内容を読まずに原秀則版『電車男』を批評する暴挙



電車男 1 (1)  「電車男」は、2chで話題になってからだいぶ後に、友人のすすめで、サイトで読んだだけである。


 そのときはなかなか面白く読めて、一気に最後まで読んでしまった。

 しかし、本になってからはもちろん、原秀則がそれをコミカライズしたというのであるが実はそれも読んでいない
 読んでいないというのに、批評をしようというのであるから、無謀きわまる話で、ふつうそれを批評とは言わないだろうと思う(昔、清水義範がチャンドラーの小説を、本の登場人物の紹介文だけから推察して「物語」を空想してみる、というとんでもないことをやっていたが)。

 原の漫画も読まず、それにかんするネット上の批評なども一切読まずに「批評」をしてみよう。


 一言で言うと、「原秀則」は、果して「電車男」に合うのか、という危惧である。

 「純愛」というキーワードから、純愛系のラブコメの旗手たる原を抜擢したかもしれないが(妄想です)、原の作品には、どこにも「おかしみ」がない。『さよなら三角』からはじまって、『冬物語』にせよ『部屋においでよ』にせよ、原の漫画は重くて暗い。真面目である。それは必ずしも非難ではないが。鉛のような重量感ある物語を手渡してほしい気分のときも、たしかにある。

 しかし、問題は、それが「電車男」に合うのかということなのだ。

 ぼくがサイトで「電車男」を読んだとき、たしかに恋愛をスレッドで相談している電車男本人はいたって原秀則的キャラだったけど、あの人物とエピソードがリアリティを獲得できたのは、まさに掲示板につめかけていた野次馬たちのおかげであった。「衛生兵を呼べ」を頻発できる「おかしみ」が存在してはじめて成立した物語だったはずである。

 そんな空気が原に描けるのか。


 ただその一点である。


 その「おかしみ」、あるいは掲示板文化の猥雑さを抜いたところに生まれる、ただの純愛系「電車男」など、もはや「電車男」ではないだろう。
 すでに映画化されるということで、公式サイトがたちあがっているが、このサイトの写真をみるかぎり、イヤーな予感がする。電車男を「不器用ではあるが、それゆえにピュアな心をもつヲタの恋愛」として描こうとする雰囲気が伝わってこないだろうか。もちろん、ある意味正しいが、そのメッセージのみが前景化されている。

 くり返すが、そのように純愛で衛生化された「電車男」は、もはや「電車男」ではないのだ。


 さあ、それでは単行本を買ってこよう。
 いい意味でこの心配が裏切られているといいのであるが……。

(2005.5.5感想記)





実際に読む


 うわー、予想どおり。
 「ネット ちょっといい話」みたいになっていた。

 一番うけつけなかったのが、2chのスレに集まっている住人たちの描写だ。
 掲示板での書き込みだけなら、それは歴史も人格もすべて剥ぎ取られた「名無しさん」でしかなく、そこでは文字にしめされた情報がすべてとなる。いわば内面がピュアに出てくる。
 これが2ch独特の乾いた言葉遣いで中和され、純真な応援メッセージも、あまり照れなく読める。
 しかし、漫画となると、漫画であるから、書き込みをしている人たちの「生活」「表情」が描かれてしまう。
 とたんに、彼/彼女らの電車男応援メッセージは「湿っぽく」「重く」なってしまうのだ。読んでいて非常に照れくさい。

 もうひとつは、エルメスとの会話ややりとりが、そのまま「読めて」しまうこと。
 ネットではエルメスの反応は、電車男を媒介してしかわからず、雰囲気の一端しか伝わってこない。しかし、それが逆に『電車男』の重要な空気をつくった。
 エルメスがこれほど露出することによって、ネット=掲示板で味わった、真実が徐々に明らかになっていく高揚感はあまりない。

 そして、そのふたつの問題を「原秀則」が描いているということによって、なんら中和・緩和されずに、ずどーんとそのまま引き受けてしまっているのが、原秀則版『電車男』なのである。

 漏れは、もうだめぽ。…… ○| ̄|_

 しかし、さすがにベテランの原だけあり、漫画の作劇は堂に入ったもの。
 技術的なすべてが、うまい。
 堅実といってもいい。
 たとえば、2chのスレ上のやりとりをどうやって再現させるのかが見ものであったが、1〜2行の書き込みを細いコマでそのまま載せ、すばやく現実の描写にもどる(「電話汁」に「電話しろ」と“翻訳”がついているのは笑える)。
 読者は思考を中断させずに、流れとリズムのなかで読んでいける。

 エルメスの造形も、お高くなりすぎず、ルードにもならず、だいたいネットで想像していたラインをピタリと精確に射止めた感じ。談合の落札率並みだ。


 ぼく的には受けつけなかったわけだが、思えばこの原のうまさが商業的にはおそらく非常に重要な意味をもってくる


 なぜか。
 ネットで原秀則版『電車男』の評判をみてみたのだが、概して好評なのである。
 いや、かなり評判がいい、といってよい。


 特徴は、

1)掲示板での原典『電車男』を読んでおらず、漫画から入る
2)そもそも2chやヲタ文化と親和性が低い
3)したがって漫画文化そのものについても、濃い読者層ではない

 このような人たちが原版『電車男』を面白いと感じているのだ。
 こちらのブログでもいわれていたが(コメント欄)、編集部的には2ちゃんねらーやヲタではない人に『電車男』を普及する意図で原を起用したのではないかということが推測される。
 もともとのところでヒットしたやつは相手にしなくていいから、新たな市場を開拓するという意図である。そして2ch的空気を理解しない層には、むしろ原のストレートな漫画のほうが入りやすいのではないかという戦略。
 で、それはあたっている、というわけだ。


 原以外の漫画家がさまざまなバージョンの『電車男』を描き、それが本屋でも平積みにされていた。その比較はなんだか楽しそうな気もするが、ぼくはもういいよという感じ。

 こんなところです。( ´ー`)


(2005.6.3感想記)


※渡辺航『電車男』感想はこちら
※道家大輔『電車男』の感想はこちら

『電車男 〜ネット発、各駅停車のラブ・ストーリー〜』
原作:中野独人
小学館ヤングサンデーコミックス
1巻(以後続刊)
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