第5回文学フリマに出展する同人誌「クラルテ」に寄稿しました



 2006年11月12日に文学フリマがあります。
 文学フリマというのは、文学同人誌の即売イベントです。

 ぼくは民主文学会代々木支部の同人誌「クラルテ」創刊号に書かせてもらいました。ぼくはお客さん的立場ですが、こういう機会を与えていただいたことに感謝します。同会は文学フリマに出展します。ぼくも当日行ければよかったのですが、なにせ九州に移ったために容易には動けず、しかもその日は用事があってバツ。雰囲気もふくめて知りたかったので、まことに残念です。

 これ(→)が「クラルテ」創刊号の表紙ですが、つか、これ、民主主義文学の表紙じゃねーだろ(笑)!! 民主主義文学っつうのは、戦前のプロレタリア文学の伝統をいかして戦後、宮本百合子なんかが加わってはじめた文学運動なんですが、この表紙、すばらしすぎます。モロにグッときます。

 表紙を書いたのは、何を隠そう、「すき家」の労組結成へのかかわりとか、国際大資本・デルとの闘争で勝利をおさめた、今をときめく首都圏青年ユニオンの「たけとん」さんです。ぼく、まだ会ったことありませんが。すばらしいの一言です。(「ウラ−!」「ブラヴォッ」の声)

 実は、まだ届いてないので、読んでません(笑)

 はじめ、手塚治虫を今後研究していくさいの「問題意識メモ」みたいなラフのラフのラフのスケッチを書こうかと思ったのですが、そんな出来こそないみたいなもんを出されても読まされる方はいい迷惑だろうと思い直し、近藤ようこ『遠くにありて』について書くことにしました。

遠くにありて  サイトでは短評でちょこっと書いていますが、この作品から惹起されたもろもろの感情からすればあまりに「ちょこっと」すぎるので、どこかで一定の決算をしておきたかったのです。

「文章で名を成さないということは怖い――近藤ようこ『遠くにありて』を読んで」

という感想文を寄稿させてもらいました。
 短評を書いた時点では、主人公の最初の頃の感情=田舎で埋もれていくことの怖さ、ということに共感することしきりで、泣けて泣けて仕方がありませんでした。しかし、今読んで全然違ったものが見えてきたのです。

 関川夏央が『知識的大衆諸君、これもマンガだ』(文春文庫)で、近藤のこの作品を「秋空に浮かぶためらい」と題して、次のように評しました。

〈主人公が恐れていたのは、地方での生活ではなく、実は家族の解体であった。「遠くにありて」思うものの喪失であった〉(p.230)

 この評を最初読んだとき「え?」と思い、すんごい違和感を覚えました。たしかにそのエピソードはあるけど、それがテーマ? と。
 今なら言えます。この関川の評は見当はずれだ、と。

 そうやって書いたものですが、期せずして、といいましょうか、この同人誌のめざすところである「社会」と「私」をつなぐ、という共通の主題にたどりつくことになりました。


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 いずれにせよ、ぜひお買い求めいただいて、お楽しみください。
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 「クラルテ」自体がぼくの手に入ったら、またこのページを補足するやもしれません。





2006.11.11記
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