第6回文学フリマ
「『丸山真男』に手をさしのべる 希望は、革命。——赤木智弘『希望は、戦争。』について」を単行本とほぼ同時に発表しました




 2007年11月11日におこなわれる第6回文学フリマ(文学同人誌の即売イベント)に出展します。東京都中小企業振興公社・秋葉原庁舎の第1・第2展示室です。B-49に出ます。

 前回同様、民主文学会代々木支部の同人誌「クラルテ」の第2号に寄稿する形で参加させてもらいました(ぼくは福岡で子育てをしているので、当日は会場に行けません)。

 今回は漫画評論ではありません。
 「『丸山眞男』に手をさしのべる 希望は、革命。——赤木智弘『希望は、戦争。』について」です。

若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か  赤木智弘が「論座」誌に書いた「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」が論壇およびネットで話題になりました(赤木は最近『若者を見殺しにする国』という本を出したがその中にもこの一文は入っているという=未確認)。「ロストジェネレーション」のフリーターは既得権益をもつ世代に抑圧と搾取をうけており、その抑圧の平和を流動化させるために戦争を待望してしまう、という立論です。
 今回のぼくの文章は、この赤木の主張について思っていることを書いたものです。

 赤木にたいする「回答・応答」を同じ「論座」誌の07年4月号で「左翼」的面々がおこなっていますが、総じて評判がよくありません。
 他方で、池田信夫みたいな人は、赤木の左翼批判、「労組=既得権益」論、「戦争=社会変化の契機」論をつまんで赤木を「応援」する立場を表明しています。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6daa5dedc82287a32f3dbad99e1df878
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/86fa6ac085258996d4f3d1ae3fc61b49

 ぼくは、赤木の二つの論文(最初の論文と、応答に対する再応答)と、赤木のネット上の日記をいくつか読ませてもらったかぎりにおいて、まず「希望は戦争」だという部分は単なる修辞にすぎないと思いました。
 赤木の文章は読む者の眼を文面からそらさせない「魅力」があります。いえ、「魅力」というより粘着的ないやらしさ、あるいはひりつくような訴えかけです。横向いて鼻で笑わせてしまわないような「力」です。
 これまで常識的な音量(というか小声)で遠慮がちに言われていたような言説を、左翼が目が覚めるぐらいの不快な大音響で突如鳴らし始めたという感じです。
 だから、「抑圧の『平和」を流動化させるには戦争しかない」というのは単なるレトリックであり、その枝葉にこだわるのは愚かなことだと思いました。

 「論座」に出た左派的面々の多く、あるいは逆に池田なども「戦争待望論」の部分にこだわりすぎたきらいがあります。

 ぼくが刺激をうけたのは、
たとえば萱野稔人のネット連載「交差する領域」の第7回
http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html
あるいは、ブログ「想像力はベッドルームと路上から」
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070307/p1

ブログ「雪斎の随想録」
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_17a1.html
などでした。
 萱野のついては、赤木の言説には健全な人間的要求が見え隠れすること、「想像力はベッドルームと路上から」についてはこれは左翼批判そのものであり(戦争待望論ではなく)左翼自身の課題として応答すべきものであるということ、「雪斎の随想録」については赤木のメンタリティはまるっきり左派であること、などがそれぞれ参考になりました。


 赤木の赤木の「真意」(これは赤木が心の底でどう思ったかという意味ではなく、赤木の問題提起の客観的な核心という意味)がどこにあるかを、左翼として見定めることが必要ではないかと感じたのです。

 最近、「ネット右翼だった」人へのインタビューなどを通じて思ったことなのですが、言葉の表面ではなく、その「真意」をくみとるという対話が必要ではないかと思っています。コミュニスト的に言えば、社会が法則的に発展していくうえで、その法則に則った前向きな形で問題を提起し直す、といいましょうか。「なんだ、それはサヨにとって都合よく解釈することだろ」っていうツッコミはあるとは思うのですが、対話というものはそんなふうにしか始まっていかないだろうと思います。
 史的唯物論が教えるとおり、ひとは客観的に措定された立場をなかなか動けはしないものです。だとすればお互いの立場の違いをはっきりと明確にしつつ、自分にとってその人の問題提起や意見のなかで一致できる部分をさがすことからまず始めるべきなのです。

 もうひとつ、ブログ「御託専科」のこの問題についてのエントリで、ここで書かれているヘンに18世紀的な革命観(極貧層の陰謀的反乱)にも触発されました。
http://blog.goo.ne.jp/circusmanx/e/7b96670f21077b8fc49a666f875bb608

 まあ、そんな感じで書いたのが「『丸山眞男』に手をさしのべる 希望は、革命。——赤木智弘『希望は、戦争。』について」です。
 「真意」=客観的核心をぼくなりにくみとるという作業なので、赤木にしてみれば「俺の言いたいことはそんなことじゃねーよ」というでしょうが、赤木がどう考えるかはあまり知ったことではないのです。
 また、ぼくが今回「クラルテ」に書いた一文は完全なる「回答」ではなく、問題を整理し直して課題を明確化したにすぎませんから、本当に回答に仕上げていくのはこれからの課題になるだろうと思います。

オタクコミュニスト超絶マンガ評論 文学フリマに出品したのとだいたい同じ一文を今度出すぼくの本『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』でも入れました。興味のある方はどちらかをお読みいただければと思います(※文学フリマの会場では『オタクコミュニスト…』は売っていません)。






2007.11.6記
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