北崎拓『クピドの悪戯 「虹玉」』



※一部ネタバレがあります


クピドの悪戯 1 (1)  読者と重なるような男性主人公と、とくに理由もなくその男性を好きでいる二人の美人――5巻までは実に伝統的なラブコメだよなあ。

 もちろん作者は周到に計算してキャラクター配置をしている。
 「クピドの裏側」という「メイキング・オブ・『クピド』」の中でキャラクター設定について作者はこう書いている(「ちょっと話しすぎかもしれません。純粋に作品だけを楽しみたい方はご注意ください」とあるように楽屋話である)。

【麻美】 美人で明るく社交的、でも……見たくないけど、ありえないとはいえない現実感と、女の子がもっていてくれたらうれしい男の夢を併せ持った女性。

【怜子】 少しとっつきづらい性格だけど、美人・巨乳・うぶとたくさんの男性に好かれる要素を持っています。

 うむ。ラブコメの伝統にのっとった「正しい」女性像である。

 しかし「伝統的」だといっても、それが凡庸だという意味ではない。
 日高トモキチ『みぞれの教室』の短評で、ぼくは「ありきたり」である作品に悪態をついたけども、本作は、少年誌では絶対にできない青年誌(ヤングサンデー)の特権をフルに活かし、ヤンサン的男性青年読者が女性からしてほしいことのすべてをやってのける。
 そこはそれ、手練の北崎拓。心憎いまでに、男性読者の欲望に「ご奉仕」だ。
 ここでは「ありきたり」さは、凡庸さではなく、安定した快楽へと転化する。



劇画と萌えの混合する絵柄


 まず絵柄。
 最終巻=7巻のオビには、「ありえない、でもリアルに切ない恋愛物語」というふれこみが載っているように、北崎の絵は、劇画的な写実主義をもちつつ、決して「萌え」を失わないギリギリのところにある。
 「ありえない」というのは、後述するが、「あと7回しかセックスできない病気」という設定のことでしかない。「でもリアルに切ない」というのはそれ以外の要素のことである。
 つれあいが、1〜2巻を読むなり「はーん、ま、オトコのコのための漫画ってわけね」と半ば呆れていたように、女性から見てこれが「リアル」なわけねーだろ! しかし、ある種の男性読者にこの漫画世界の「リアル」さを保たせるうえで、北崎の劇画的写実主義の絵柄は実によく機能している。



厖大な量のセックス描写


 ついで青年誌の特権としてのセックス描写の多さだ。
 正直ものすごい量である。
 いったんセックスシーンがはじまると、これがまた長い。いや、ハンパじゃなくなげーんだよ!
 たとえば2巻。桐生麻美が自暴自棄になって主人公の睦月智也(むつき・ともや)こと「むっちゃん」とセックスにおよぶシーンは、p.68のキスから始まってp.140のむっちゃんの射精まで70ページちかくに及ぶ。
 あるいは、5巻の大倉怜子がむっちゃんと旅館で「結ばれる」シーンはp.24のキスからp.117の後朝まで実に100ページちかい。雑誌で4週分、つまり1か月ずっとセックスしているわけだ!

 これはただ「長い」というだけの問題ではない。
 セックスを描写する視線が非常に粘着質であるがゆえに、段階を微細に追う。そのためにページを喰うのである。つまり「質」のために「量」が稼がれている。
 ブラジャーがどのように外れていって乳房や乳首が次第に見えてくるのか、それを睦月の舌がどうとらえるのか、処女である怜子がどの段階で声を出すのか――こういうことをコト細かに全部追っているのだ。

 「エロ漫画」というジャンルで出されている、ただヤッている漫画、あるいはそれと正反対に何か「文学」的味つけをしながらエロ漫画というジャンルに区切られている漫画などにくらべると、これこそもっとも正統な「エロ漫画」だという気がする。オタクずれした悪馴れ読者ではなく、世の平均的男性が最も興奮するように描かれているのだ。



桐生麻美がイイ


 ちなみに、「高みからエラそうにモノ言ってるようだが、おめーはどうなんだよ」という声が聞こえてきそうなので、言っておこう。

 桐生麻美がちょっと、なんだ、アレなわけだよ

 21才、短大卒でテレオペの仕事をする桐生は、睦月の中学時代の同級生で、睦月とは軽口をたたきあう「親友」である。友情にかこつけて睦月を何くれとなく支え続けるが、次第に桐生のなかで睦月の存在が大きくなっていく。

 作品世界中、いちばん「知性的」なのに、妻子ある男性と不倫をしてしまうという情熱や欲望への「制御の効かなさ」をもつアンバランス、そして、何があろうとも睦月を心身両面から支えつづけようとする「母性」、それが桐生麻美である。
 睦月が自暴自棄に陥ると、カラダを開いて「さあ、入ってきて… 私に受けとめさせて」「中でも心配ないよ? できない日だから」とか申して「慰め」ようとまでするわけですから。

 そこ! 「なーんだ、都合のいい女じゃん」とかいうな!



むっちゃんの能動性


 さて、そのような青年誌の正統ラブコメである本作において、むしろそれを逸脱しているのは、主人公・睦月こと「むっちゃん」の造形であるように思う。

 睦月は、最初からかなりの能動性をもっているキャラクターである。性格付けも作者が「出来るだけ明るく気持ちのいい普通の男の子にしたいと思いました」とのべているように、少年誌的快活さをもつ主人公だ。
 なんといっても、1巻冒頭で怜子に告白しようと意気込み、実際にそれを実行する勇気と行動力を持っている。もちろんいろいろとウジウジ悩んだりするけども、この一点をもっているだけでもラブコメ的主人公としては相当な能動性があると見てよい。


 そして、睦月にかかわって、ぼくがこの物語を見直したのは6巻である。



自立の物語への転化


 睦月は、父親が経営する小さな町工場で働いているのだが、父親は展望のない経営に見切りをつけ、自分の代で工場を閉めると睦月に宣言する。
 そこから睦月は、この業界に将来がないかどうか、稚拙ながら情報をとりにまわろうとする。そのなかで「レーザーカッター」というコンピュータ制御による精密鋼材加工の機械の導入に一つの活路をみいだす、というくだりがでてくる。レーザーカッターは2巻で伏線として登場するが、そのとき睦月は「コンピュータなんてわかんねーよ めんどくせー」とまったく関心を示さない。
 しかし、父親の弱気な宣言にくわえ、自分の恋人に子どもがいるかもしれない、という問題に直面し、睦月はその問題をきわめて現実の土台に立脚した「経済基盤」=自立の問題としてとらえ、レーザーカッターの導入と技術習得に本気になる。つまり、レーザーカッターを導入すれば、工場経営の将来展望が開けるかもしれないという意味だ。

 『赤灯えれじい』をちょっと思い出す。
 あそこでも、きっかけは恋人に一人前の男と認められたいという思いだったが、それが力強く、主人公の自立を促していく。

「この先…… この業界ってどうなっちゃうんですかね?
 中国特需とかってよく聞くけど…
 いつまで続くもんなんでしょうか?
 あんまり不透明だったりすると……
 その……
 家庭を持つにも不安っていうか……」

とオドオドと聞く睦月に、取引先の社長は「エラいっ!!」と大声でホメる。「ついこの前まで子供だったのに、やっぱりカノジョができると男は変わるなあ!」「こんなしっかりした二代目が育っていれば、睦月金属も安泰ってもんだ」。

 家に帰って、レーザーカッターのパンフに書いてあることがちんぷんかんぷんで投げ出してしまう睦月であるが、布団の上でじっくりとその社長の言葉をかみしめてしまう。

(…あ、あんなん社交辞令だって)
(なに意識してんだオレ……)

(誤解でも… 一人前って認められるのは、
 ちょっと嬉しいじゃん……)

 工場を継ごうなんて何を考えているのかと親父に怒鳴られながらも、睦月は、やめようとしない。桐生にコンピュータの使い方を毎夜教わり、銀行に日参し、いったんは断られた一億近い融資の話をまとめようとする。髪を黒く染め直し、スーツを着て銀行へ行く睦月。

 なるほど5巻まではたんなる欲望ラブコメだった本作は、6巻において労働と生活がからみはじめ、見事な主人公の成長劇となっている。
 中学生時代に「童貞のまま処女と結婚する」などということを「夢」だと宣言していたあの睦月は、もはやここにはいない。5巻まで女の尻を追うことだけがすべてだった睦月は成長し、現実の経済基盤のうえに立脚し、自立するのだ。

 根負けした父親が、死んだ母親の保険金を預金通帳とともに息子に渡す瞬間、同席していた桐生が睦月の背中を見ながら「たとえ人のものだとわかっていても、私はこの人が好き…………」と心中で独白するそのセリフには、もはやラブコメとしての浮かれようはそこにはない

 父親に続いて、たった一人の年老いた従業員が「がんばってね、智也くん」と励ましながら退席。涙ながらに通帳を手にする睦月を、そばで見ている桐生は、

「この人を愛してる、すべての人が好き。
 私も、むっちゃんをつつむ世界の中の
 ひとつになりたいって…………
 思ってるよ。」

と睦月を見ながら思うのである。
 この場に居合わせ、また睦月の努力を、毎日そばで技術を教えるという形で支えてきた桐生の愛情も、またすでにラブコメのそれではない。ただ相手を独占しようとし、ホレたハレたというだけの「おこちゃまレンアイ」は姿を消し、現実に立脚した、社会のなかでの愛情を、ここで桐生は(そして作者の北崎は)実に正確に表現している。ブラボゥ!



ラブコメであったものがラブコメから離脱する


 これにたいして、対照的なのは怜子のほうである。
 父親に睦月との交際がバレ、こっぴどく叱られた怜子は、激しく動揺する。レーザーカッターの融資が決まったその日に睦月は怜子にプロポーズをする。しかし、怜子はおよそそんなことを受け入れられる精神状態ではなく、「19歳にもなって彼氏いないって… カッコ悪いって思ってた…しッ… だいたいトモくん〔睦月のこと〕のことだって……本当に好きだったのかどうか、わかんないしっ…!!」と俯きながら、涙と洟を滝のように流して叫んでしまう。

 作者は決して怜子を「冷たい女」として描こうとはしていない。
 父親から激怒され、動揺してしまう「おこちゃま」として描こうとしているのである。叫んでいることはおそらく真意ではない。しかし、そう言わしめてしまう怜子の未熟を、北崎はよく描いている。

 レーザーカッターの件で、自立の歩みをはじめた睦月、対して父親に怒鳴られたがゆえに愛情も何もかもが揺らいでしまう怜子。「大人」と「子ども」の世界に分かれてしまった二人が破局することは、すでに必然である。

 6巻でこの物語は、大きな回旋をするのだ。

 さっき書いたことと違うことになってしまうのだけれど、いつまでも支えてくれるはずの存在であった桐生も、励ましの言葉を残して結局睦月から去ってしまう。この厳しさを鋏んだことによって、レーザーカッターをめぐる自立への歩みは最終的に確定し、物語は「ラブコメ」から決定的に離脱する

 このあと、さらにもう一波乱ありラストを迎える。ラストに多少のご都合主義を感じる人もいるだろうが、それは大したことではない。
 現実の峻厳な物語としては睦月が去って、再び仕事に戻った睦月がレーザーカッターを実際に導入して工場経営に明るさが見えてくるところで終わってもいいものである。

 しかしやはりこの作品は快楽として機能する虚構でもあり続けている。
 ラストはぼくとしてもぜひこのようにしてほしかったし、北崎はこの潜在的に注文によく応えた。素晴らしい結末である。


 ところで最後にいっておきたいのだが、この物語では、主人公・睦月が「あと7回しか射精できない病気(通称「虹玉」)」になってしまうという設定になっている。しかしこの設定は正直、なんも生きていない。別にセックスがあと何回できようができまいが、物語の進行にはほとんど影響なし。「話題づくり」(ちょっと面白そうな漫画だなと思って手にとる、とか)以外のなにものでもないのだ。






「虹玉」シリーズは全7巻
小学館 ヤングサンデーコミックス
2006.8.21感想記
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