小栗左多里『ダーリンは外国人』(1〜2巻)


 イタリアとハンガリーの血をうけつぎ、アメリカで育った男性トニーと著者との結婚生活をつづった、王道のエッセイ漫画
 この本(1巻)にかんするAmazonのカスタマーズ・レビューは53もあるのだが(2004.9.25時点)、しばしば散見される感想として、「国際結婚、外国人の夫との異文化接触の話と思って期待したのに、フツーの男の人じゃん!」というもので、そういう感想はたいてい「トニー個人が面白いだけ」的にまとめてある。 
 それもそのはずで、トニーには語学的障壁がほとんどなく(日本語ペラペラ)で、おまけに、おそらくトニーの知性から生じきたっている寛容、すなわち相手をモメントに落とせるという行為が、(ある種の読者が期待しているような)荒々しい異文化衝突を回避しているのだ。

 したがって、ぼくも「外国人もの」を読んでいるというふうには全然思えなかった。

 にもかかわらず、結婚のエッセイ漫画としては面白かった。
 それはよくいわれることではあるのだが、日本人間の結婚であっても、結婚そのものが男女間の異文化の衝突であり、この漫画の、「配偶者という異文化を観察する」ということに焦点をあてた視座が、よく効いているからである。
 たとえば、けらえいこの結婚エッセイ漫画にも、「オットと自分との慣習のちがい」ということを問題にする視座はもちろんあるのだが、小栗のほうは、タイトルがタイトルだけに、それが全体に強烈に貫徹されているのだ。

 もともと男女間の結婚生活には、「相手は異人である」というわきまえが必要なのだ。
 小栗は2巻のあとがきで「私は前著から、タイトルとは裏腹に『外国人』というより、『トニー個人』として多くのエピソードを描いたつもりです。『外国人』か『日本人』かという差異を、ほとんど意識しなくなっているからです」と書き、漫画のなかでも「私は『国籍は関係ない』って言いたかったのになあ…」と書いているように、結果的にこの本は、国と国との異文化をあつかう本ではなく、個人と個人の異文化をあつかう漫画としてうまくまとまった。

 ナベの洗い方に激烈こまけー注文がつくとか、なぜか部屋の整理のしかたについて、やはりこまけー注文がつくとか、そういうのは、もうまったくもって個人間の異文化の衝突である。
 だいたい、うちだって、わがつれあいがごくたまにつくる料理は、ほとんど飯の上に野菜や肉を乗せ、洗う皿を節約するとか(別に丼物ではないのに)、テレビみながらフガフガとそのまま寝てしまい、フロぎらい(シャワーをあびる)で銀河鉄道999の車掌さん状態のような、ズボラいや「ナチュラルさ」のくせに、なぜかぼくが押し入れを少しでも開けておくと「なぜきちんと閉めないの」と厳しく指摘されたり、脱衣場とキッチンをしきるカーテンを左ではなく右によせると文句をいわれ、なぜそういう分野では突然厳格になるのかまったく不可解なのである。信仰としか思えん。
 あと、ぼくら二人して出かけるというのに、机の上の本を机に直角に置かずに出かけようとしているといって、手厳しく論難されるのも意味不明。われわれ二人が出た後、この部屋にだれか来てくつろぐんかい。

 したがって、「ダーリンは外国人」というのは、異国人間だけでなく、日本人間であっても、みんなだれもがそのよう(配偶者とは常に異文化の人間であるというふう)に思ったほうがいいという、実に巧妙な警句なのだといえる。


 ワタクシ、個人的におかしかったのは、ひとつは「ガラスの心」のエピソードで、トニーがささいなことでも傷つきやすく、小栗が「しょうもない残酷話」をトニーに電車のなかで何気なくあびせて、トニーのおちこんだ顔をみて「楽しむ」という小悪魔な展開である。
 カッコーの托卵についても実にしょうもない「残酷話」をトニーにすると、トニーは激しく衝撃をうける。「ト…トニー……かわいそうに」といいながら、小栗は第二弾残酷話をあびせかける。
 またトニーは激しく衝撃をうけ、息もたえだえとなる。
「トニー!! かわいそうに!! こんなに傷ついてっ… こんな…こんな悲しい顔っ…」
 (もっと見たい)
と小栗の眼光が妖しくきらめく。

 また、ふたつめは、外国人の夫に「ぼくのハニーはお寝坊さんだね」とかいってキスをしてもらいながらベッドにブランチを運んでもらうという絵を描いた直後に、「なーんてこと うちではありません!!」といって絵が崩れていくのがけっこうおかしい。
 その絵の下に小栗が手を広げて「ストップ!! 妄想!! キケン!!」とやっている様も、その「キケン!!」という仕草の"安さ"が絶妙に建設工事現場の看板感を出していてイケる。

 みっつめは「どーでもいいブーム」。ふたりのなかだけで流行るもの、というので、これなどは、新文化の創造といえる。サッカーをみていて「知ってた? この人たちね どうも手をつかわないらしいよー」と今さらなことを言うと、言われたほうは、「ウソー!?」と必ず受けなければいけない、というのも馬鹿馬鹿しくてよかった。「じゃあ、この人たち、足だけでボールを取りあってるっていうの?」「それがそうなんだよー、誰か教えてあげればいいのにね。手使うと早いよって」。
 トニーを「田中」と無意味に呼ぶという、小栗のマイブームも粗暴っぽくてスリリングである。

 ほかにも、小栗の母親が「今日私はらっきょを漬けました…」と突然「ですます調」になる話(これが一番笑えたが、これだけ書いても意味不明だろう)など、無数にあるのだが、絵の流れで見たほうが断然いいので、これくらいで。

 あと、笑える話ではないのだが、アメリカ人(トニーの実家)に日本文化を紹介するために、小栗が折り紙を必死で覚えて大ウケするというエピソードがあったけど、まんま、うちのつれあいの話やんけ、と苦笑しました(アメリカ滞在時代)。

 もひとつ。2巻の途中で「敷金返金運動」というエピソードがある。
 引っ越す際に、大家から壁のシミだの天井のコゲだのを理由に敷金を没収されてしまいそうになるのだが、小栗ががんばって敷金をとりかえすという話。ここに「賃借人を助けてくれる組合にも電話してみた」というシーンがあるのだが、「ははあ、たぶんこれは借地借家人組合だろーなー」と思った(ちがったらすまん)。
 ぼくも、つれあいの敷金のシステムがおかしいので相談したことがある。九州は敷金を初めからほとんど返さないというところが多いのだ。それって敷金じゃないやんけ、と。
 結局ぼくらは行動していないんだけど、小栗はちゃんと取りかえしている。ナイス。
 リフォーム費用とか自然な汚れの修復とか壁紙の張り替えとか、多くの大家側の口実が実は敷金を没収するのには足りないというケースである。行政のガイドラインもあり、「敷金は全額返ってくる」という立場できちんと争うともどってくるのである(大阪の賃貸マンションのケースでは23万円もどってきた)。

 全体にただよう空気が健全で、好感がもてる。
 わからないという人、ただのノロケにしか見えない人(いや、ノロケとは思うが)は、そもそもこのタイプの夫婦関係、人間関係に無縁な人だと思われる。


紙屋研究所によるパクりおまけ漫画
ハニーは九州人




『ダーリンは外国人 外国人の彼と結婚したら、どうなる? ルポ。』
『ダーリンは外国人 外国人の彼と結婚したら、どうなる? ルポ。2』
メディア・ファクトリー
2004.9.25感想記
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