原田梨花『Black!』



 家につれあいがいて、隣でテレビを見ている。テレビ大好きっ子だ。
 そしてその合間に、番組へのコメントなど求めてきて、けっこう盛り上がる。
 東京にいたときぼくは全然テレビを見なかったので、これはまったく新しい習慣だった。
 しかし、「読書」いや「漫画読み」にたいしてさえ、これはおそるべき中断をもたらすものだったのだと最近実感。ある本の世界にずっと集中できないということは、その本の評価さえ誤るほどのものだと身に染みております。(つれあいは逆にテレビがついていても集中して仕事をやったり、ミステリーを読んだりする。集中力は明らかに彼女のほうが高いのだ。)

Black! (上)  で、最近、出先で泊まって隔離された部屋の中でこの原田の『Black!』を読んでいて、ほとんど時のたつのも忘れるような形で没頭してしまった。久々に漫画世界に吸引されていった。

 「フィールヤング」誌では途中から読んでいたので、スジがよく分からなかった。興味はあったのに単行本が見当たらなかったので、こんにちまで放置。文庫が出たのを幸いに通読してみると、なんという面白さだとハマったわけである。上下総ページ1400。読み終えてぐったりしたが、心地よい疲労感。


 上巻の前半は、大手企業の重役の娘・藤山好(このみ)の父親が死んでしまうところからの苦労譚である。
 父親の庇護のもとで、好はあらゆる社会とのつながりを考えずにすんだ。
 どこか〈南の海〉で恋人とすごしているという浮き世離れしたリゾート地で〈でもこの海が一番好きかも だって武司くんと一緒に見た海だもん〉などと世迷い言を交わしあうシーンからはじまるのだ。

〈女子大を卒業してパパちゃんに勧められた会社に就職 上司も同僚もやさしくて有休もすぐ取れるし居心地も良い コンパで知り合いつきあって半年になる武司くんともラブラブで わたしって本当に幸せだなあ〉

 しかし、父親の重篤、そして死によって、状況は一変する。父親が勤めていた不動産会社は倒産し、父親はバブル期の無謀な経営拡大に責任を感じ、私財を投じて手当をしていたのだった。当然、父親の死と会社の倒産によってその借金は、好にふりかかってくる。

 好は母親とともに、一瞬にしてほぼ無一文の状態に転落してしまう。

 コネ入社の会社は、もはや御機嫌をとっておくべき存在ではなくなった好を「資料整理課」へ移動。リストラへ追い込む。

〈藤山さんって いいコなんだよね〉
〈うん 素直でウラなくてね〉
〈一緒に仕事さえしなけりゃいいコなんだよなあ〉

 お払い箱になったとたん、同僚たちは仮借がない。
 資本のもとでは、「いいコ」だが「仕事が出来ない」という人間は、「虫酸が走るイヤなやつ」だが「仕事がとびぬけて出来る」人間よりも、圧倒的な無価値さであることを同僚たちの言葉は示している。

 窓のない地下室で、無意味とも思えるファイリングの作業を、一人でやらされる好。恋人からももはや連絡はなくなった。

 ぼくがこの作品に共感をよせたのは、ひとえにこの好という形象である。
 好のまわりをとりかこむ友人たちは、なんだか夢のような職業の人ばかりだ。大手企業のトップ営業、一流外資証券のトップディーラー、大事務所の弁護士、トップモデル、IT社長っぽい人……これを聞くだけでも、昔の少女漫画のような設定でうんざりする人もいるだろうけど、そこをこの作品に強くつなぎとめたのは、好という存在だった。

 好の零落は、説明するまでもないが、まるでバブルから醒めた日本人そのものである。ぼくは就職のときが、ちょうどバブルが崩壊したころで、内定がバンバン出た絶頂期と何十社まわってもちっとも内定が出ないという天国と地獄を目の当たりにしてきた。

 見方を変えると、好の激変とは、学生から社会人にかわるさいに、誰もが受ける洗礼だといえなくもない。そこにバブル期の呑気さと90年代的苛酷がオーヴァーラップする。

 好は、引っ越し業者の出迎えひとつ満足に出来ない「世間知らず」だった。もちろん、家事も仕事もまったくダメ。
 その状況から、好は這い上がるしかないのだ。
 この物語の前半は、まさに好の「自立の物語」である。

 会社からリストラされた好は自分で職を探しはじめるが、どの事務職もエクセルやワードが使えなければスタートラインにも立てぬことを知る。まず好は自分の「無能」を思い知るのである。


〈も…もしかして就職してから2年以上たつのにエクセルもワードも使えない私って… 会社に必要ない人だった!? ずっとずっと…〉
〈ひとりで生きる未来なんて考えた事なかった こんなに自分が何にも出来なくて何にも知らないなんて気がつかなかった〉

 社会人になって、まずは一度は「自分の無能さ」について洗礼をうけるだろう。そこから人は、「がんばる」か「別の道」を探すかする。好はまさにその二つの選択肢に引き裂かれている。

 一方では、友人に教えられ、パソコン教室に通いはじめ、日銭を稼ぐために重労働である梱包のアルバイトなどをする。フリーターだ。他方では親戚が見合いの話を持ってくる。好の親友が、

〈好 見てると時々すっごくイライラする! すごーく不安! 気にさわるの! どっか安全なトコにきっちりおさまってよ!〉

というのは、専業主婦にもなれぬ、さりとて職業人にもなれない好という存在の不安定さにたいする、イラだちである。それは本来、好的な存在自身が一番身にしてみ感じていることのはずだ。
 結婚に「逃げる」とはよくいったもので、ここでは「見合い=結婚」という選択肢はまさに「逃げる」ための、あるいは「片付く」ためのカードとしてある。

〈それって他人に丸投げしてどうにかしてもらうって事でしょ? それで生きてゆけるの?〉
〈どう生きたいか それを自分でつかみ取れないのなら なるべく楽に生き易い相手をつかまえるのもひとつの選択よ〉

 好は「結婚して専業主婦」という選択肢にあきらかに不安をいだいている(自分の父親の死がそういう思いを抱かせる契機となったのだ)。その道を正当化する言葉として好の親友(アキ)は上記のようなセリフを口にしているわけだが、アキが、そして作者自身が、根底ではその「結婚に逃げる」的生き方に批判的であるという調子は伝わってくる。

 この「どっちつかず」の中途半端さの中を、好は生きる。
 この中途半端さを必死でもがいている好の姿は、実に共感する。
 いや、ぼくの場合、別に本気で「専業主夫」になろうと思ったことはさすがに一度もありやせんが(戯れ言程度には思いました)。だが、職業人たらんとして、まったく必要な水準を持てない「不安定さ」、何者にもなれない自分に苛立つ感じがよくわかる。とにかくその日を精一杯生きるしかない、という必死さが、本来このホヨホヨしてのんびしりたキャラクターであるはずの好から発せられているのだ。

 会社をリストラされ、最後の日に机をふいて独り寂しく職場を去る好は、人込みのなかを不安げにただよう。しかしその雑踏の中に、リュックからはみだしている犬を視界の隅にふと見かけた好は、そのユーモラスさに、なんとなくにっこりしてしまう。
 労働に疲れ果てた身ながら、まわりの光景になんとなく励まされてしまう、という日常は、間違いなくぼくのまわりにある話だ。その笑顔の生まれ方は、すでに冒頭の好のそれではなく、職業人として苦闘している好の姿そのものである。そこに共感の一つの窓口をぼくは見いだす。

 上巻の後半から、好の見合い相手として、馬場という男性が登場する。
 〈背高くて顔と年収に恵まれた若い男〉である。
 そしてたっぷり下巻全体まで使って、この見合いが恋愛として成就するかどうかまでを描く。
 しかし、同時に、この物語の出発点であった、「好の自立」の物語としても、話は続いていく。
 好と馬場はお互いに好感をもちながらも、まったく恋愛として発展する様子がなく、読んでいてじれったい日々が続く。そりゃあもう、下巻の終わりまでえんえん続くのだ。
 その間にも、好はカフェのバイトに定着しながら、ようやっと正社員になる。別段好のスキルがアップしたわけでもないが、それでも必死でがんばったことが報われたという感じで描かれており、読者はわがことのようにうれしくそれを読むであろう。

 二人は下巻中、ずっとスレちがいを演じ続けるのだが、この二人の距離は、好が自立を果たした個人として登場するための距離であるように読める。馬場との結婚に「逃げる」という選択肢ではなく、自立した二人が自然な恋愛として成就するかどうかをスリリングに描こうとしているのだとぼくは読めた。

 好は物語の冒頭に比べて、とりたてて「スーパー職業人」になっているわけではない。なんとなく同じ人間のように見える。
 原田の描くキャラクターは、みんな上目遣いだ。立ち位置の関係をリアルに考えると、明らかに身長差があるはずの二人が、どちらも上目遣いに相手を見ている。陸奥A子も同じような「上目遣い」を描くのだが、原田の「上目遣い」は、モテ系の女性がよくやる必殺技のように、どこかしら「媚び」のニュアンスを生む。この作品に出てくる登場人物はどの人もこの「上目遣い」をするけども、やはり好が一番コケティッシュだ。
 好はずっとそんな調子の「かわいらしさ」が抜けない人間のようなんだけども、それでもほんの少しだけ、物語の終わりにはたくましくなったかなと読者は思えるだろう。好は状況に迫られて必死でもがいてきたことによって、なにごとかを築き上げ、好は自立した人間となって読者の前に立ち現れるのである。

 くり返しになるかもしれないが、「スーパー職業人」として現れることが、ぼくらの目の前に実際に現れる「自立」ではない。おそらく多数の人々にとっては、まさに好のような必死さのなかでどうにかこうにか生きている、という感じで自立を果たすのだと思う。

 それがこの作品のリアルさなのだ。





祥伝社文庫 全2巻
2006.10.23感想記
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