南Q太『地下鉄の風に吹かれて』


 あー、面白かった。

 だが、この場合の「面白かった」というのは、「南Q太という女の私生活とメンタリティを垣間見た面白さ」なのであって(それだけじゃないけど、それは確実に面白さの一つとしてあった)、それが南Q太にとって不本意なことか本意なことか知らんが。

 本書は、短編集で、その中にはおそらく南Q太本人、あるいは本人の反映ではないかという形象がふんだんに登場する。 

 たとえば、表題作の「地下鉄の風に吹かれて」には、離婚した漫画家・北原の日常が書かれている。その「#4」では、雇っていた家政婦が「いい加減」だったので辞めさせてしまうエピソードが登場する。北原は「人つかうのってなんかむずかしいです 家政婦さんはもういいや まんがもできたら一人で描きたいかも…… マイペースで仕事したい……」とこぼす。
 それを受けて、別に悪意ない感じで編集者に言われるひとことが、「北原ちゃんて言うこと変わるよね」である。
 北原はその言葉からさかのぼって、別れた夫から言われた言葉を思い出す。

「あなたの考えはころころ変わりすぎる
 あなたが思っている以上に
 あなたは わがままだよ」

 北原のモノローグ。まさに「地下鉄の風に吹かれながら」のモノローグだ。

「でもいつも迷ってるんだよ
 娘や君や私にとって最善の策がないかなって 探ってるんだよ
 それは考えをころころ
 変えているってことなの?」

 左翼間の悪口のひとつに「日和見主義」という言葉があるけども、日和を見て意見を変える、すなわち固執せずに条件の変化によって自由に発想できるというのは、むしろ弁証法的な柔軟さがある証拠である。ある場合には、ね。だから、これだけとりだせば、たしかに北原の姿勢が、ある角度では非難されるものではあっても、それは一概に悪い態度や意見だとは思えない。なるほど、とさえおもう。

 しかし、この漫画のこのコマをみて、ぼくが感じてしまう印象は、「北原ってやつは、そうとうにいい加減なやつで、こいつとつきあっている人間は客観的にみて振り回されてんだろうな」ということばかりだった。そしてこのシークエンスは、北原の巧妙な自己弁護のように聞こえてならなかったのである。
 ぼくは、その場にいたら、おそらく夫の方に出かけていって、「じっさいのところ、北原さんってどうなんですか。あなたから見て」と「夫の側から」を聞きにいったことであろう。

 そして、たぶん北原は南Q太の「自画像」もしくはその反映であると解して、ほぼ間違いないだろうと思っている。漫画家の近藤よう子が“読者はすぐ作品の登場人物を作者だと、あるいは作者の実体験だと思いこみたがるようで、困る”というむねのことをこぼしていたが、いやー、南Q太のコレはどうみてもそうでしょう。
 だから、南Q太も間違いなくそんなやつなんだろうな、と思いっきり感じました。

 あとでつれあいから聞いた話なんだが、南の別れた夫が週刊誌でコラムを持っていて、子どもと会えない苦労をこぼしていたらしい。「夫の側から見た離婚」という言い分がまさにあるんだろうな、というふうに、いっそう強く思った。

 ちなみに、ぼくのつれあいは、この本に収録されている「女の友情」という短編を読んで、実は不倫関係なのにだまされてつきあいをされていた主人公・恵理に激しく腹を立てていた。恵理は、恵理の友人・美咲が「きっぱり別れな」と諭しているのに、ウジウジと別れない口実を口にし続ける。本の中の恵理を指して、「こういうわがままな女が一番むかつく」とか憤るつれあい。まるで、つれあいと歩調をあわせるかのように、作中の美咲が叫ぶ。「あんたってすっごくワガママだよね」。
 この美咲の描き方のシャープさは、まったくすばらしい南Q太一流の造形で、ぼくはいっぺんでこの美咲のファンになってしまったのだが、そういう南の創作水準の高さとはまったく別に、おそらく南本人の反映であろう主人公・恵理の「煮え切らなさ」は、まったくもって、ぼくも共感できなかった。
 「たぶん南Q太ってこんな人なんだよ」と言いたい放題のわが夫婦は、きっと南がリアルに聞いていれば殺されたであろう。 

 南は、ふつうの人は捨象したり、省略したり、造形できないような気持ちをなぞりあげて、一つの作品にしてしまうことが実にうまい。多くのファンは、だれも言ってくれなかった、形にしてくれなかったものをよくぞ捉えてくれたと、そうやって立ち上げられた気持ちというものにリアルを感じているのだ。身辺エッセイのようなジャンルの南の漫画でさえ、そこに強みがあった。
 しかし、『地下鉄の風に吹かれて』のいくつかの短編を読んでいると、先ほどいったような感じで、急に醜悪な自己弁護を聞いているような気になってきてしまうのだった。離婚話などの場合には、「気持ちをなぞって形に仕上げる」という行為が決定的に裏目に出るのだ。客観性のない自己弁護に堕す。それが面白くないかといえば、南の私生活をのぞいているような妙な「興奮」があるので面白いわけなのだが(つれあいはそれは邪道だと憤る)。

 そういう扱われ方が嫌なら、南は自分の離婚を題材にした話は描かない、もしくは方法論を変えることだ。「ふーんだ。漫画や創作なんて、程度の差はあれ、自分のプライバシーの切り売りじゃん。今さら何いってんの」と南が開き直るなら、このままどうぞ。
 自分の家のお手伝いさんに「手をつける」ことを題材にする私小説作家の末路よろしく、あなたが切り売りするものを、出歯亀な人々(ぼく含む)が垂涎して待ちかまえていることでしょう。



※『クールパイン』の感想はこちら

祥伝社
地下鉄の風に吹かれて
地下鉄の風に吹かれて

2004.10.15感想記
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