「ちょんまげ天国」




 きょう「紙屋研究所」でググっていたら、2chの「伊藤剛」スレで、ぼくの名を騙って投稿しているやつが。こらーっ!


 さて。きょうはCDの感想文。

ちょんまげ天国~TV時代劇音楽集~ この前、職場の同僚とぼくという男2人、共通の女性の友人、という計3人でカラオケにいった。いずれも30代前後。昭和歌謡がみんな大好きなので、「上海帰りのリル」をはじめみんなで熱唱していたのだが、その女性がおもむろに杉良太郎の「江戸の黒豹」を唄い出したのには心底驚いた。あんた、ただもんじゃないね!

 実はカラオケに誘われる直前、自分の部屋で「江戸の黒豹」についてネット検索して「ああ唄いたいなあ」と思っていたのだ。このあと「カラオケいかね?」という電話がかかってきてこの奇跡が起きたのである。テレパシー状態。おおう、心の友よ! こんな偶然ってあるかしら。すごいと思わない? いや、このサイトを読んでくれている人にとっては、ホントどうでもいいことだと思うけど。


 「江戸の黒豹」をどこかで聴けないか。

 それでネット検索で探し出したのがこのCDであった。HMVで見当たらず、近所のレンタルCD屋にいったらあったので早速借りて聴いてみる。
 ああ……。
 杉様の魅惑のお声だけでなく、あの流し目も彷佛とさせるすばらしいものだった。

 「江戸の黒豹」は、杉良太郎主演のテレビ時代劇「新五捕物帳」のオープニング主題歌である。この「ちょんまげ天国」の解説(ペリー荻野)には次のようにある。「平均視聴率は20パーセントを越え、杉さまブームが起こります。特に『杉さまの流し目』は多くの女性を熱狂させ、補助席も立ち見席も満席状態。社会現象として、ドキュメンタリー番組までできたほどです」。
 私も幼少のみぎり、「新五捕物帳」を見ていたのであるが、このドラマは杉の魅力だけではなく、その筋立てに際立った特徴があった。先の解説には「無学だが弱い庶民のために命をなげうってでも、悪と戦う。そんな熱血岡っ引き新五」とあるが、そう聞くとフツーの時代劇のように思える。
 ところが、こちらのサイトのページ(「杉良太郎型決戦兵器・新五捕物帳を見たのだ!」)が非常に上手に解説しているのだが、悪の描写が極端なまでに念入りかつ非道で、それを倒すためにふるわれる杉良太郎扮する新五の「正義の暴力」がハンパではないのだ。
 「ドーベルマン刑事」とか「ブラック・エンジェルス」などの平松伸二の漫画っぽい。カタルシスがすごいのである。

 たとえば「水戸黄門」なんかでも悪役は出てくるけど、悪代官は地位を利用し悪徳商人と結託して私腹をこやす、というふうな造形で、いわば政治経済構造にまで達する「巨悪」なわけである。ところが「巨悪」というのは悪としては規模は大きく社会に与える被害も大きいのだけど、実は「小悪」のほうが人々の感情に訴えるところが大きい。
 ロッキード社の飛行機を導入するために総理大臣の地位を利用して巨額の賄賂を受け取り政道をゆがめた、というのと、娘一人母親一人という貧乏一家をいじめぬき娘を手篭めにして売り飛ばし母親はショックで身投げ、というのと、どちらが感情に訴えるか。

 「新五捕物帳」では、文字通り弱い者がいじめていじめていじめぬかれる。やっとみつけた小さな幸せをズタズタに引き裂かれて、その弱い者たちが死んじゃうとか、血も涙もない設定
 これにたいして、新五の制裁がまたハンパではないのだ。先ほどのサイトにあるように「……ゆるさネェ」と静かに一言口にし、「殺陣」とかそんな様式美の生易しいもんじゃないのである。それが「流し目」杉良太郎のクールさ、非情っぽさみたいなやつに合っていたというわけである。


 さて、このCDは時代劇の楽曲のオムニバスで、いくつかの同種類のCDをさぐってみたのだが、これはと思う名曲が多くセレクトされている点で、抜群であった。
 ぼくは別に時代劇のコアなファンではないので、ごくオーソドックスな曲が網羅されているという、このCDのセレクト精神が気に入ったのである。

 たとえば、「ああ人生に涙あり」という「水戸黄門」のオープニングテーマ。これは代々の助さんか格さん役が唄っており、このCDではなんと初代・佐々木助三郎の杉良太郎が唄っている。まあ、ぼく的には里見浩太朗が幼少体験からいってツボなのであるが。
 舟木一夫の唄う「銭形平次」とか、「大岡越前」のテーマ、藤田まことの「てなもんや三度笠」、「暴れん坊将軍」のオープニング曲など、スタンダードなのが多い。

 これは知っている人がどれくらいいるか微妙であるが、「江戸を斬る」の主題歌「ねがい」。遠山の金さんの話で、主役の金四郎を演じた西郷輝彦が唄っている。「江戸を斬る」は、「水戸黄門」「大岡越前」とともに、その3つが交代で放送される「ナショナル劇場」のなかのもので、有名なような気もするのだが、意外と知られていないという感じもするものである。
 遠山の金さんは、さまざまな時代劇でさまざまな人が演じている。ぼくの接してきた時間からいうと、西郷の金さんは一番長い。しかし、あまり好きになれなかった「金さん」であった。
 金さんといえば、中村梅之助、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹などが演じているが、西郷や杉のようなスマートなタイプはあまりむかない。中村や高橋のように、やや暑苦しいような存在感があるほうが、桜吹雪を出したときの説得力が大きいのである(松方までいくと暑苦しくなりすぎというか下品さが出てしまう)。
 西郷が出す桜吹雪はカタルシスが弱い。「江戸を斬る」では実は桜吹雪をみせずに事件解決をする回もあって、このCDの解説では「それだけ腕がいいってことでしょう」と“ご祝儀”を出しているのだが、やはり西郷の桜吹雪はイマイチだったのではないかと邪推するのである。
 にしても、この主題歌「ねがい」はとてもいい。いずみたくの作曲もさりながら、西郷のちょっと甘い声が雰囲気を出している。時代劇にはあまり思い入れはないけど、主題歌がよかったなあという珍しいケース。

 オーソドックスということでいえば、やはり「大江戸捜査網」。

 隠密同心心得の条
 我が命、我がものと思わず
 武門の儀あくまで陰にて
 己の器量伏し
 ご下命いかにても果すべし
 なお、死して屍拾う者なし
 死して屍拾う者なし

という決めセリフを、職場の同僚とパロって遊んでいる毎日だが(どんな職場だ)、ぼくはあまり「大江戸捜査網」は見る機会がなかった。すでに故人となったわが祖父母があまり見なかったせいである。
 祖父母が好きだったのは、先ほどあげたナショナル劇場の「水戸黄門」「江戸を斬る」「大岡越前」などで、超安定構造の物語が好きだったのである。午後8時から番組がスタートし、殺陣シーンがはじまる8時40分ごろになると、「ほうれ、印篭が出るぞ」などとうちの祖父は決まって得意げに言ったというくらい安定した構造。

 もちろん、「大江戸捜査網」も勧善懲悪のパターンものではあるが、隠密の組織的チームの物語なので、当時としてはかなり複雑な構造の時代劇だったといえる。それをうちの祖父母は嫌ったのであろう。
 近所のよろず屋にアメやアイスを買いにいくと、奥で店番をしていたじいさんが見ていたのを盗み見たくらい。そのとき子ども心に「大江戸捜査網」のオープニングのホルンがカッコイイと思ったものである。
 オープニングテーマはインストルメンタルで、ホルンが主旋律を奏でる、勇壮というよりは軽快な曲。メロディーラインが聞きたいひとはこちら


 
 祖父母の選んだ時代劇のチャンネルを、兄といっしょに見ていることが多かったが、高校生くらいだった兄は絶対に主人公が死なない時代劇に不満があったようで、「制作の現場で20分の1くらいの確率のクジを引いて、当たりが出たら主人公を殺すことにしてはどうか」などとぼくに提案していた。つまり、一回目で主人公が殺されて終わるというシリーズもありうるというわけ。「これだと手に汗を握りながら殺陣シーンをみられる」というのだ。

 安定した構造、「お約束」のもつ偉大さが理解できなかったあの日。
 君は若かった。






「ちょんまげ天国 TV時代劇音楽集」
Sony Music Direct
2005.9.29感想記
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