雁須磨子『どいつもこいつも』 ワイド版として再刊されたもの。正直、はじめの「花とゆめ」コミックス版のときは面白いとは思えず1巻でやめてしまった。 しかし、今回ワイド版の1巻が出て300ページちかい量を続けて読んでいくと、まったく印象が違った。「あれ、こんなに面白かったっけ……」。わざわざ旅行先にもっていってくり返し読むほどだった。 以下ワイド版1巻までの範囲での、いい加減な感想。 2〜3巻にこれをくずす設定が出てきたら、勘弁して下さい。 『どいつもこいつも』は、陸上自衛隊、それもWAC(陸上自衛隊婦人自衛官)の話である。 といっても、たとえば『海猿』とか『火消し屋小町』とかいったたぐいの、職業的使命感や「やりがい」についてはひとっことも出てこない。 なにせ、主人公・朱野と同室の2人の志望動機は、朱野は「高校時代のあこがれの先輩を追って」であるし、戸波留は「筋肉フェチ」だから(盗撮している)。もう一人の江口は「“災害派遣の報道に心をうたれて”」と“ ”つきで答える。それを聞いた朱野は「しらじらしい〜〜〜」と言い放つほどである(江口の真の動機は、読んでのお楽しみ)。 彼女たちがこなしている業務はたしかに陸上自衛隊らしい(たとえば、朱野がやっているのは武器、64式小銃の組み立て)。しかし、それは別に他の業務であっても、この物語は十分に成り立っただろうと思う。陸自の設定が生かされるのは、独身者たちの閉鎖的な寮生活のみだ。 軍隊独自の階級の厳しい上下関係も、本来ならもっとイジれるはずである。雁の作風は、こうした「厳しさ」とはまったく相容れないもので、たとえば初期の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のように、そうした厳しい使命感や上下関係を「茶化す」という戦略もとれなくはなかったはずである。しかし、雁はそれをスルーした。すなわち、熱血の使命感ドラマでもないし、その裏返しである権威への風刺でもない。 ひとことでいえば、「ほげほげ感」。 雁の漫画の本領は、手書きの書き込みや、絵を崩した瞬間のほうにある。 中心をどこかはずしたような力の抜き方に、読んでいる方は豪快に転んでしまうのである。 バレンタインデーの義理チョコを、部隊のぶん全部まとめて買いに行く役をおおせつかり、酒を飲んでいる内にそれを無くしてしまう話があるが、その解決の瞬間のコマは、ものすごく小さくなった朱野と江口が書かれていてそれが妙におかしいのである。 あるいは、子犬が隊舎にまぎれこむが、それを三曹の「乙犬」と名づけるシーンでも、笑い転げる江口と朱野の描写はまったくいいかげんなタッチで極小に描かれる。 また、――これは番外編であるが――、朱野のことが好きな乙犬という男性三曹の高校卒業の日の話で、クラスの女の子が自分の進路を大胆に明かす瞬間、やはり、衝撃的な結婚相手がコマに小さく描かれる。感情やドラマが頂点化することを、ひょいとズラして、読んでいるぼくらは体をかわされたようにごろごろと転がってしまう。 手書きでないコマであっても、たとえば冒頭に朱野が上司である乙犬から銃の手入れの悪さを指摘され「やめたら 自衛隊」といわれる。「やる気がない奴を見てると俺がイライラするから」という乙犬の言葉にたいして、朱野は、 「ちがうよ〜〜〜〜 ちがうよ〜〜〜〜 ちがうよ〜〜〜〜 ちがうよ〜〜〜〜」 と、なんとも間の抜けた心の叫びをするのである。 ライターでありサイト「OHP」の運営者である芝田隆広は、雁を評して次のようにのべる。 「普通の作家の場合、『こんなシーンがあったら、次はこうなるだろう』という展開がある程度読める。もちろん読者の予想の裏をかく展開をする作家はたくさんいる。しかしそれは『設問に対して考えうる解答のうち、最も確率の低そうなもの』を選択した程度のものだ。雁須磨子の場合は、『いやそんなこと聞いてないんですけど……』と設問者がとまどってしまうような、そんなピントのズレた答えばかりが返ってくる。登場人物も、通常の感性からはちょっと外れたような、天然系の人物がほとんどだ」(※) まだ、「メロディ」誌に連載していた本作では、いちおう物語やストーリー漫画らしさがあるのだが、『じかんはどんどんすぎてゆきます』や『ピクニック』になると、このズレっぷりが先鋭化。雁の本領が発揮される。 率直にいって、ひどく下手くそな絵だ。しかし、そうであるからこそ、その「ほげほげ感」を一番たくみに表現できる。ぼくは読み返している最中、どのページを繰っていても、漂うおかしみに出会えた。 ただし、ボーイズラブ出身の作家だけあって、これだけ全体にいい加減な「ほげほげ感」を漂わせながら、キャラの配置だけは、実に堅牢である。 朱野はそもそも同性のあこがれの先輩を追いかけて自衛隊に入隊している。上司の一人である立花二曹(男)はあまりにいい男で、その立花の寝顔を見て楽しむという岡二曹(男)にもやはり同性愛的な視線をふくませる。超美貌の綾瀬三曹(女)は、朱野がかわいくて仕方がないという風。綾瀬と岡は婚約者同士であるが、幾重にもまがりくねっている。唯一、ヘテロの恋愛で、かつ、まっすぐなまなざしは「朱野」と「乙犬」の関係だけという、ユニークきわまる構成だ。 したがって、「自衛隊もの」を期待するむきには、読むことをお勧めしない。 また、漫画にドラマやロマンをもとめる人にもお勧めしない。 漫画にほげほげしたものを求める人にお勧めする。 そんなやつがいるのか。 (2005.3.28感想記) 2巻を読んじゃう 2巻を読む。 桜の下で乙犬が朱野の頬を撫でるシーンに、不覚にもドキドキさせられてしまう。頬をなでるという愛情表現は、けっこうぼくのツボだ。ちなみに、雁は、この巻で、綾瀬三曹に朱野の頬を撫でさせるという描写もおこなっている。 頬を撫でるというのは古典的ではあるが、だいたいが無意識に(すなわち「思いあまってつい」)おこなわれるものとして描かれ、キスに至る前のくせに、やたらと相手に深入りしている感じがして、「抑制的なのにエロい」愛情表現である。 (2005.3.30感想記) 3巻を読む むう。こ、これは……(と、ヲタっぽく開幕)。 評価を改めねばなるまい。 立派な自衛隊漫画である。 とくに、立花二曹の「入隊譚」は、笑いながらも、かつ、なかなか感動的な話にしあがっている。 立花が入隊のきっかけとなった退役自衛官・八島の開店祝いにかけつけるというところから話がはじまり、物語は立花の高校時代へとさかのぼっていく。 友人たちが進路が定まらない立花を、心配してか、からかってか、街でよく見る入隊案内のハガキを勝手に送ってしまう。 立花 「くそっ やっぱりおまえらのイタズラかよ」 友人A「ひゃははは マジできたんか〜 ひゃー スゲー」 友人B「あれ マジですぐ来んのな」 怒り心頭だった立花だがビデオを見たり話を聞いているうちに、次第に自衛隊入隊に心を動かされはじめる。 そのとき、立花が友人たちの自衛隊ハガキのイタズラのことでモメているのを見て、同じように自衛隊に興味をもってしまった磐田めぐみという女子が、立花が知らぬうちに一緒に地連についてきて、勧誘の自衛官・屋島の話を、立花といっしょにきいてしまうのである。 気の弱そうな、そして小柄な女の子で、磐田は緊張しながら八島に尋ねる。 「さ 災害派遣などはどのようにして行われるんでしょうか」 このあと、セリフのないコマが2つ続くのだが、緊張しながらも深く惹かれていく磐田の表情を、雁は的確にとらえている。 磐田の入隊希望は思わぬ形でその後展開していくのだが、それは読んでのお楽しみである。 このエピソードのほか、陸上自衛隊員にとって憧れの資格であるレンジャー(ハードなサバイバル訓練をのりこえた者だけがなれる陸自特殊先鋭のこと)に乙犬が挑戦する話や、巡回整備(他の駐屯地に定期的に整備にいくこと)に行く途中に思わぬ「人命救助」をする話などが面白い。 前にもいったとおり雁の武器は「ほげほげ感」で、ホラ話やハッタリ、あるいは過剰なロマン主義ではなく、ヘタレのつぶやきのような調子で話をすすめる。それが、読み手には「作者はうそを書いていない」という安心感を深いところで与え、現代人にとって一番強いリアリティをもってもらうことができる。 ふだんはそんな「ほげほげ」した調子で語りながら、雁はここぞというときに、ターボエンジンを起動させ、「熱血」や「感動」にむけ物語のハンドルを切っていく。その一つが立花の入隊話であり、乙犬のレンジャー挑戦のエピソードであったりするのだ。だからといって、ぼくらはその感動譚に鼻白みはしない。ふだんのほげほげが与えるリアリティが、根底での信頼感となって、ぼくらはわりと簡単に、雁によって感動させられてしまうのである。 だから、「自衛隊」という、これほどイデオロギッシュで、いかにも嘘くさい感動臭や大言壮語がつきまといそうなジャンルなのに、雁の漫画は一切それを感じさせない。実にすぐれている。 たとえば次の磐田のセリフである。 「…国防とか そんな大それたことあんま考えてないよー もっとなんか小さいもんとか あたしちっちゃいしさ ……てかなんか “守ってやる”なんて ちょっと おこがましいじゃん なんかさ」 あとがき漫画で「私はどいつもこいつもを読んで自衛隊に入ることを決心しました」と読者からお便りがくると書いてあるのは、偶然ではないと思う。おれでさえ、入っている自分を想像したんだもんな。 防衛庁は、これをPR漫画にして配付したらどうですか。 まあ、「別の層」は確実に逃すと思うが。 (2005.5.5感想記) ※『ファミリーレストラン』『間抜けには向かない職業』の感想 白泉社JETS COMICS ワイド版は全3巻 |
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