宇仁田・高清水『祝!できちゃった結婚』 この『祝!できちゃった結婚』は、事務職の女性と、フリーターの男性との「できちゃた婚」の一部始終をドラマにしながら、その合間に「お役立ち情報130本」を挿入しているというつくりになっている。今や4組に1組が「でき婚」というのだから、こういう本がでなかった方が不思議である。出版は、あの『セキララ』シリーズで有名なメディア・ファクトリーだ。 こうした本は、マニュアルという側面もあるが、じっさいには、「相談相手」のようなところがある。たとえば、英語の上達方法のエッセイやハウツー本を読むのは、まじめにその手法を実践するというよりも、その作者と「英語の学習」についての苦労や喜びをわかちあう、おしゃべりをする、というような効果があるのと同じである。 たしかに、こういう「事務系OL」と「フリーター」という組み合わせで「できちゃった婚」をするというのであれば、山のような不安が押し寄せてくるというのは、よくわかる。押し寄せてこないとすれば、まじめに考えていないか、生来の楽天家か、どちらかであろう。 で、この本は、そういうできちゃった婚にまつわる超具体的な不安、そしてそれをのりこえる喜びや激励にあふれているのだが、その役目をおおせつかっている漫画家が宇仁田ゆみなのである。 おそらく、この企画は、「できちゃった婚」を描くうえで、最良・最適の漫画家を選んだといえるだろう。 ぼくは、宇仁田ゆみについて、以前、つぎのような感想を書いた。 「打たれ強い。 打たれる現実に平然とはできないけど、 それをお腹の力でぐっとうけとめて再び歩き出すような、そんな感じ。 『フィール・ヤング』のほかの作品にはみられない。 しかもそれは安定した生活をもっている人々の生活臭なのではなくて、 派遣とかフリーターとか自由業とかいった 類いの生活そのものが不安定にさらされている人々のなかにある、 しっかりした根、のようなものをよく見ているのだ」 「下からわきあがってくるようなしぶとさがある」 このテーマは、宇仁田の作風に120%あっている。 このテの解説漫画は、「思想の宣伝」マニュアルとでもいうような、硬直した話を読まされるケースがおおい。ところが、宇仁田の本作品は、それ自体が良質の漫画作品であり、感動のドラマである。しかし同時に、ちゃんと「ライターの説明の道具」という役割もきちんと果たしているのである。 内田春菊の出産漫画『私たちは繁殖している』シリーズは、あくまで内田個人のすぐれた出産記録と内田イズムの発露ではあるが、最初に述べたような「相談相手」「激励役」としての機能はうすいと思われる。あくまで「内田の作品」としてだけ楽しむのが正当だろう。だから、そういう「エッセイ漫画」とは別のジャンルであり、まさに「解説漫画」なのである。それが一流の作品にしがっているというのは、すごいことだ。 宇仁田の作品は、苦労も喜びも、くやしさも不安も、すべて読者のすぐそばにある。 そして、「でき婚」の不安をかかえる人々にとって、まさにほしいのは、このような絵柄と作風なのである。 たとえば、妊娠を会社に告げた後に、希望部署への異動がかなうのだが、それをあきらめるシーンは圧巻。 トイレで、主人公(ユキ)は泣くのだが、自分がやっと認めてもらえたうれしさと、このチャンスを逃すくやしさ、というアンビバレントな感情を、十二分に表現している。
そのあと、新居に帰って、夫(ライタ)に八つ当たりするのだが、ライタのほうが、ユキが泣きながら暴言を吐く手前で口をおさえ、「そっからはユキの本心じゃないからゆーな!!」と口をさえぎるところも、いやもう、なんつーの、ライタ、かっこいい! ってな感じだよね。他の作家がやったら、「このパートナー出来過ぎ」とか思うところだけど、この絵柄、この作風、話の運びが、まったくそういうことを感じさせない。 宇仁田ゆみ/文・高清水美音子 『祝!できちゃった結婚』 |
||