かがみふみを『ちまちま』




 ぼくの中学から高校時代にかけてのマスターベーションの妄想のなかでは――とそんなもの聞きたくない人は、早めにページを閉じてほしい。

 マスターベーションをしなくても、夜寝るとき布団に入ってえんえんと妄想していたもののなかでは、セックスをすることを想像するのが一番興奮したことは言う間でもない。(正確には「性器結合」については想像ができなかったし、そもそも女性器の描写に嫌悪感があった。高校生のときアダルトビデオを見てもその種のシーンが出てくると早回ししていた。)

 そうした妄想については「ストーリー」をはじめから組み立てている。しかし、そうすると、妄想でセックスまでに自然な(自分的に無理のない)シチュエーションを頭の中で構築するのに、もんんんんんんんんのすごい詳細な手続きが必要になった(星里もちるの漫画のように)。セックスや裸などの身体的欲望へいきつくのはかなり稀で、その前の「手続き」でだいたい眠りに落ちてしまう。これだとゴールまで行かないので、毎晩楽しめるよ!

 セックス(は想像できないので大体女の子の下着付きの裸体。その下着も、中学時代の妄想は、ハンカチみたいな貧弱な布が胸に貼り付いている程度……orz)の欲望にまで行き着く前に、「手続き」段階で精神の高揚がある。
 むしろ、身体的興奮ではなくて精神的な興奮を感じるのはこの段階のほうである。

ちまちま いきなりこの『ちまちま』をこんな妄想話で汚してしまって申し訳ないのだが、この『ちまちま』は、ぼくの中学〜大学時代の妄想の、「精神的興奮段階」ともいうべきものに正しく対応している。
 だいたい、主人公の女の子の制服が、ぜんぜん「イマドキ」じゃなくて、80年代のオレら的なんだYO!

 『ちまちま』は、高校生のカップルつうか、カップルになる前の段階の男女二人のドキドキ状態を1巻まるごと180ページ使って描いたものである。
 背が低く要領が悪い女子高生の千村さんと、ノッポで親切な男子高生・黒川くんが主人公だ。どちらも漫画的形象としては少数派であるが、現実の高校生としておそらく多数派であろう、ひどいオクテ。おたがいに赤面してまともにコミュニケーションできないのである。

 ぼくが、自分の妄想との対応を見いだすのは、この「相手の気持ちがわからない」段階ではあるが、しかし、お互いが好意をもっていることはほぼ確実ではないか、と思えるシチュエーションである。
 この漫画はそれが満載なのだ。

 まず、p.48で千村さんは、黒川くんとのキスさえも想像できず、想像しかけてヒートアップするシーンが出てくる。つまりこの漫画からは「キス以降」の身体的欲望がきれいに除去されているのだ。

 ひょっとしてこのコ、ぼくのことを好きなんじゃないかな、と思って手痛いしっぺ返しを何度もうけたぼくは、相手の女性が自分を好きでいてくれることへの飢餓的な欲望があった。

 しかも、お互いにまだ「好きだ」とも何とも意思疎通はしあっていない、というシチュエーションがすっげー大事なのである。

 そのコはまだ何もぼくについて意思表示してはいないけども、いろんな言動を積み重ねていくうちに絶対にこのコはぼくのことが好きだという確信に変わっていき、やっぱり好きだったという物語は、たまんないなー。自分が果たせなかったことを救済しなおす意味があるのだろうけども。

 たとえば、第2話。

 世界史の重い重い資料を教師に頼まれて運んでいる千村さん。それを途中でもってあげる黒川くん。
 このとき、千村さんは、なぜこんなにタイミングよく自分をたすけてくれるのかと不思議に思い、思考をめぐらすうちに、ひょっとして自分に好意をもってくれているのではないかという結論にたどりつく。
 しかし、それはいかにも唐突な結論ではないかと千村さんは自分のなかで否定してみる。
 だが、資料を運び終わった後、千村さんはミルミルをお礼に渡そうとして黒川くんがすでに持っていることに気づくのだが、黒川くんも恥ずかしそうに千村さんからのミルミルをもらい、自分の渡すという「儀式」をおこなって、千村さんの親切を受け入れるという意思表示をしてみせるのだ。

「やっぱりいいひとだ」

と千村さんは赤面しながら思う。
 くー。
 これですよこれ。
 黒川くんも千村さんもお互いの真意を図りかねてはいるのだけども、好意を寄せているにちがいないという確信を深めあう、っつう。

 いやー、くり返しますけどね(と自分語り)、親切の一つひとつに「好意」が込められているんじゃないかと解釈するって、すごく甘美なことなんだよ。わかるかい、そこの若いの。
 第3話でも、古文の訳を千村さんのためにやってくる黒川くんがいるのだが、千村さんはその親切を「自分への好意=恋愛感情」なのかどうかをずっと図りかねている。
 家族に「お友達に古文の得意な子いるの?」と聞かれ、千村さんは「う…うん 友達」と赤面しながら答える。

「いつもあたあしにすごく親切にしてくれて…
 優しいけど
 多分…
 あたしの友達」

 千村さんの女友だちは、「男子が好きでもない女子にそこまで親切にするとかマジありえないから!!」と黒川くんの恋愛感情を断定するのだ。
 そうか、「マジありえないのか」……。
 つうことは、

(1)男の下心はミエミエだということ
(2)女の場合はそうでないことがありうること

なのか……orz あーもう、女子は好きでもないのにそういうことすんなよ! こっちが勘違いすんダロ! 「えーっ紙屋くんのことそんなふうに見たことないしー」。くそっ。

 さて気をとりなおして。

 最大の欲望的シーンは、第5話。
 二人で、「デート」と規定できそうでできない「お出かけ」に、水族館へと出かけ、手をつなぐシーンである。これが圧巻。

 二人は手をつないでいるかのようなペンギンをみて笑いあったあと、手と手がふれてしまう。
 感電したような二人は、しばらく触れあったままである。
 しかし、黒川くんは少しだけの勇気をもって指を数ミリ動かすのだが、最初千村さんは数ミリだけ指を逃がしてしまう。しかし、やがて千村さんの方からふたたび数ミリ指を歩み寄らせる。

 うわぁぁぁぁぁぁぁ。
 そうなのだ、これなのだ。

 この数ミリの反応にすべての神経を集中させている二人にとって、数ミリは人格と感情の一切を集約させている。
 触りあって動かない、というシチュエーションでは、二人はお互いに好意があるかもしれないしないかもしれないという緊張のなかを激しく往復しているのだが、これは決して不快な精神状況ではない。
 ぼくはこの瞬間、そして長く続くこの瞬間こそ、幸福きわまる停滞の瞬間であり、妄想のなかでももっとも精神的興奮が高い瞬間だと思う。

 ぼくの妄想のなかでも、たとえば手と手や、体と体がふれあって、お互いの好意(恋愛感情)を忙しく計測しあい、やっぱりお互いは好意をもちあっていたというストーリーは最高度に興奮した(安くてすいません)。

 そして、お互いに好意が確認できた瞬間からは緊張が解放され、快楽的なモードへと入る。
 『ちまちま』では、黒川くんは、千村さんからの数ミリの歩み寄りを確認し、思い切って手をにぎるのである。
 手をにぎるまでに、かがみふみをは3ページを費やした。
 精神的な興奮が身体的欲望へ飛躍する瞬間である。

 手をにぎってからの長く続く興奮と快楽を、かがみふみをは、また丹念に描く。

「手にいっぱい汗をかいて
 頭がくらくらして
 足元がふらふらして」

 デートの終わりまで朦朧とした気持ちの中で手を握り続ける二人を描くのだ。

 そいでもって、二回目に手をつないだときなんか、手を「にぎにぎ」したりする様子がもうあの精神的にエロいっつうか……だめぽ……。

 えーと、ここまで書くと、なんだか少女漫画そのものじゃん、と思う人もいるかもしれん。
 しかし、しかし、違うのだ。

 たとえば「赤面」といえば思い出すのは桃森ミヨシ『ハツカレ』なのだが、『ハツカレ』では、いきなり告白して交際が始まってしまい、お互いの気持ちを図りかねているという状態はほとんど出てこない。
 また、たとえば中原アヤ『ラブ★コン』ではたしかに主人公の男の子が女の子の気持ちに気づくまで長い時間がかかるのであるが、「精神的な興奮が身体的欲望へ飛躍する瞬間」は一瞬である。もちろん、もう興味がもてないくらいまでにダラダラと男の子を思っている気持ちが描かれるのだが、「飛躍」する瞬間は、『ちまちま』ほど長くはなく、本当に一瞬である。それも一気にキスをしてしまうのだ! 違うんだよ、それじゃあ。

 これは決してぼくだけの欲望や興奮じゃなくて、すべての男子の欲望ではないかと思うのだが、ちがうんですか。ちがうといっても聞きませんよ。聞こえません。
 
 
 
 
 
 
 

双葉社アクションコミックス
2006.7.24感想記
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