増田真樹『超実践! ブログ革命』
の書評と、サヨクにおけるブログの使い方考


 「これからはインターネットとメールの時代ですから!」

と2000年代中葉において、あるサヨ集会で誇らし気にしゃべっている80こえたおじいさん、それに感心してるっぽい参加者、などという光景を見ると、さすがに革命的楽観主義のカタマリなどと揶揄されるぼくでさえ、革命という事業の先行きに不安を感じる。(ところでぼくのここで言っている「革命」と、増田の本のタイトルの「革命」とは意味が全然違うからな!とあえて言っておく)

 コミュニストにとってブログという道具はどう使えばいいのだろうか。

超実践!ブログ革命―共感が広がるコミュニティ作り こういうぼくの疑問とは別に、本書が本屋で平積みにされているのを手に取り、「人気ブロガーになるための秘訣とは?」などというアオリがあるのを見て、ついレジへ持っていってしまった。増田にやられた。こう口車に乗りやすいようでは、いつか数十万円の布団とか買うことになるやもしれん。



「人気ブロガーになるための秘訣」部分は陳腐


 正直、その「人気ブロガーになるための秘訣とは?」の項目は期待外れ。第四章に「『一般人』人気ブロガーの秘密」というのがあるのだが、およそ「秘密」とはいえない常識的なことが並ぶ。
 いや、「あたり前」のことが実は切り口を変えたり、深く語り込まれたりすることで、まったくちがった姿を示すことがあるのだが、この場合は、まったくダメだった。「人気ブログへの最終計画」であげられている4点は間違ってはいないがどうしようもないほど陳腐である。

 一つだけあげておこう。

●毎日必ず続けること
 世界で最も有名なブログといわれる『bOINGbOING』のマーク氏は、“早期に始めたことで固定読者がついた。ラッキーだっただけですよ”(『GQ JAPAN』二〇〇五年六月号、筆者企画、佐久間由美子氏取材)と謙遜するものの、常に更新し続けることこそ人気の秘訣と、その手法を明らかにしています」(p.192)

 うむ、初心者にならまあ、心構えとしてはいいかもしれないが、これくらいならそれこそブログでころがっている程度のものだ。

 だから、ここに期待して本書を買ってはいけない(ぼくだけ?)。
 あと、「第一章 新しい日本のメディア」や「第二章 コミュニティに花が咲く」も、個別の事実をのぞけば、ブログをめぐる社会状況の概説みたいなモンで、「ブログって何?」「いまどんな状況なの?」ということをざっと把握する入門書としてはいいかもしれないが、タイトルの「超実践!」からはほど遠い。ま、冒頭でホリエモンへのシンパシーをにじませているのはご愛嬌。



ビジネスにどう使うか(1)――ブログから情報は得られるか


 本書の視点として面白かったのは、やはり「第三章 ビジネスで使えるの?」である。

 本人がモノ書きというだけでなく、事業もしているようだから、こういう角度からのツッコミをするとやはりそれなりに読ませる。「情報のオープン化で中間管理職は消えるか」「ブログ記者クラブ」など、現実化するかどうかは微妙ではあるが、発想が突飛であることによって、物事をまったく違った角度から見せてくれるからだろうと思う。

 増田がブログをビジネスという眼で見る視線は、2つあると思う(ぼくの勝手な分け方だが)。一つは、「ブログから得る」という視線。ビジネスに有効な情報をブログからどう探すか、という視線である。

「私は民放テレビなど編集の色濃い情報は見ません。最近はネットサーフィンすらしなくなりました。じゃあどうやって情報を集めているのかというと、人を介してです。……なぜブログでカバーできないかというと、ブログは第三者を含めた対象への公開を前提にしているから、ヒントが埋もれていることはあっても、大切なことや重要なことは当然隠されるのです」(p.112)

 結局、重要な情報は人と会うこと、メールなどの個別的なコミュニケーションなどでないと得られないというのである。
 増田は冒頭に、飲み屋で偶然知り合った年輩者がこっそり開いているブログについて書いている。そのブログには、「職業上の利点で自分しか知らない情報をこっそり書き記すのだそうです。」「ほとんどの人はその情報の希少性に気づかないのですが、中には同じ関心を持ついわゆるマニアの方がいて、その記事にしっかりと反応してくるということなのです」(p.24)。
 つまり宝は埋もれているかもしれないのだが、そこまでの労力をつかって情報が得られるかどうかは疑問なのだ。増田ははっきりと「ここがブログの限界点だといえます」(p.113)とさきほどのべたような状況を総括している。



ビジネスにどう使うか(2)――クチコミ媒体として


 増田がブログをビジネスという眼で見るもう一つの視線は、「ブログに影響を及ぼす」という視線。いまや400万ブログが存在するといわれるなかで、ブロガーという巨大な「クチコミネットワーク」での情報の流れをどう有利に動かせるか、という視線だ。
 増田の信念としては、ブログはその名のとおり、記録の積み重ねなのだから、ブログそのものは長年続けていればますますその人なりの個性を表すようになっていく。ブログ自体が人格として時間をへるにつれて彩られていくわけだ。
 増田は明示的には言っていないが、掲示板しかなかったころは、あまりにも匿名性が強すぎて「クチコミ」といっても、ほとんど根拠もない、文字通りの「噂」として消費されるほかなかった。ホームページは、作成ソフトを扱える人でしか持てなかったから、なかなか厳しかった。ところがブログという形で、だれでも気軽に自分のサイトが持てるようになると、自分の城となり、すでにもっている財産・積み重ねられた人格として、責任や根拠を多少は帯びてくるようになる。
 そういう時代の「クチコミ」なわけだから、掲示板だけの時代にくらべると質的な違いが生まれている。

 さて、そのなかで増田が提案している一つは、「ブログ記者クラブ」である。
 増田によればそれは特定の形をとるようなのだが、それは彼が立ち上げたベンチャーで扱っているネタなので詳しくはふれられていない。ただ、「ブロガーにとりあげられやすい形で企業側が発信をする」ということにその本質をおいていて、本書のなかでは、つぎの二点をあげている。

(1)意外な事実がある
(2)取材しやすい

 第一の点については、企業側にとって「意外な事実」じゃなくて(新しいコンセプトの店舗をオープンとか)、思わずブロガーがとりあげたくなる「意外な事実」ということ。ソニーが来春、北朝鮮製のパソコンを大量発売!とか。
 第二の点は、自信をもっているなら、企業体の側が、「おためし用取材パック」をブロガーに渡すとか。

 オオヤギみき&TOKYO GOONIEZ『それでもお店を作りたい人のためのガイドブック』(飛鳥新社)を読んでいると、著者のオオヤギがTシャツをつくってネット掲示板でちょっと評判になったらたちまち注文が殺到し大儲けした話が出てくる。「殺到」といってもたかだか400枚なのだが、1枚5000円なのでなんとあっという間に200万円をオオヤギは手にするのである(余談だが、ヘンなTシャツ好きのぼくも、オオヤギのTシャツはあまりセンスがいいとは思えないのだが)。
 店舗を実際に出してもその店舗に実際に来られる人は、これまでは限られていた。つまり商圏は非常に狭かったのだが、ネットの登場でいまや全世界に広がった。同じ400を売るのでも、近隣だけで400を売るのは至難だが、日本中で売るのはそれよりは、はるかに簡単だ。
 そのとき、クチコミを少しだけ操作できる技術があれば、少なくとも個人商店が「もうけた」と思えるほどに稼ぎをあげることは決して難しいことではないだろう。

 ブログ世界の流れを操作して爆発的ヒットとか国民的ブームを、と考えると空想になってしまうが、初めから限定した売上を目標とするなら、増田のいうように何らかのブロガーのクチコミを使って商品の売上をのばすことは可能かもしれない。



サヨクとブログ(1)――政党のホームページはどう努力すべきか


 ところで、冒頭の話題にもどるけど、サヨクにとって、ブログ&ふつうのホームページを革命のために使うとすれば、どんなことができるだろうか。

 個々の政治家のサイト・ブログのことはここではおいておき、まず、組織体(政党など)のホームページについて。ま、こりゃブログじゃありやせんが。

 しばしばこのホームページを「面白くする」という努力をしている政党や組織体があるけど(クイズをとりいれたり、ゲームをもりこんだり)、ぼくはそういう方向はムダだと思う。なるほど従来からの支持者や構成メンバー(党員や後援会員など)にとっては多少は面白く感じるだろう。
 しかし、支持者でなかった人に支持者になってもらううえではほとんど何の役にも立たないのではないか。非支持者は、その組織体のサイトを別に特別視しているわけではなく、ネットの海にただよっている無数のサイトの一つにすぎない。もっと面白いゲームやクイズのサイトがあれば、他へ行ってしまうのである。ネット世界では政党のサイトは、政党間だけで競っているのではなく、それ以外の数百万のサイトとまったく同列・等質なものとして扱われていることを肝に銘じるべきだ。
 そのサイトを独自にとりだして、文句なしに面白い、他の商業サイトや人気ブログと競っても遜色ない興奮をもたらすものをつくれるというなら、やってもいいが、そんな政党ホームページなど見たことがない。

 非支持者や政治に関心がなかった人が、政党のサイトを訪れるのは、(選挙などで)政策を知りたいとき、または関心をもった国政や地方の政治家(議員)をさがす、というケースが圧倒的だろう。そのことを検索しやすくたどりやすい、ということに最小限、心をこめるべきである。

 となると、政党や組織体のホームページで積極的に「支持を広げる」努力というのは、ほとんど無理なのだろうか。

 非支持者や政治に関心がない(薄かった)人が、その政党とまったく関係なく、政治に関心をもつ瞬間というものがある。ニュースで話題になっていることを、基本的なしくみからよく知りたい、と思うときが一番多いだろうし、それ以外にもたとえば自分の家族が介護保険を利用することになってそのことについて知りたいと思う場合などが考えられる。ふいに政治が、「政治」として視野に入ってくる瞬間だ。
 そのとき、政治のしくみや行政・制度のしくみについて、基本的なことをしっかり教えてくれるサイト、というものがほしくなるのではないだろうか。新聞社のサイトはいきなり専門的に報道されていて、さっぱりわからない。わからないからこそ、「そもそも」を教えてくれる情報源を求めたくなる。その点で、「オールアバウト」はイイ線いっているなあ。

 実は、そういう努力をしている政党がある。
 公明党だ。
 公明党は、「知りたいときのドットコム」を早くから立ち上げ、生活の必要性から政治の基本のしくみを教えることを重視してきた。炯眼というべきである。しかも、一見すると「公明党」とはわからないので、誘導しやすい、利用しやすいという工夫がこらされている。

 しかし、残念ながら、様々な難点をもっている。

 増田の本でも一般的に指摘されていることなのだが、この「知りたいときのドットコム」というサイトはポータルサイト型で、「トップページから個々のページへ」という構造でつくられていて、大変利用しづらい。いちいち自分と同じ質問を探さないといけないし、サイト内検索でやってもあまり出てこない(生活にかかわることに限られているのだ)。
 致命的と思われるのは、Yahoo!やGoogleで検索してもページがまったくヒットしないことである。これでは当該サイトを知っている人しか利用できない。
 内容も「オールアバウト」にくらべると簡略すぎるので、これならふつうにGoogleなどを検索したほうが求めていた情報が早く入手できるだろう。

 これにたいして、共産党や赤旗のページはYahoo!やGoogleで実によくヒットする。
 たとえば「定率減税」でGoogle検索をすると20万件以上がヒットするが(06年2月3日現在)、共産党のページはなんと11番目に来る。公明党は公明新聞が42番目にヒットするが、「知りたいときのドットコム」はいっこうに出てこない。企業が「オーバチュア」などを使って金まで出して必死で検索上位にヒットさせようとあがいている時代に、共産党は莫大な財産をもっているといってよい。
 しかし、共産党は、この財産を生かしきっていない。
 仮に、個々のヒット記事のページから、その問題の基本点を解説するページをつくり、そこへ誘導するリンクをつけておけば、ひんぱんに利用される可能性がある。しかも支持者や党員ではなく、「非支持者や政治に関心がない(薄かった)人」が、である。
 もちろん、すべてを森羅万象すべてを網羅することはできないだろうから、共産党のお得意の分野だけそういう網を張っておけばいいのだ。

 そして、党員や支持者が政治の関係のブログ、あるいは政治とはまったく関係のない趣味のブログなどを始めている場合、もしブログやコメントで話が政治に及べば、自然にリンクをはっておけるような「役立ち解説」サイトをつくることが、「政党ホームページ」が今後集客のために努力すべきことではないかと思うのだ。



サヨクとブログ(2)――個人のブログはどうすべきか


 もう一つ、個々のコミュニストがブログを開くことについてである。
 増田の本書『超実践! ブログ革命』にはつぎのような一節がある。

「口コミは、媒介となる人の個性などとの関係を結びながら伝搬します。『Aさんがいっていることなら信用できる』とか『こういうブログを持っている人の紹介記事なら参考にできるな』といった具合にです。だから個人メディアであるブログは口コミ発生源として成立しやすいのです」(p.126〜127)

 党派そのものに相当入れ込んでいる場合は別として、ひとがサヨになる場合、憲法改悪に危機感をいだいて、とか、消費税増税に怒ってとか、具体的な政治への思いがあるはずだから、政治の話ではなくて「党派の宣伝をする」ブログをはじめる人がいたら、相当奇妙なものとなるだろう。キモい
 だから、「党派の宣伝」のためにブログをやる必要はないし、むしろそれを自然体を装ってやることは、たいていの場合全然装われてなくて、意図がミエミエになる。有害なので即刻やめたほうがよい。増田のいう、「ブログ記者クラブ」の失敗バージョンになる。

 ぼくは、政治のことを語るのが自然ならそれを語るブログを始めればいいと思うし、別に趣味の釣りや山登り、それこそぼくのように漫画を語るようなサイトを始めてもかまわないと思う。そのなかで自然な自分の思いとして政治や党派を語る流れができるのなら、読んでいる方も「宣伝」とは思わぬだろうし、実体としてそれはいわゆる「宣伝」ではなくなるだろう。
 だから、コミュニストやサヨクは、あまり思いつめずに、自然体でブログやサイトを始めるのがよい。できるだけたくさんのサヨが。その中で、意図的ではない、真の意味での「クチコミ」が成立していくのだとぼくは思う。増田のいうように、趣味のことを語る中で伝わった人格が、発言への信頼性を高める、というものだ。(なお、組織体や議員などのブログはまた別の話である)



サヨクとブログ(3)――サヨビジネス


 さらに、ブログを使ったサヨ「ビジネス」について。

 ブログはアメリカの大統領選で、ディーン陣営が活用したことで知られる。
 ディーンの支援ブロガーたちは、ブログにクリックするだけでクレジットカード献金できるボタンをもうけ、「このシステムを通じ、実に400万ドル(約44億円)の選挙資金を集めたのである」(三浦博史『洗脳選挙』p.194 )。

 いま、日本のサヨの資金源は、たとえば共産党の場合は、(1)党費(2)募金(3)事業収入(赤旗の購読)が3大収入源である。
 新聞(機関紙)を読んでもらって党の政治主張を知ってもらうかわりにお金をもらう、というシステムが基本になっている。今後このシステムにかわるものが必要になるかもしれないが、その考察はここではおいておく。
 新聞を広げるうえで、ぼくはアフィリエイトを活用したらどうかと思っている。
 たとえば、政党の新聞を、その党の党員であろうが、支持者でなかろうか、だれでも門戸を開いて、個人のブログでアフィリエイトしてもらうのである。たとえば3ヶ月の購読の申し込みがあれば、仮に月1000円として3000円の売り上げとなるが、アフィリエイトの紹介料率をアマゾンよりもかなり高めに設定して15%くらい渡すようにする。そうすると、450円ブロガーに落ちるわけである。

 どうであろうか。



サヨクとブログ(4)――トラブル対処について


 増田の本書には「ブログで起こるトラブル」という節(p.56)がある。このことについて最後に。
 いわゆるコメント欄の「炎上」について。
 増田の本では、そういうことがありますよ、という程度にふれられているだけで、どうも増田個人の特殊なトラブルの話にそれていってしまっているような気がする。

 サヨや平和運動にたずさわっている人のブログが、「祭り」に遭遇して、「炎上」することは非常に多い。ぼくは、そういう場合、無言で粛々と削除するか一時閉鎖、もしくは、機能がついているブログなら相手のブログ所在地が確認できない人のみアク禁にするのがベストだと考える。

 これを「都合の悪い言論を封殺する行為」だと思っている人がいるけども、まったくそんなことはない
 増田は「土足コミュニケーション」という言葉を用いているが、ブログは自分の店であり家に例えられる。そこに来る際には礼儀が必要だし、来たらホストに従うのがルールである。喫茶店に出かけてその喫茶店のルールについて多数決をとったりすることはない。主人が気に入らなければ入店を断ることもできる。それと同じで、礼儀がないと思ったら、いやそもそも主人の気分がすぐれないという理由でたたき出すことができる。主人はそういう権利をもっている。
 で、たたき出された人は、自分のブログで(ない人はつくって)必要な主張を行えばいいのだから、民主主義社会としての言論の自由はなんら侵害されていない。

 また、よく「おや、平和を願っている人が、口汚く争うんですか?」「平和平和という人がケンカするのですか?」と挑発しているのに狼狽しているのも見かける。
 第二次世界大戦が終わり、国連憲章がこの世界で「武力の行使」や戦争を全般的に禁止したのはなぜか。武力の行使があまりにも危険で悲惨な結果をもたらすという痛苦の反省を人類が得たからである。だから、他のことはさておいて、「戦争や武力行使は特別に何が何でも避ける」というのが戦後世界が確立した公理なのだ。
 もし、ブッシュとフセインが武力を使わずに口ゲンカしたとしたら、もろ手をあげて歓迎すべきなのである。口論をすることと、武力を使って戦争をすることとの間には、雲泥の差がある。武力の代わりに、口論で済むならこんなにうれしいことはない。まさにそれこそ、平和運動が求めるべき結末ではないか。
 「おや、平和を願っている人が、口汚く争うんですか?」というタイプの言説は、平和とは「愛」の結果だという観念を裏返しているにすぎない。こういう人は、たとえば「中国の靖国批判や韓国の植民地批判のウラにはどす黒い意図がある」「プロパガンダ戦だ」などという言説を聞くと、それだけで国際的対話ということの価値を投げ捨ててしまう。それは自分の持っていた「平和=愛」「対話=愛とか信頼とか」というナイーブな視点が崩壊してしまうからだ。国際政治のプレーヤーがそれぞれ独自の計算をもっていることと、「対話」「平和」が両立しないものだと考えているわけである。

 いちばんまずい対応は、からんでしまうこと。冷笑しかえすのが最悪で、冷笑しても事態は何一つよくならない。相手が多勢の場合は、いっそうの冷笑をもって迎えられるし、一人しかいないサイト管理者が疲れ果てて負けるに決まっている。たとえ「誠実」に回答しても何の実りもない。コメントといいう短い形式のなかでは議論は深まらない。ただの不毛な応酬に終わるだろう。

 「●●なので削除しました」とも書かぬこと。ひたすら粛々と削除するか、アク禁にするのがベストである。
 
 
 
 

『超実践! ブログ革命 ――共感が広がるコミュニティ作り』
角川oneテーマ21
2006.2.4感想記
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