雨宮処凛・飯田泰之『脱貧困の経済学』




左翼はこれにどう答えるかという「テスト」



 「あなたのホームページのファンです」という女子高生と何度かゴハンを食べているのだが、もちろんそれはウソで、ぼくの出たイベントで知り合った「紙屋研究所のファン」という30代の男性サラリーマンとよくお酒を飲む。

 彼(仮にQ氏としておこう)はある意味でリバタリアンである。
 できるだけ「自由」にして、働いたら働いただけもうけを得られて、各人がモチベーションを上げていくという経済環境がいいのだ、という考えの持ち主である。
 Q氏がすすめてくれたのが、本書であった。
 Q氏による本書推薦の言葉はこうであった。

「雨宮処凛が反貧困運動の現場にいる立場から、実にシロウトくさい経済学的な質問を投げてくるんです。それを飯田っていうリフレ派の若手経済学者が半分同調し、半分批判するみたいなスタンスでわかりやすく答えてるんです」

 飯田は、経済が成長することで貧困がなくせると考える。そのためのリフレ政策を要求する。“働くモチベーションをあげて働かせ貧困をなくす”、“経済が成長して労働需要が逼迫することで労働者は強い立場になれる”というものだ。公的な支援はそのためにあるべきだという立場である。企業側がその規制をかけたら別の行動に出られてしまうような規制には反対するが、そうした行動がとりにくい規制や支援には積極的に賛成する。したがって、最低賃金の引き上げや派遣の規制には反対するが、累進課税や所得再分配、ベーシック・インカムには賛成するのである。

 Q氏は「左翼は飯田の議論にどう答えるか、そこが試されるんじゃないですか」と挑発する。




「最低賃金を引き上げるな!」というか最低賃金不要論



脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる  飯田の最も象徴的な議論は、最低賃金の引き上げ問題であろう。飯田の答えは中小を中心に雇用が失われるだけだ、というものである。
 まあ、これ自体はそれほど目新しい議論じゃないけども、本書の書評をネットなどで読むとここに一つの焦点があたっている(雨宮が持ち出している最初の疑問でもあるので)。ただ、本書を古典的な「最低賃金引き上げは雇用を失わせるかどうか」という点だけで評価すると決定的に誤ることになるだろう

 対談形式になっているのと、飯田自身が明言をしていないという理由でわかりにくくなっているが、最低賃金問題での飯田の主張の全体像はおそらくこうである。

  1. 最低賃金引き上げばかりでなく、最低賃金制度そのものが、機械代替をすすませるだけなので、不要である。〈賃金を下げるな、と規制すると、機械への代替が進んでしまう〉(p.42)。
  2. そのかわり〈労働に対して補助金を支給することで、手取りの時給換算が1000円以上になるようにするといった対策が必要〉(p.247)。
  3. その財源は、〈金を持っている人から取って貧乏な人に配る〉(p.97)ということになる。

 2.について少し補足しておこう。本書p.56から解説が載っているが、イギリスや米国(ノースカロライナ)がやっている「低所得者への労働補助金」というケースで、〈たとえば1000円稼ぐと200円もらえるといったような〉(p.57)ものである。ある程度収入があがると徐々に補助金が減少するのである。飯田曰く〈働けば自分の得になるという当たり前のシステム〉(p.58)だ。




財源負担は企業か、税金か



 従来の最低賃金制度は、最低賃金を払う原資を、個々の企業セクターに求めている。これを累進課税・再分配を軸にした「税金」に変えてしまうわけである。

 あえて飯田の主張を擁護する形でいえば、累進課税・再分配を軸にした「税金」を原資とすることで、中小企業は負担がラクになる。他方、大企業や大金持ちは渋面であろう。
 たとえば、コンビニの最低賃金スレスレの労働を是正するとき、最低賃金を上げるとその負担は青息吐息でやっている現場のコンビニ店主にかかってしまう。セブンイレブンなど本部は涼しい顔だ。しかし、セブンイレブンが大もうけをしたところにガッツリ課税し、その原資で賃金アップの補助をするなら話は逆転する。

 まあ、ありえなくはないわなあと思う。個々の企業行動に手をつっこむというのは、なかなかやりにくい、税金=政府予算であればコントロールがラクだ、というのはいつも思うことである(内部留保を還元せよ、というような要求のときにそれを感じる)。

 ただこの前提は3.である。十分に公正な累進課税が行なわれているかどうかだ。いくら米英で実施されていて「実現可能」なシステムだといっても、充分な累進課税が存在していないなら、消費税(=庶民のフトコロへの課税)の増税、社会保障(=庶民の生活給付)カットでまかなう他なくなるからである。いまの日本だと1.最低賃金の撤廃、2.労働補助制度だけ実施される危険が大きい。

 3.が保障されない現在では、とりあえず最低賃金の引き上げで対応した方がいいと思う。ぼくは、最低賃金の引き上げは、短期でみれば雇用を失わせるが、中長期でみると雇用を失わせない、と考える。
 最低賃金が1000円に引き上がれば、雇えない中小企業が出てくる。これは理屈からいってもそうだし、実際、ぼくが話をする零細企業の関係者はずばりこれを口にする。
 これに対して、左派は、たとえばよく持ち出される、労働総研の試算では、中小企業を中心に2兆6000億円の経済効果がある、という主張をする。これも実感には合う。消費が活発になるだろう。
http://www.yuiyuidori.net/soken/ape/2007_0226.html

 だとすると、経済効果が出てくるまでの間の雇用喪失のリスクを、何らかの形で公的にカバーすればいい。ブッシュ政権時代の米国が中小企業減税と引き替えに最低賃金引き上げをやったようなアレである。あるいは飯田のいう労働補助制度のようなやり方であろう。
 もちろん経済効果が出てきても、上がった最低賃金分を払えない企業は残るだろう。公的な支援を弾力的に運用しつつも、基本的にそういうところはつぶれてもらう他はない。公害を出さないために設けられた排水装置の設置義務を「そんなものをやったらウチはつぶれてしまう」という理屈を言っている企業にはつぶれてもらう他はないのと同じである。

 よく言われるように、国際的にみると先進国の最低賃金の多くは時給1000円水準である。その程度に引き上げることは国際比較上、決して無理なことではない。日本企業の「国際競争力」の秘密がそのような労働力を安く買いたたくこと(安い時給で働かせること)であるなら、早晩体質改善をして「公正な国際競争力」にした方がいいではないか。

 また、飯田は最低賃金は遵守率が低いと言っているのだが、政府の調査では違反企業は6%ほどである(厚生労働省「平成19年6月の最低賃金の履行確保に係る一斉監督結果」)。労働者比率でいうと1.7%程度だ。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0822-2.html
 ぼくが友人たちとやっている労働実態アンケートでも1000通以上集めて、最低賃金違反というケースはほぼ皆無だった。
 むしろ、労働時間規制は守っていない企業が多かった。だから賃金÷労働時間で計られる実際の最低賃金は違反しているところが多いのだろうと思う。賃金の提示額そのものが最低賃金に違反するというのはやり方が賢くないし、あまりないだろうというのがぼくの実感である。





「派遣規制はするな!」



 次に派遣の規制については、飯田の主張は〈規制によって派遣の仕事を制約することは経済効率を低下させます〉(p.247)〈安定的な経済成長が維持されると、労働市場が売り手市場化します。そのとき低賃金・重労働の仕事は自然と淘汰されます〉(p.248)というものだ。
 後者は2000年代中葉の「好況」によって目の前で否定されている。そのことに対する飯田の言い分は〈2003〜5年のちょっと景気がよかったときに、労働運動系の人たちが「景気がよくなったのに雇用は全然よくならないじゃないか」と言っているのを見て、「ああっ、せめてあと2年待ってほしい!」とすごく思ったんです〉(p.179)というものだった。
 
 これはまともに信じる訳にはいかない。
 そもそも大企業の経常利益は98年を基準にすると3倍ものびているのに、従業員給与はむしろ減っているのである。
 また、2000年代の「戦後最長景気」は2002年から始まって07年まであったというのが政府の公式見解であるが、たしかにこの間、バイトの時給などは上がって行ったし、学生新卒も「売り手市場」だった。しかし、同時にまさに製造業派遣解禁のような法改悪がなされ、「ブラックな働き方」が広がっているのである。
 「経済成長はやがて雇用にも波及する。もうちょっと待って!」というのはテレビの政治討論会などで自民党の政治家がさんざん言ってきた言い訳だ。5年もあったのに何をしていたのか。
 たしかに高度成長期には経済成長とともに労働者に配分されるパイも増えた。しかし、90年代後半からは法人税減税で税収はふえず、働く人も非正規という形で配分にあずかりにくくなった。非正規はむしろその貧しさゆえに大企業のもうけの源泉となり、雨宮が不信感をもって訊いているように、経済成長がだれかを食い物にしている構図がストレートに出てきた。

 〈規制によって派遣の仕事を制約することは経済効率を低下させます〉と飯田はサラリと言っているが、あえて企業サイドの言い方で反論させてもらえば「どうして期間工や常用派遣じゃダメなの?」。
 「派遣切り」「期間工切り」をやった大企業に要請行動をすると、大企業側は期間工については一生懸命説明する。ところが派遣については「派遣会社に聞いて下さい」と実にそっけない。これは派遣会社とは商品(サービス)契約だけであり、雇用について派遣先の大企業としては「何の責任もない」というタテマエからだ。大企業が期間工よりも派遣がいい、と考えるのは、「効率」などというレベルではなくて、本当に派遣先の大企業側が単純に責任を逃れたいがためにすぎない。
 期間工や常用派遣にして、本当にどうしても切らないとヤバいというのであれば、それを切ればいいではないか。たとえばぼくの住んでいる福岡では、トヨタ九州が派遣社員700人を直接雇用に切り替えるという方針を打ち出した(朝日新聞09年7月28日付)。〈トヨタ自動車九州が派遣社員を直接雇用に切り替える背景には、世界的な不況にさらされながらも、雇用を守ることが地域に根を張る企業の社会的責任との結論に達したことがある〉(西日本新聞09年3月3日付)。トヨタ九州はこのことについて「直接雇用にして、雇用に責任を持つ」と言っているが、逆にいえば派遣であることは「雇用に責任は持っていなかった」のである。

 それにこの分野だって、そもそもヨーロッパでは非正規率が1割しかないんだから、製造派遣が消えたから一体どうだというんだと言いたい。ヨーロッパでは製造業が壊滅したとでもいうのだろうか。




年収1000万円以下は「貧乏人」



 さて、こんなふうに書いてくると、まったくぼくとは対立的な立場の本のように見えるのだが、そうではない。
 さっき言ったように、飯田は再分配を強く主張する視点をもっているので、その点での参考になることが多かった。

 一番面白かった情報は、税金の平均はいくらか、というものである。

〈国と地方をあわせた日本の税収は約85兆円です。それを日本の世帯数である500万で割ると170万円。税を170万円以上払っているのは、だいたい収入1000万円以上の世帯です。仮に所得を全部消費に使ったとしても、消費税と所得税込みで170万円払うのは収入1000万円以上なんです。
 なのに実際には、700〜800万円どころか、年収600万円の人が「税金を払いすぎている金持ち」だと思って、小泉改革路線に賛同し、貧乏人を放置させようとしている。橋本内閣以降、そして小泉路線の想定した「税金を払いすぎている金持ち」は年収1000万円以上、それ以下は税金を納めない「貧乏人」なんです〉(p.66)

 本書にはその部分に註があって、〈このような計算になるのは税収総額に法人税・事業税が含まれているため〉とある。
 ぼくは以前、NHKスペシャル「ワーキングプア」の感想を書いた時に、次のような批判メールをもらったことがある(仮にA氏とする)。

〈そもそも、自力でどうにも出来ないから社会保障を必要としているのであって、努力している人は社会の保障など必要は無いのだ。
 例えば著者〔紙屋のこと——紙屋註〕は「お隣さんは頑張ってるんだけど低所得だからあなたの原稿料から10%お隣さんに配分します」といって納得するだろうか?しばらくして、「お向かいさんが高齢かつ年金生活で、年金が少ないっていうのであなたの原稿料から10%更に配分してください。」といわれてどうぞどうぞと言うだろうか?〉

 これに対してぼくは、〈だれもが、社会保障の「お世話になっている」のである。そしてA氏の原稿料のたとえを借りるなら、まさにぼくはそのための費用を、「原稿料(所得)」のなかから、年金保険料や健康保険料、労働保険料として毎月毎月拠出し、そして、所得税や住民税、あるいは消費税という形で、「お隣さんは低所得だから」ということもコミで払っている。……自分はすべて自己責任でやっている、という人がいるけども、独占資本主義の時代になって、この社会の富は独占体によっていったん集積され、主に税や社会保険料という形で公的に還元されている。だから普通に暮らしていれば、自分以外の財源、すなわち公的セクターの「お世話」によって生きているのが普通なのである〉という反論を書いたことがある。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor2.html

 この数字的な根拠があればもう少し説得的になるなあと思っていたのだが、飯田のこの大ざっぱな計算は、まさにぼくが探していたものだった。

 湯浅誠『どんとこい、貧困!』(理論社)には、湯浅のもとに届く次のようなメールが紹介されている。

「俺の血税返してくれよ! おまえらのおかげで働かない屑どもに俺の血税が使われているんだよ!!!/俺の血税返してくれよ! おまえらのおかげで努力しない無能なやつらに俺の血税が使われているんだよ!!!/社会のダニ、湯浅誠および共犯者ども」(湯浅前掲書p.94〜95)

 一片の詩のようであり(笑)、心の叫びというものは韻文に昇華するのであるなあと思わしめる瞬間である。本気でそう思っているのであろう。
 だけどこれが言えるの資格をもつためには、まず年収が1000万円以上ないといけないのである。議論はそれからだ。




企業が海外に逃げる時



 『脱貧困の経済学』で面白かったもう一つの情報は、企業の海外移転の話だった。

〈作っているものにもよりますが、第一にサービス業についてはもともと「輸入」はできません。日本の就業者の7割はサービス業です。また製造業についても……企業が中国に移転した大きな理由は円が高いからです〉(p.28)
〈自動車業界が相次いで日本の東北に工場を建てた理由は、1ドルが107〜108円になったからだったんです。製造業の人から聞いたのは、1ドル105円より安くなると日本人の方がいい〉(p.29)

 よく「法人税をあげると大企業は海外に逃げる」というのだが、税だけでなく社会保険料をあわせた日本の企業負担はヨーロッパの7〜8割しかないんだから(GDP比、政府税調資料)、「法人税をあげると大企業は海外に逃げる」んだったらヨーロッパなんか壊滅してないといけないわな。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-08/2007100801_01_0.html


(補足)
 社会保障負担だけでなく、さらに地方において所得以外にかけられる事業税、不動産への課税、民間医療保険の負担(なぜこれが入るかというと「米企業が公的保険負担のある国に逃げるかどうか」という選択肢を考えるからだろう)を比較した研究がある(神奈川県地方税制等研究会ワーキンググループ報告書『地方税源の充実と地方法人課税』2007)。なんでこういう当たり前の比較研究が乏しくて、いきなり法人所得課税だけ(あるいはせいぜい法人所得課税+社会保障負担)を比較して、「高い高い死ぬ」と騒ぐのか不思議でならない。それはきっと〈エコノミスト……の主要なお客さんが、そこそこお金を持っている人だからなんです。証券系エコノミストはさらにそうで、クライアントは機関投資家、大金持ち、都市銀行や財団の運用担当者といったところ。だから「金持ち増税」なんていうと、仕事が来なくなってしまう〉(『脱貧困の経済学』で飯田、p.188)といったところなんだろうw
 んで、上記の負担をすべて加味すると、日・英・独はだいたい同じくらいの負担になり、米・仏・伊はそれらの国に比べてかなり負担が重いことになる。(09.10.3追記)

http://www.pref.kanagawa.jp/kenzei/kaikaku/working-houkoku0706-9.pdf


 企業の海外移転の理由というのは、上記URLみても、それから日本商工会議所の調査をみても(右図)、労働コストなんかが圧倒的で、税負担でそれを考える企業なんか実際にはあんまりないんじゃないかと思う。
 飯田の上記の話は、これに加えて「為替」が来るんだろうなというふうに考えるうえで大いに参考になった。

 だいたい、ヨーロッパ並みの負担なんか求めなくても、10年ほど前の法人税負担にもどすだけで年間4兆円の原資が生まれるっていうじゃん。10年前の税負担を求められたくらいで海外に逃げていくようなアホな経営陣は、おれが筆頭株主なら解任する(笑)。






雨宮処凛・飯田泰之
『脱貧困の経済学 日本はまだ変えられる』
自由国民社
2009.9.29感想記
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