勝田文『あのこにもらった音楽』



※『かわたれの街』の短評はこちら

 勝田文のコミックスを3巻も買ってしまいました(『あのこにもらった音楽』を2巻、『あいびき』を1巻)。

 きっかけは、「しんぶん赤旗」での拙文を読んでいただいているかたからメールをもらい、勝田文をぜひ読んでみよと薦められたからです。
 その人から推薦された漫画家はもっといたんですが、そのなかで勝田をまず読もうと思ったのは、気になっていたからです。ぼくは勝田について「絵は魅力的なのに漫画の話のつくりがあまりうまくない」という評価をもっており、そのようにこのサイトにも書いていました。

 結論からいうと、勝田の評価のポイントはぼくのなかであがりました。単行本にして通して読んだときと、雑誌で一つの編だけを読んだときでは印象がちがうな、とおもったのです。

 『あのこにもらった音楽』は、田舎の旅館の話です。芸妓の娘・梅子が母親をなくし、父親が不在のために旅館で育てられます。そこで14も離れたそこの旅館の息子・蔵之介と結婚します。蔵之介はイケメンでケガによって本格的な音楽活動の道を断たれた音大の講師、という設定であります。


 勝田はここでも、小さなレンジでみてみると、やはり話のつくりが甘い、という感じがつよい。
 「のんびり」とか「いやし」とか「ほげほげ」というムードは伝わってくるんですが、たとえば雁須磨子のような「ほげほげ」さ、志村貴子のような「のんべんだらりん」感とはまるでちがうのです。雁や志村のようなリアリティがないので、ただただフォーカスがぼけているような感じしか受けないのです。

 たとえば、1巻の最初のエピソードには、梅子の自分の本当の父親であるドイツ人との出会いや、蔵之介がなぜショパンコンクールで挫折したかなど、重要な設定がつぎつぎ出てきますが、その重要さにはとうてい見合わないほどの軽さでそれらが語られていきます。作者自身「作者の設定が甘いからね」などと後の回で自嘲するほどです。
 やたらと登場人物がふえていくのも、騒々しい少女漫画っぽくて、頭に入っていきにくい。
 そういうわけで、1巻の途中までは、正直ぼくはこの作品にほとんど愛着がもてませんでした。

 それでも何とか読みすすめる気力が持てたのは、勝田の絵でした。
 とくに梅子を先頭に、勝田の描く女性が、かわいらしかったり、美しかったりするのです。梅子にしても、『あいびき』の主人公でバツイチ・出戻りの鞠にしても、鋭角さがどこにもなく、こういう人を恋人や友人にしたらさぞ気持ちいい生活がおくれるだろうなあと思える人でした。

 ところが、『あのこにもらった音楽』を読みすすめ、やがて読み終えるうちに、ぼくは高校生のころの自分を思い出し、たいへんなつかしい感慨に見舞われたのです。読み終わってそういう気持ちにつつまれている自分がとても不思議でした。


 『あのこにもらった音楽』には、正直どこにもリアリズムがありません。ひとことでいって、絵空事のような結婚生活です。

 しかしそれはどこかで見覚えのあるような世界でもあります。ああ、ちょうど高校生のころ、最初に描いた結婚生活というもののイメージにひどく似ているなあと思い出しました。これは悪口じゃありません。この作品の大事な味なのです。

 ぼくの中学生時代は、結婚はおろか女の子とつきあうということさえ何もイメージがもてませんでした。高校時代になってもぼくは女の子とつきあうことはありませんでしたが、結婚については原初的なイメージをもちはじめていました。
 それは今考えるとなかなかに笑えるものでしたが、リアルでシビアな現実を知らないだけに(まあ、今もそんなに知っているわけではないのですが)、結婚ということについてたくさんの都合のいい妄想や期待や欲望をぜんぶつめこんでいたものです(裸エプロンとかそういうことではない)。

 つまり、結婚について期待と欲望をつめこんだ、もっとも即自的なイメージをもったのが高校時代で、そのことの記憶と、この作品がかさなったのだろうと思うのです。

 とても美男子な夫。その夫は幼馴染み。幼い自分を背負ってくれたこともあります。まるで兄のような、ひょっとすると父のような存在で、そのくせひとかけらも権威的ではなく決してパートナーである女性を抑圧しません。
 たまに描かれるプレイボーイぶりは、家庭や妻を裏切る深刻な行為としてではなく、夫が36という年齢にあってもなお瑞々しい恋愛の先端を行っているという証拠として積極的に描かれます。
 出産のあと、夫は泣き崩れんばかりに妻の手をにぎってくれます。
 もちろん、姑をはじめ、家族関係もこのうえないほどに良好で、勝田的世界には悪人は一人も存在しません。根源的な性善説の世界です。
 そして究極の描写ですが、夫は「仕事のやりがい」ではなく、妻子のそばにずっといてくれることを選んでくれるのです。ここまではっきりと選択してしまう漫画は昨今めずらしいのではないかと思えるほどです。

 もちろんこれらのことは、決してぼくの高校時代の結婚についての欲望イメージじゃないわけですが、しかしここには女の子の結婚生活にかんするもっとも欲望的なイメージが満載されていることは容易に想像できます。勝田の作品がしばしば「癒し」の言葉をもって語られる原因のひとつがここにありそうです。

 そういう意味で、勝田の作品は、読み終えた後、いつまでもそこに浸っていたいような感慨がともなうことを指摘しないわけにはいきません。

 ちなみに、『あのこにもらった音楽』が連載されていた「メロディ」誌はいかにも「少女」(高校生〜大学生、つまり非オトナ)が読みそうな少女漫画然としたものが多い雑誌なのですが、仄聞したところによると20代後半から30代の女性読者がかなり多いそうです。もしそうだとすれば、少女時代の欲望を大人の女が読みたい――この漫画は、まさに〈欲望〉として機能しているだなあと思ったものです。


あいびき ところで、もうひとつの作品集である、『あいびき』の方を通して読んでみて、登場人物の絵柄も、人物設定もそれなりに面白そうなのに、けっきょく「はなし」としてはぼんやりしたままで終わってしまうなあという残念な気持ちになりました。まあ、それが味でいいじゃないか、というファンもいるのでしょうが。

 実は、冒頭に言及した人だけでなく、ぼくにメールをくれる人のなかで勝田を評価している人は他にもいます。おそらくこのままでも勝田的世界を愛してくれるファンが一定数いそうな気がしますが、「はなし」を練られるようになればもっと広い読者を獲得できるはずの人なんじゃないかなあと思います。





勝田文『あのこにもらった音楽』
全2巻 白泉社
2005.9.4感想記
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