うつろあきこ『ビューティー香取でお待ちしています』


 腕もセンスもそれなりにあるのに、店名だけがダサい「ビューティー香取」という美容室。そこでおこるユルい日常――そういう他愛のない話を描いているだけのような平凡な4コマに見える。

 うつろの作風は、系統でいえば、けらえいこに似ていて、幾百もの瑣末を見据える根底には冷徹な観察眼がある。しかし、内容的には、けらほどには瑣末に徹しないために、ネタだけみれば、中途半端なヌルいものばかりである。

 うつろの他の作品、たとえば『泣かないで子猫ちゃん』(4コマ)でも、ダメな上司を非現実的なまでにダメに描いているが、それでもそのダメっぷりはネタのレベルからいえば、それほど革命的でもない。

 にもかかわらず、ぼくはいったい、なぜうつろあきこを読みつづけているのだろうと不思議に思う。

 うつろあきこの絵をみてほしい。


(うつろあきこ『ビューティー香取でお待ちしています』より)


 あるサイトのレビューは、授業中に回ってくるオチのない紙きれに書かれたマンガ、と、うつろの絵を評していたが、至言である。

 この「絵」が曲者なのだ。
 まさにこのレビューのように、それは日常そのものの絵柄である。ぼくらは、うつろの絵に対するとき、虚構世界へ入り込むという「身構え」をしない。いわば、無防備にうつろの絵に対峙することになる。
 絵における話し言葉とでもいおうか。
 おそらく、けらえいこでさえ、ぼくらはそれを読む前に、虚構に向かうまえの精神モードの切り替えをおこなっているのだろうと思う。芝居を見に行くような雰囲気。

 なんかこう書くと、うつろがいい加減な絵を描き殴っているかのようであるが、むろんそんなことはなく、ある技量とセンスの結果、あの絵に落ち着いたのである。しかし、その落ち着いた先は、会社の会議室のような緊張した雰囲気ではなく、下宿のコタツ――それもその上にミカンがのっている――のような、極度に精神の無防備さをさそう絵となった。

 そんな無防備さのまま、コタツでミカンをたべながら、「このあいだ美容院のカットモデル募集にいったんだけどさー、なんか、新人でさあ、いきなり『あっ!』とか大声出すんだよね。もー、まちがって切ったのかと思って死ぬほどびっくりしたよー。ハサミ落としただけだったんだけどさー」と馬鹿話をしている状態に非常によく似ている。

 ぼくは、ときどき、一人の下宿で、話し相手をもとめるように、うつろの本を開く。ときどき思い出しては引っぱりだして読む、という、おそらく、うつろあきこにとって、ぼくは、もっとも理想的な作品の愛し方をしている一人にちがいない。


青林堂
2004.3.7記
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