NHK番組「あの歌がきこえる」



 漫棚通信さんがブログでふれていたので、つい同ブログでコメントしてしまったのだが、NHK「あの歌がきこえる」は、壮絶である。

 視聴者から思い出の曲とそれにまつわるエピソードを募集し、毎回ちがった漫画家に15分で紹介できる漫画にしてもらおうという企画の番組だ。

 この番組には危険な香りが満ちている。

 まず、読者から募集したエピソードなので、物語にはヒネリがなくストレート。細部はさまざまに味つけされているけども、どこかで聞いた物語の鋳型に流し込もうとすることで「思い出」としての安定を得ようとするため、畢竟ベタになる。
 だが、そのベタさは、「庶民」がNHKの日曜昼の「のど自慢」での「『がんばれ よっちゃん 本町商店街の星』みたいな垂れ幕をもってきて応援する友人たち」や「職場三人組で出場しちゃう」っぽい風情を愛好して止まないように、「庶民」にとってはいたく放し難いものだし、それを冷ややかな目で外から眺める人にとっては、メタな意味で可笑しみがある。


 くわえて、「あの歌がきこえる」というテーマだけあって、どれも「なつかしい」調子が欠かせない。起用されている漫画家は、「旬」の漫画家ではなく、昔ヒットした人とか、いまは大家と呼ばれている人などが多い。

 こういうものがミックスされると、ものすごくジューシーなものが出来てしまう。

 ぼくがはじめて見たときのこの番組は悲劇の体験談だった。人との死別のエピソードのはずなのに、物語的にはあまりに「ベタ」なために、ぼくは民放の深夜枠にありがちなベタを笑うギャグ企画かとさえ思ったほどだった。すまん。

 年輩の人が自分の思い出を音楽とともに紹介する「ラジオ深夜便」(NHKの深夜のラジオ番組)とかだと、人生の奥深ささえ感じさせる。仕事で遅くなった深夜のタクシーなどで偶然聴くと、遠い気持ちにさえなる。別に「ラジオ深夜便」に限らず、ラジオでは名曲を自分の体験に重ねて紹介することは古くからあった文化だ。
 ところがその風情が、漫画という鮮烈な視覚を加えるとこんなにも身もフタもなくなってしまうのである。

 今週(2006年7月26日)は『総務部 山口六平太』で有名な高井研一郎が漫画を担当。チェッカーズの「あの娘とスキャンダル」にまつわるエピソードだった。印刷会社の「ビアパーティ」で「隠し芸大会」、「かわいいあのコと踊れるかも」なんていう、モロ昭和サラリーマン「昭和元禄」な展開に気絶しそうになったあげく、絵がザ・昭和センスの高井ときているので、もうぼくは大喜びだった。

 つれあいは自分の体験を「羽海野チカ」と「フリッパーズ・ギター」で! などと意気込んでいたが(ちなみにこの両者は驚くほど親和的である)、そのようなオサレさは番組スタッフによって意識的に排除されているに違いない。絶対採用されまい。
 たとえばNHKつながりでいえば、モデルの「はな」に代表されるような洗練は永久追放、「のど自慢」的ベタさがあの番組には必須要件なのだ。

 次に何が来るかわからない、いま一番「ドキドキ」(死語)の番組である。





2006.7.28感想記
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