菅野覚明『武士道の逆襲』 人力検索をしていたら、こういう質問があった。 “現代の日本人には戦前ほどの倫理の拠り所というものはないかもしれない。しかし、いまこそ、古代から日本人のDNAに刻まれている、「武士道」というものを再認識して、世界に通用する国を作るべきではないだろうか。” もはや質問じゃなくて意見であるが、まあ、それはおいておこう。 他方で、きょう、紀伊国屋書店新宿南店にいくと、文庫のコーナーには、新渡戸稲造『武士道』が平積みされており、「サラリーマンが新人に読ませたい本 第2位!」なるポップが。 このふたつの事象には、昨今の「武士道」ブームをめぐる状況が典型的に現れている。 映画「ラスト・サムライ」を一つの発端としつつ、背景には日露戦争百年をむかえ、あの戦争を再評価する空気とまぜこぜになって、新渡戸『武士道』の称揚がおこなわれている。 最初の質問(意見)には武士道精神は日本の古代からの精神である、という要素があり、そこには「現代日本人の精神的堕落」「それを立て直す武士道」という前提が見えかくれする。 後者は、新渡戸『武士道』がその武士道を体現する代表的著作として扱われているという状況である。 著者、菅野覚明は、この状況に、いきなり切り込む。 「『武士道』という言葉を聞いて、今日多くの人が思い浮かべるのは、新渡戸稲造の著書『武士道』…であろう。学問的な研究者を除く一般の人々――とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家、政治家といった人たち――の持つ武士道イメージは、その大きな部分を新渡戸の著書に依っているように思われる。そして、実はそのことこそが、今日における武士道概念の混乱を招いている、最も大きな原因の一つなのである。……それは一言でいえば、新渡戸が語る武士道精神なるものが、武士の思想とは本質的に何の関係もないということなのである」(p.11)、「武士道は……新渡戸をはじめとする明治武士道の説く『高貴な』忠君愛国道徳とは、途方もなく異質なもの」(p.20)。 おれの流した涙は何だったのか、と呆然とする人もいるであろう。 菅野は、一般の人たちのなかで「武士道」を口にする人の原イメージが、実は新渡戸ではなく、歴史小説や時代小説の武士像に規定されていることを指摘しながらも、「にもかかわらず、新渡戸にもとづいて武士道イメージを形づくる人は依然として多数を占めているのである」(p.12)とのべる。 「はっきりいえば、今日流布している武士道論の大半は、明治武士道の断片や焼き直しである。それらは、武士の武士らしさを追及した本来の武士道とは異なり、国家や国民性(明治武士道では、しばしば「武士道」と「大和魂」が同一視される)を問うところの、近代思想の一つなのである」(p.14) 菅野は、武士道の歴史を見る上で、日本史を大きく三つに分け、1)古代律令制国家の常備軍、2)武士という私的プロ戦闘者集団、3)軍事力は国家のものとなり、兵士も一般国民のなかから徴集された国民兵、という区分をもうけ、本来の武士道とは2)の時代の精神であり、新渡戸らの明治武士道は3)の時代に属する、武士の名を借りた、武士とは関係のない近代思想であると断ずる。 「近代日本の兵制は、武士という存在の全否定の上に立脚している。近代において、武力や戦闘者のあるべきあり方をめぐる思想の根幹となった『軍人勅諭』の基調は、武士及び武士的なるものの否定である。『軍人勅諭』は、武士ではなく、武士とは全く異なるところ『軍人』を創出しようとしたのである」(p.16〜17) 菅野は、本書の大半を、この2)にあたる本来の武士道精神の解明にあてる。 先にいっておけば、菅野のこの熱の入れ様にいささか異常なものさえ感じながら、菅野は激しい愛情をもっておそらくこの章節を書いていった様子がうかがえる。 「そこまで解釈できるんかい」というツッコミを入れたくなるが、とにもかくにも、読み物としては面白くしあがっている。 あまり深く追うことはしないが、菅野は、武士とは、妻子という私的集団を養うことを、自分の武力で支えて営んだ人間であり、それは一匹狼ではなく、妻子と眷属、郎党を一体とした共同体を形成し、主従の交わりを結んでいる存在、としてとらえた。 武力で所領を広げ、自分たちを支え養う以上、死ぬか生きるか、勝つか負けるかという極限にのみ生きているのであって、その中間のヌルさは一切ない。彼我の実力を見定め、それをぶつけあうだけのことである。「武士の実力は、基本的には、リアルな物質的な力の総合にある。現実に己れの存亡を懸けている現場にあっては、そのことを単純に否定するような妙な精神主義の入る余地はない」(p.55)と菅野は指摘する。 菅野は「うそをつくな」という戦国大名たちの「徳目」を紹介する。 しかし、それは「徳目」、すなわち道徳的な説教ではない、と菅野は言う。 「存亡の懸かった合戦の場には、そもそも嘘や偽り、飾りが入り込む余地はないし、たとえ入ったとしても、最後まで通用しつづけることはない。嘘をつくなとは、この世界は嘘では渡っていけないという、何のケレン味もない当然の『事実』を説く教えなのである」(p.108) すなわち、生死のギリギリのところでうまれる、軍事科学の透徹したリアリズムである。 そして、武士たちが命を賭して戦うのは徹底して妻子と一族のためであり、主人とそこでかわされる情のためである。主人に対して命を捧げるのは私的集団として、主人と長い時間を過ごした一体感のためであり、ある意味で、主人に恋する=惚れ込むせいである、と菅野は大久保彦左衛門をひいて、のべている。 精神主義的道徳とは無縁な究極の軍事リアリズム、および、あくまで私的情を媒介として「私」に生きるエゴイズム。 これが、武士道であると、菅野は述べているのだ、とぼくは読んだ。 「武士は、あくまで武士たらんとしたのであって、決して人間とか市民とかになろうとしたわけではない。……その意味では、武士道の思想は、武士社会内のみ通用する、普遍性を持たない思想であるということもできる」(p.225)とまで菅野は言う。まさに「武士道は『一の階級的思想』であって、外国を意識して生まれた『国民的思想』ではない」(p.19)のである。 クソリアルとウルトラエゴ。 現代に武士道を「利用しよう」などとヌルい人々が考えているものとは正反対のものが、本来の武士道なのである。 以下は、アマゾンの新渡戸『武士道』のレビューからの引用であるが、ここで否定されているエゴと「獣性」こそが、武士道の一つの核なのである(むろん、それはエートスにまで高まっているものではあるが)。 「昨今、街を歩けば不愉快極まる人間が闊歩している。否、それらは人間ではない。正しくサルである。それではサルに失礼か?でなければ邪獣と称しよう。それら邪獣は歩きながら飲食し、混雑の中でも煙草を吹かす。ゴミだの吸殻はポイポイ棄てて、周辺が汚れるだとか他人への迷惑はお構いなし。……本書を読めば、昔の我々の祖先は如何に清く、潔く、心美しかったかが解るであろう。本書では勿論武士としての武士道が書かれているのだが、その武士の生き様から派生する道徳心が万民に浸透し、日本国民の国民性にまで至ったと説かれている。……正に現代は獣性だらけである」 しかし、本来の武士道には、甘美な精神主義や、空疎な道徳的説教の入り込む隙はどこにもないのである。 菅野は、このように本来の武士道の何たるかを解明したあと、武士道が近代兵制によって駆逐され、その廃墟のあとに、どのようにまったく異質な明治武士道が誕生したかをくわしくのべる。 私的集団としてのエゴを排して、しかしなおかつ、私的心情である主従を媒介にした忠誠心を手に入れなければならないというディレンマに明治政府は直面し、それを解決しようとしたのが、国家ではなく、天皇という人格への忠誠を誓わせるという方法であった、と菅野は述べる。 菅野は、ここに、武士道が形式だけを借りてこられる必然性があったとみるのである。 武士道の国家主義的利用であり、『教育勅語』を契機として、過去のさまざまな道徳思想が「国体思想の一分派、発露」として「安全」に調和できるようになる、と菅野は言う。「『勅語』発布以降は、明治以前のいかなる道徳思想も、『階級的思想』としての危険性を心配することなく、大らかにわが国民族の精神として肯定することができるようになったことを意味する」(p.265)。 しかし、武士道の国家主義的改造は、たとえ「戦闘者として己れを立てるという、武士道の本質にかかわる事がらが明瞭に否定」(p.267)されていようとも、武というものを軸に組み立てているだけ、まだかろうじて本来の武士道とつながりがあったといえるかもしれない。 現在のナショナリストたちが利用するなら、むしろこちらの方がスジが通っている。 しかし、昨今流行の新渡戸『武士道』は、さらにここから離れ、キリスト教的改造を経ている。 日露戦争前後、高まる黄禍論のなかで、日本はどうにかして日本民族が文明の担い手になれるということを西洋諸国に証明する必要があった、と菅野は言う。新渡戸の『武士道』はこんなときに発行され、国際的ベストセラーとなって、日露戦争における日本の勝利を説明する道具としての役割を果たした。 「文明を操ることができる、(西洋の精神基盤である)キリスト教以外のもう一つの精神原理としての、武士道が問われたのである」(p.275)。 「明治政府は、文明を操る主体を、あくまでも民族の精神に置こうとした。しかし、キリスト教を受け入れた知識人たちは、当然のことながら、文明を操る主体は、文明を生んだキリスト教精神以外にないと考えた。したがって、国家主義者が、日本固有の道徳精神を、キリスト教と相対峙する対等の『自我』であると主張しようとしたのと丁度反対に、キリスト教徒は、野蛮な日本の道徳も、キリスト教の精神に育て上げていく可能性を持つことを主張しなければならなかった」(p.275〜6) 新渡戸の武士道を読んでいると、いきなりマルクスが登場する。「わが国の封建制度がその存続の最後の苦しみにあえいでいたとき、『資本論』を書いたカール・マルクスは、生きた封建制の社会的、政治的諸制度は当時の日本においてのみ見ることができるとして、読者にその研究の利点を呼びかけた」(新渡戸『武士道』p.16)。これは日本の封建制とヨーロッパのそれはそっくりなものだというマルクスの言説を借りて、同じ制度から他方は騎士道を生んだように、日本でも武士道が生まれた、という共通性を強調したかったのである。 「新渡戸の『武士道』にいたっては、武士道はもはや戦闘とは何の関係もない、一般道徳と化している」(p.277)。「結局のところ、明治武士道とは、明治国家における国民道徳、民族精神を、比較文明論的な視点からとらえようとする議論である」(p.281) 武士道とキリスト教理念を一つの器で論じようという、まさに人為の塊のような言説が、新渡戸の『武士道』であると、ぼくは思った。そんな「奇々怪々」なものを、おそらくナショナリストと称する人々が、ありがたがって読んでいるわけである。 『武士道の逆襲』 |
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