『祝!できちゃった結婚』感想続編
政治解説漫画批判

 前稿のつづき。

 ぼくは、これほどヘタクソなのに、左翼仲間から「絵が描ける」などと目されているために、ビラに漫画を描いてくれとよく頼まれる。こちらが意のままに描けるというようなものは少ない(ぼくの有事法制の漫画でさえ、依頼者からはボツにされ、泣く泣く自分のホームページでアップしなければならなかった)。たいがいは、むこうからストーリー原案が出され、それにほぼ忠実に描かされることとなる。
 ふつうそれらは、ビラという形で世に出される。本のようなスタイルをとることは、まずない。パンフレットでさえ、まれである。

 それが、また、不本意なものが多いのだ。

 自戒をこめて、政治や市民運動の漫画ビラが陥りがちなパターンをあげておこう。


(1)「教える人」と「教えられる人」が登場し、前者が解説する

 このパターンは、どうしても全体が、「教えてやる」という傲慢なトーンになる。
 どうソフトにやってもそういう印象がどこかしらに残る。
 公明党の漫画にこのパターンが多い。
 「客観的にみると、こんなんなのかー」とげんなり。

 宇仁田の『祝!できちゃった結婚』が非凡なのは、徹底して読者の目線に立っていること。よく、お題目としてそういうが、本当に立ち切っている。読者は宇仁田の設定したキャラとともに、泣き、怒り、笑い、喜ぶのである。


(2)政治指導者の話に終始する

 脚本を描く側は、政局論や政治情勢論で頭がいっぱいだから、そのことを読者にそのまま押し付けようとする。自分がその図式を知ってこのように運動にがんばっているのだから、相手も同じだと考えるわけである。そこで、小泉がどうしたとか、ブッシュがどうした、という話に終始することが多い。いきおい、漫画のほうは政治指導者か、「群集としても民衆」(モブシーン)しか出てこなくなる。
 むろん、それが効を奏するときもある。

 だが、文字ではなく、漫画という表現手段をもちいたのは、そういうこと(政治指導者たちの「劇」)にまるで関心のない層や、そういう角度からは問題がイメージできない人たちにアプローチするためであって、漫画で世界情勢や政局を論じるのは、漫画の特性を殺している。ぼくはそれは文字であわせてやればいいと思っている。
 ぼくの有事法制の漫画ビラでは、有事法制が発動したさいのイメージができないと考え、そちらを漫画にし、有事法制が実は米国の要請でつくられ、日本の安全とは無縁な米国の戦争にまきこまれる形で発動するという問題については、文字で説明している。(うまくいっているかどうかは別だが)



(3)ネームが激しく長くなる。漫画が「挿し絵」状態に

 (1)のコロラリーであるが、「教える人」と「教えられる人」を設定する以上、どうしてもセリフで説明するハメになり、会話している2人のコマがえんえん続くことになるのである。

 旧世代の人々や漫画と疎遠な人には、挿し絵との区別がつかないから、「若い人は、漫画=絵がのっていれば読むだろう」みたいない発想にどうしてもなってしまい、字が画面を埋めていっても、あまり気にならないのだ。


長いネーム(私が実験的に描いた漫画)


(4)展開がおそろしく早く、つめこんである

 ビラという、せいぜいA4〜B4の大きさのなかにつめこまねばならないから、展開にゆとりがない。しかも、スジを作る側は、政治的な正確さや全面性を求めるために、山のように言いたいことをつめる。
 だが、政治に疎い人が、そんな早い展開についていけるはずもない。
 911のあと高校生と学習会をやったら「アフガニスタンってなんですか」と質問された、と友人から聞いた。「どこですか」ではなく、「なんですか」だったのだ。
 そういう人たちにも楽しんでもらえるような漫画になっていない場合が多すぎる。


 宇仁田の『祝!できちゃった結婚』は、前稿でものべたように、たとえば、職場で自分の能力が認められて異動を命じられることと、それを出産のために断ることのくやしさを、ちゃんとページを割いて表現している。こうしたゆとりをもった表現をしなければ、読む人の気持ちをつかむことなどはできないのだ。

 前稿でものべたとおり、主人公が法律や政治に近づくのに、十分なページとコマを割いている。ところがぼくが引き受けるような脚本は、たとえばサービス残業などがわずか1コマで描かれるハメになり、しかもこのような「政治・社会の問題」が連続するのである。あまりにあまりであろう。もっとじっくりとコマを割いて、自然にこの問題にアプローチするようにすべきである。つーか、テーマしぼれよ。

 だから、ビラ以外にも、左翼は、パンフや本の形式にして、「解説漫画」にいどむ必要があると思う。

 あ、これまでも「ドキュメンタリー漫画」という分野はあって、たとえば最近では少年マガジンで劣化ウラン弾についての告発が載った。これはこれで大事である。
 だが、職場のサービス残業とか、宇仁田の本のようにできちゃった婚とか、そういうところから問題をたちあげるような漫画で、成功しているものは、左翼や市民運動の側からは、あまりない。いちど、じっくりとページをとって、パンフや本の形式で「解説漫画」を出してみてはどうか。

 とまあ、いろいろ書いてきたが、他人事ではない。

 「お前のことをいっているのだぞ!」(ホラティウス)


2003.11.29記