竹内洋『教養主義の没落』

「本棚には信介のあまり見たことのないような本が乱雑に突っこんであった。
 〈スタニスラフスキイ著 俳優修業〉〈ダンチェンコ著 モスクワ芸術座の回想〉〈メイエルホリドの演劇論〉〈木下順二作 蛙昇天〉〈シーモノフ プラーグの栗並木の下で〉〈チェーホフ短編集〉〈第三帝国の恐怖と貧困〉〈エイゼンシュタイン 映像の論理〉
 どれも信介がはじめて目にする本ばかりだった。信介はその本棚を眺めているうちに、目の前の緒方が、ひどく偉い人物のような気がしてきた。
 〈おれは高校時代にいったいなにをやっていたんだろう〉
 と、彼は考え、自分が取るに足らない卑小な人間のような感じがした。そんな信介の気分を察したように、緒方は煙管をくわえたまま言った。
 『本なんてものは、飾っときゃいいんだ。どうせ知識ばかり先行しても碌な芝居はできやしない。スタ・システムだのなんだのと言ったところで、満足な発声の練習もできてない連中には豚に真珠さ。まず人間は働き、恋愛し、闘争をやり、苦しんだり悩んだりしてやっと一人前の俳優になるんだ。おれはそうおもうね』
 『はあ』
 信介は前歯の欠けた貧相な緒方の背後に、自分のこれまでまったく知らなかった広い知性と芸術の世界が開けているような気がした」

「部屋の壁脇には大きな本棚が三方に並んでおり、マルクス・エンゲルス選集や、ソ同盟共産党史や、サルトル全集や、ルカーチやアラゴンの著作集などがぎっしりつまっており、一つの本棚は、横文字の原書で占められている。壁には〈若き親衛隊〉のポスターがはられていた。
 『凄いなあ。これ、全部あんたの本かい』
 信介は圧倒されるような感じで、まぶしげに本棚を眺めて長塚に言った」

(五木寛之『青春の門』自立編)




■■□■ ぼくの大学時代のあこがれ ■□■■
 ぼくはこんな大学生活にあこがれていた。大学にいけば、そこかしこにそういう「現場」に出会えるのだろうと期待していたのだ。ぼくの大学へ行くときの「3目標」は、「学生運動」「マルクス主義の探究」「同棲」だった。信介同様、本を軽く見るような緒方の発言でさえ、それが本を読んだために切り開かれた知性によるものだとすぐ見て取ることができる。そして、その緒方のような発言を、生きたかをしてみたいと思ったのだ。
 「ぼくのオヤジは炭坑の事故で死んだんです。戦死じゃないです」「どっちにしても同じことさ。帝国主義的段階における独占資本の犠牲者という点においてはかわりはないだろう」――緒方や長塚が、本から抜き出したようなコトバや概念で現実を語るという仕種も、ぼくをしびれさせたものの一つで、概念や理論によって世界をとらえなおすことができれば、世界はひどくちがったものにみえるにちがいない、という絶対的な期待があった。


 本書『教養主義の没落』の冒頭に、三島由紀夫『宴のあと』の一節が引用されていて、そのやりとりは、こんなふうな教養主義(のなかでもいちばん俗物的な衒学趣味の)空気をよく伝えている。
 大学はおおむねぼくの期待を裏切ったのだけども、それでもクラスのやつらに「岩波新書(文庫じゃなくてね)を読む自主ゼミ」なんかを提案したりして、5人くらいを集めてちょろちょろと勉強していた。そのとき「イワナミストあつまれ!」と大書した呼びかけのビラをクラスでくばったのだが、そういう岩波崇拝ぶりもこの本のなかで指摘されているが、そっくりなのだ。「教養主義の別名は岩波文庫主義でもあった」。
 ただ、入ったサークルのほうはちがった。おそらく、大学のなかでも数少ない、この本の空気そのものが色濃く残っているサークルで、先輩の下宿なんかで本棚のすごさに圧倒され、夜まで便便と講釈を聞かされたりした。院生も入って『資本論』第1巻を読み通すサークルだから、マルクス主義についても論じたり弁じたりする機会が多く、おぼえた『資本論』やマルクス主義の用語をふざけて使ったりする。「その買い物って合法則的なのかよ」「おまえの風呂に毎日入れっていうイデオロギーは自らの発生根拠を知らないんだ」。むろんヘーゲルやカントについても、下級生は読んだこともないのに、ぽんぽんとそういうことばを飛び出させる。本を読まないやつは上下級生間はもちろん、同級生間でも馬鹿にされた。
といっても本はけっきょくたいして読みもしなかったのだ。気風だけ。
 本を競うようにして読みあう、という気風ができるから、夏休みなどは絶好の読書チャンスとなる。張り切って田舎に持って帰った本は、しかしその三分の一も読まずに休みが終わってしまうのだ。
 マルクス主義を軸にした教養主義、ペダンティズム、総合雑誌へのコンプレックス、岩波崇拝――この本が描出した雰囲気は、ぜんぶぼくの大学時代にあてはまる。

 この本は友人に紹介され、その友人とのあいだで「教養主義」ということが共通の話題になっていたので、すぐさま買って読み、一気に読了してしまった。奥付をみると2003年7月25日発行だから、出たばかりだ。

■■□■ 日本の教養主義=マルクス主義の濃い影響 ■□■■
 自分の感じていた、日本の大学の教養主義の空気――マルクス主義を軸とした――とか、時代ごとの教養主義の盛衰、などについての大ざっぱな実感を裏付けられたという感じがした。
 マルクス主義を軸にしながらこの教養主義が展開されてきたということについては、すでに齋藤孝の感想ところでふれた。
 伊東光晴を引用して、支配層のなかでマルクス主義の革新思想が、社会に出てからも生きているという状況を描いている点についても、ぼくは書いたと思う。「こういう人たちにとって革新の理論は若い篤学の学生時代のかれを魅了した内容を持つと同時になんらかの形でその後も――経営者になっても、政策担当者になっても――生かされようとしていることである。講座派の理論は日本社会近代化の論理として経済政策の中心に生きつづけた。…かぞえあげればきりがない」。
 また、啓蒙知(というよりも全体知だと思うのだが)が、やがて技術知にとってかわられるということについても、やはりちらりとだが、先の齋藤の著作への感想でのべた。しかも松下圭一が、この啓蒙知から技術知への展開を左派の側から敏感に注目し、“いまや思想インテリから実務インテリの時代なのだ、啓蒙知ではなく政策科学をきたえねばならぬ”、とすでに1965年に言っていたというのを聴いて、2003年のいまごろになってそんなことを決意しているぼくというのは、いったいなんなんだと苦笑してしまった。やはり
個体発生は系統発生をくり返すのかなあ。

 しつこいようだが、もちっとあげておくと、戦前の「左傾学生」の出発点が、なんと4割も「純然たる知識欲にみちびかれて」マルクス主義にかぶれている、ということがこの本で書かれている。自分の生活の苦しさそのものなどから接近するということとは別の回路、というのもぼくに似ているなあと思った。
 それから、「独創」というものへのちょっと距離をおいたまなざしも。阿部次郎『三太郎の日記』が引用されている。「独創を誇るは多くの場合に於いて最も悪き意味に於ける無学者の一人よがりである。古人及び今人の思想と生活とに対して広き知識と深き理解と公平なる同情とを有する者は、到る所に自己に類似して而も自己を凌駕する思想と生活とに逢着するが故に、廉価なる独創の誇を振翳さない」。
 
「おれ」が随所にいる、というかんじなんだな。
 
■■□■ 「岩波」のナゾが解ける日 ■□■■
 この本から新しく得られた見方や知見というのも多い。
 旧制高校から新制高校/大学にかけても連続的に教養主義が支配したのはとうぜんその基軸にマルクス主義があるからだろうとは思っていたが、江戸庶民文化に対抗する山の手文化の流れ、農村青年の上昇的飛翔感としての啓蒙的教養、という視点から組み直すという視点は、本書ではじめて得られた。
 また、岩波がマルクス主義文献をどういう精神から扱っているかという、少なくとも草創期の空気はよくわかった。それは学生時代からの謎のひとつで、あるていどの入れこみはあっても、「正統派マルクス主義」からは少し距離をおいているのはなぜか、と思っていたのだ。だから戸坂潤をひいての岩波という文化装置の解明はおもしろかった。「岩波出版物のねらっている点は、……それ(進歩的か反動的か)より先に、文化一般という抽象物についてその水準が如何に高いか、ということにあるのだ。岩波書店がマルクス主義にぞくする名著を出版するとすれば、それはマルクス主義思想の真実という資格を買ったのではなくて、その文化財としての価値を買うからに過ぎぬ」。

 ただ、あまり細かい文脈づけ、歴史の時期区分というのはあんまり説得力がなかった。いや説得力うんぬんというより、ぼくにはどうでもよかったのだ。教養主義の没落という、このタイトルそのものについても、それが70年代前後に失われたというふうにみればそれで十分だった。

■■□■ 「どうしたらいいか」を論じてくれよ ■□■■
 問題は、大学の知のありようとしての問題というよりも、齋藤のところの感想でのべたように、日本社会の基盤、とくに指導層の精神基盤の崩壊の問題として提出されなくてはならないと、ぼくはおもっていて、そのことへの処方箋ということの方が聴きたかった。教養主義の歴史文脈をたどるのは、面白くはあるが、あまり大事ではないなとおもう。
 なぜ教養主義の再興が必要なのか、それはどうしたらできるのかを、もっと論じてくれてもよかったのだ。齋藤孝のように(笑)。
 筆者の竹内は、現代の「知」が「適応」という側面だけに過剰に特化しつつあるという点を批判し、教養という知のありようは、「適応」と「超越」、そして「自省」という3つの機能をもっていたことを紹介し、このバランスがくずれると文化の活力や創造力の喪失につながるという警告をしている(この三機能論じたいは社会学者の井上俊の提唱なのだが)。ここですよ、ここ。このあたりをもちっと論じてほしかったね。竹内はあらかじめウェーバーをひいてそこには立ち入りませんよ、と断っているのだが。

 その意味では、齋藤孝のほうが、時代の問題意識について感度が高い。さすが売れっ子。

 でも、あの石原慎太郎でさえ
民学同(日本共産党から出ていった親ソ連派の残党)に入っていたなんて知らなかったね。やっぱり時代は左翼の時代だったのだ。



『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』
中公新書1704、ISBN4-12-101704-8 C1237、2003年
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2003年8月6日記