稚野鳥子『クローバー』16巻 16巻以前の感想はこちら 柘植しゃん。 お前はとても同年代の同性とは思われません。 リアリティがどうとかいう話じゃなくて、一読すなわちむかつくのである。 婚約指輪を主人公(沙耶)にあげたあと、さらにもうひとつ「ごほうび」に「カルティエのCハート」(推定十数万円)を「それは独身最後の誕生日だから特別にプレゼント」などとネクタイをほどきながら言っちゃう。で沙耶の頭とかをなでたりなんかしちゃって、 「花嫁修業も頑張ったしな 家計が一緒になったらもう買ってやれないかもしれないぞ だからもらっときなさい」 なんかそこにぽやぽやしたスクリーントーンが貼られて、沙耶のモノローグ。 「柘植さん 柘植さん… どうしよう すごく 嬉しい」 本を思わず二つに引き裂きたくなる瞬間。 あーあーそうですか。 もう勝手にやっててくださいよ。 ある種のOLの欲望を、ここまで臆面もなく並べられればもう、あっぱれ大丈夫の志、と扇子の一つも広げたくなる。 この漫画のどのコマのどの絵にもセリフにも、この世界の前提を疑う批評精神のカケラもない。 疑われる唯一のものは、オトコの自分への愛情だけであって、これはもう毎回ほぼ水戸黄門もかくやというほど、動揺→独り相撲で元のさや、という安定した展開。16巻のオビは「16巻は……事件だ!」などと書いてあるが、もう買う方のワタクシとしては「はいはい」とあしらいながら買うしかない。 沙耶の友人・里李香が、お見合いに出て、「……いい人そう」というていどの不細工な「顔」のオトコに堪え切れず、お見合いの席を中座してしまう(しかも泣きながら)。 おそらく、ぼくは、中座「される」顔の持ち主であろうが……そうか、泣くほどいやか。 ここでも欲望全開だな。 顔の悪いオトコは、『クローバー』的世界では人権はない。 『ハッピー・マニア』にも似た話はあるが、それはシゲタカヨコ自身が笑いの対象になることによって、全体が批評精神につつまれた。ここでは、作者はマジに顔の不細工なオトコは世界から排除してしまうのである。 ただ、この苛酷な男権社会では、女性がオトコの「顔」をみて席を蹴るというのは、「笑い話」ですむが、逆の場合は、もうあまりに冷酷な話になる。つまり「シャレ」にならないのだ、ということはわきまえておきたいが。 そしてきわめつけが、「花の命」という話のなかにあるモノローグで、 「花の命は短い…… つぼみは開き 花を咲かせ 枯れる…… いつまでも美しく咲いていたいから 女ははてしない努力をする――」 「つぼみ」のところには沙耶の妹(あゆこ・高校生)、「花」のところには沙耶、そして「枯れる」のところには老婆。 加齢とともに「枯れる」女の人生――もう揺るぎないほどの信念である。 ごていねいに、この巻では女の体から油分と水分が次第に逃げていくという「脅迫」までが載っており、「いい?25にもなって大人の女になれなかった女が次に何になるか知ってる? おばちゃんよっ!」という沙耶の友人・一葉の言葉はもはや「ご宣託」である。 肌や外見などうっちゃっておけ、という話をするつもりはないが、それを数ページにわたって説教するその思想、すなわち花の命に女の美しさを例える思想は、すでに「援助交際」の思想のすぐそばに立っているのである。「キレイなのは若いうちなんだから!」 「この世の中には『若い女』と『若くない女』が確実に存在させられてきたのだ。陸奥(A子の)作品を読むことで、他のメディアが、『若くない女』をいかに『汚らしく』描いてきたかがよくわかる」(荷宮和子『アダルトチルドレンと少女漫画』) そんなこんなで、こわいものみたさ。ぼくは16巻すべてを買い続けておりまする。 16巻以前の感想はこちら 集英社マーガレットコミックス(以後続刊) |
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