有能な働きぶりがぼくを刺すのである。

 ところが、槇村の漫画では、ぼくからみてこれほどスゴいと思わしめる天野でさえまだまだヌルいようだ。
 天野を婦人服の売場に異動させ、そこで新天地の苦しみを味わわせるのである。ふとんと勝手の違う商品の特性や客の反応を前に天野は「いきなりバカになった気がする」と苦しむのだ。

 天野は、契約の販売員からも、統括部長からも、カリスマ買い付け人からもその「無能さ」を抉るような言葉で批判される。買い付け人にいたっては「小太りのおサルさん」だぜ!? 批判じゃねーよ! 初対面でいきなりこんなことをいう社会人としてのコミュニケーション能力が欠けているのは手前の方だろ。

 しかし、それでも天野はそれらの批判を自分にむけて返す。自分のどこが悪かったのか? と。

 なぜだ。なぜ天野=槇村はこれほど有能なのに自分を責めるのだ。
 もし天野が「サル」とまでいわれてそれに甘んじなければならない(いちおう反撃するのだが)とすれば、俺なんかどうなるのか。ミジンコとかそういうもの?

 ただ、数年前のぼくであれば、この槇村の厳しすぎる職業倫理観に吐き気を催したかもしれないのだが、今のぼくは弱気である。「こういう厳しさが自分には欠けているのかもしれないなあ…」などと。槇村ならその言葉にさえこう言うかもしれない。「厳しいんじゃなくて、仕事をするさいの最低限の水準ですっ」。

 ぼくはふとん売場における天野の能力や倫理観に好感をもった。そして、婦人服売場に移った天野への仕打ちにたいして、若干説得されながらその厳しさに不安をもちつつこの作品を読んでいる。

 果たして2巻以降の展開で、槇村はぼくを納得させるような天野の変容を描くのか、それとも、とうていついていけない資本サイボーグのような人間に仕立ててしまうのか。不安と期待をもって読み続けている。







1巻(以後続刊)
集英社クイーンズコミックス
2007.6.4感想記
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