矢島正雄・若狭たけし『どんまい!』
くさか里樹『ヘルプマン!』




 「○○先生に励ましのお便りを出そう!」

 ぼくは少年時代から雑誌漫画の柱に必ずこのフレーズをみてきたが、それはいつも他人事のように、遠くから眺めている感じのする一文だった。
 もちろん感動にうちふるえる漫画があった。しかし、感動をしたことと、「お便りを出す」という行為の間は万里の長城で隔てられていて、自分がお便りを出すなどということは考えられもしなかった。

 いや。

 一度だけある。
 それも大人になってから。
 「ヤングユー」誌で連載していた秋本尚美「アンサンブル」を読んでいたときだ。



なぜ「お便り」をだそうと思ったか

 ぼくにとって、秋本という作家はそれほど好きな作家ではない。『アンサンブル』という作品もまたそれほど好きではないのだが、しかし全巻持っているという程度には好きであった(相当好きじゃん、とかツッコまないで)。
 超売れっ子モデルだった女性主人公が、甲斐性がないけど心優しい男性と結ばれ、そしてそこで生まれた子どもといっしょに極貧の家庭生活を送る話をほのぼのと描くというストーリー。
 そのなかで、あるとき「学校給食」の話が出ていた。同作品を実家の納屋にみんな置いてきてしまったので今は確認できないが、たしか給食の素材についての話題で、オチが近所のみんなで勉強会のようなものを開いて考えていくことにした、という話だったと記憶している。

 感動した、というわけではなかった。
 むしろどちらかといえば、作品として失敗していた。
 にもかかわらず、給食というモチーフをとりあげ、最後にグループをつくって勉強会のようなものに発展していくという展開に、ぼくはひどく注目したのだ。
 当時ぼくが不満だったのは、女性漫画(というか「ヤングユー」連載漫画)が社会へむけてなかなか窓を開かないことだった。男性漫画・「青年漫画」といわれるジャンルには「政治」「ビジネス」「社会」モノはたしかにあったが、それはいつもひどく荒唐無稽(それはそれで面白さがあるけど)で、「私」を紡ぐ言葉とどこにも接続していないという別の不満があった。他方で、女性漫画の方は、これほど20代後半の心の中におきている揺れや動きの機微をうまくつかまえるのに、自分やその周囲で世界が閉じてしまうことに不満があった。

 ぼくは、そういった意味で、秋本の漫画が社会に少し窓を開いたような気がして、それを評価したいと思ったのである。
 だが、一方で、作品として失敗していることに、ぼくは危惧をおぼえた。そして、「ヘンに社会のことなんか書いたからつまらなくなったんじゃないか」という総括を作者や編集者がしているということはないだろうか、と勘ぐったりした。
 だからそのとき、ぼくは、漫画としては課題を残したけども、こういう題材をとりあげたことはとてもいいことだから、という複雑な気持ちをいだき、今後もこれに懲りずにこういうテーマを書いていってほしいと、文字通り「励まし」の気持ちをこめて手紙を出したのである。たぶんすごく「ヘンな読者の手紙」だったのだろうけど(返事なし)。

 ぼくは左翼であるが、「サヨが漫画(あるいは創作)に期待しているのは、政治性・革命性じゃねーのwwww」というむねのことをときどきいわれることがある。
 つまりポリティカル・コレクトを漫画に求めているのでは、とか、政治的立場として気持ちのイイ漫画しか読まない、とか、いわゆる「社会派」漫画だけを評価する、とか、そういう見方である。


 たしかにちょっと複雑なところはある。
 このサイトをみてもらうとわかってもらえるだろうが、ぼくは基本的に自分が面白いと思える漫画を読んで、面白いと思ったことをここにつづっている。政治的主張が同じ漫画、社会問題を扱っている漫画ももちろん読むが、面白いと思わなければキーボードをたたいて、感想をつむごう、という気にはあまりなれない。
 ただ、やはり「意見」が近い漫画にはがんばってほしいと思っているし、そういう本が広く読まれることを願う気持ちももちろんある。しかし、それが漫画として面白くなければ、逆効果ではないか、という危惧もいだくのだ。



主張は買うが漫画としてどうなのか

どんまい! 1 新装版 (1)
 前置きが異様に長くなったが、本作『どんまい!』は、その複雑さに又裂きにされている典型である。「しんぶん赤旗」でぼくが漫画評を連載していることを知っている、あるコミュニストの友人が「読んでみないか」とすすめてくれたものだ。

 新米21才の介護福祉士・里見優が「きぼう」という訪問介護センターをおとずれ、いきなり「どうしてもこの町で… ココで働きたいんです!」と強引に就職をせまるシーンからはじまる。
 優は元気なだけがとりえだ。技術も知識も貧弱である。いや、元気というか、「熱血」といったほうがいいだろう。この優が毎回ホームヘルプ先(後半はデイサービス)でぶつかる介護の現場を物語にしていく。「笑いと涙の奮戦記」とオビにあるが、まさにそういう物語にしたいのだろうなあというほど、ベタなまでの熱血ぶりである。

 この漫画には主張がある。
 優に対立する人物として、まず事業所の所長をおく。彼は効率とコスト最優先で、ことあるごとにそれを口にする。つぎに優の対極におく人物として、米倉コンツェルンの令嬢(笑)・米倉怜を配する。怜は、如才がなく知識もあり多芸である。また何事にもビジネスライクに接する。
 こうした人物にたいして、優は、行動においてまったく正反対をいく。
 暑苦しいまでに介護対象や家族とかかわり、タブーとされる徹底的な容喙を平気でおこなう。
 効率とコストだけが幅をきかす介護の市場化が不気味な静寂をもって社会を覆いつつある。それを騒々しく破壊するアンチテーゼとして里見優を描きたい、という明確な「メッセージ」がある。

 優はとまどいながら、こうのべる。

「私は…報酬とか…ビジネスとかって
 よくわからないし…そんなんじゃなく…
 人とのつながりの大切さとか…やりがいとか…
 そういうのが一番の報酬だと思う…」

 よくわからない、って言ってるわりには、主張はシャープだ(笑)。
 これにたいして、「なに言ってるの!? バカじゃない?」と怒鳴るのは米倉怜。ひとと深くかかわらない、ドライな人間関係の効率性について賛美したあと、怜は言う。

「介護だって同じですわよ 優さん
 全ては『効率』です
 なぜそれがわからないの?」

 これを受けて優は、批判的というより、むしろ憐れむような目つきで、遠慮がちに、しかしかなりキツい言葉をあびせる。

「怜ちゃん… 本当にそう思ってるの?」
(当然、という怜のまなざし)
「怜ちゃんて… 寂しい人だね…」

 怒り狂った怜は、優の頬を張る。

 ぼくは、自分の政治的な立場からすれば、優のような主張に快哉を叫びたいところである。介護に限らず、自治体の現場は、あらゆるものが「民営化」「民間委託」の名前で市場化されている。そして、うわべだけをみれば「民間でも十分立派にやっている」けども、その内実は、人と人との結びつきを、深いところで断ち切る「コスト」と「効率」の論理が席巻し、それを現場の悲惨な努力でカバーしているという現状なのである(または、堂々と放棄している現場もある)。

 なればこそ、この「安いドラマ」をどうにかしてくれ、という気持ちになる。
 毎回二十数ページで「起承転結」をつけねばならぬという「効率」ゆえに、おどろくべき早さと簡単さで人間が根本的に変化する。インスタント改心
 任意の巻、2巻を見よ。
 優が高校時代、同じソフト部のキャプテンだった先輩の家に偶然介護に訪れることになる。ところが「キャプテン」は昔の自分を成長させてくれた「キャプテン」とは変わり果てた荒びようをしていた。父親が死んで会社が倒産し、生活が急速に傾く。「キャプテン」の兄弟たちは、さっさと社会人になったが、末っ子だった「キャプテン」は学校をやめ、母親の介護のために働いていた。「自分だけが貧乏くじをひいた」という強い不満があったのだ。「キャプテン」は、母親に暴力をふるうまでになる。
 優は、昔のキャプテンに戻ってもらおうと、ソフト部の仲間を集めて誕生日の激励をし、昔を思い出してもらう。そして、昔の仲間のあたたかい言葉に、やがてキャプテンは……。
 うーむ。23ページで「キャプテン」にこの「大転換」をとげさせようというのは、ホントに無理がある。あまりに「安く」、かつ即座に心を入れ換える「キャプテン」に、ぼくは心から不信をおぼえる。



『ヘルプマン!』と比較してみる

ヘルプマン! (1)
 『どんまい!』は2002年ごろにはじまり、2003年に完結している。ちょうど『どんまい!』と入れ替わるような形で、別の雑誌でやはり介護の現場を描く『ヘルプマン!』(くさか里樹)が始まった。
 こちらは、まさに『どんまい!』が漫画として弱点にしていたことの、まったく逆をいっている。

 第1巻は「介護保険制度編」である。

 主人公にやはり熱血・無鉄砲の新米をおくのは、『どんまい!』と共通している。そして、その周囲に、冷酷な「コスト・効率」優先論者や、新米と対照的な優秀な技術をもつ介護福祉士を配置するのもよく似ている。
 主人公の百太郎は介護される高齢者の手足をしばる「身体拘束」を見て、憤る。しかし、拘束を解いてみると、ところかまわず大小便をするわ暴れるわで、ついに百太郎自身が腕力を使ってその老人をねじふせ、ヒモでしばろうとしてしまう。「身体拘束」をついさっき批判ししたはずなのに、自分自身がその論理に屈服するのである。

 それでもかわいそうだという百太郎に、ベテラン介護職員が痛打を浴びせる。

「現場を知らねェ奴はみんなそう言うんだよ!!
 生命の尊厳 人権尊重 倫理・道徳!
 いちいちそんなことまともに聞いていたらきりがないんだよ!

 老人は放っとけばいいんだ……
 老いた者は子孫を残したあとはのたれ死んでいくのが自然の摂理だ
 人間だけがその摂理に反することをしているんだ
 不自然なことをすりゃどこかでおかしくなるのは当然の成り行きだ

 身体拘束は……“必要悪”なんだよ!」

 読者は、ここで百太郎と同じように、このベテラン介護士の論理に拝跪せざるをえない。そして読者は百太郎とともに、その「現実」に抗弁できない悔しさを味わうのである。
 クソまみれになって、悔しさのあまり裸で夜の街を走る百太郎の「熱血」は、『どんまい!』の安手の「熱血」とはちがって、ぼくらは百太郎と同じような悔しさをかみしめながら、このシーンを読むであろう。

 百太郎は、自分が好きだった祖母が倒れたことを契機に、この敗北感をただの敗北感として終わらせずに、自分の人生のテーマとしてひきよせる。そして再度、あの「身体拘束」をしていた介護施設で使ってくれと頼み込みにいくのである。

 それでもずっと百太郎は失敗しつづける。
 ある一人の痴呆(認知症)の老女をまかされるが、まったくその老女を「つかめず」、悪戦苦闘をくり返す。そして、ようやくその老女の洗髪ができる、というところまで来るのは、なんと230ページも費やした1巻のラストなのである。

 わずかその10分の1のページで、老人の心はおろか、家族の心までつかんでしまうという『どんまい!』のスジ展開がこの「介護」というテーマではいかに乱暴なものかがわかるであろう。



矢島正雄のテレビ性

 よくみれば、『どんまい!』の原作は「矢島正雄」である。
 ぼくは、この原作者をみて、責めを「漫画家」におわせるわけにはいかないな、という思いをいだいた。
 矢島の、その紋きり、ベタなドラマには定評がある
 かつて作家の関川夏央は、矢島の原作をもちいた『シャッター』(矢島正雄・はやせ淳)という写真週刊誌の現場を描いた漫画にたいして、次のようにのべたことがある。

「熱血というより太平楽な社会派ぶり、全編床屋政談ならぬファーストフード政談、紋切型正義感と書生論にまでも煮えていない俗論の奔流はいったいどこからよってきたったのだろうと考え、朝のニュースショーにおける『泣きの小金治』を思い出した。これはテレビだ。テレビドラマサイズのマスコミ像であり社会観なのだ」

(関川『知識的大衆諸君、これもマンガだ』p.130〜131)


 この批判は、『どんまい!』についてもまったくよくあてはまる。
 そして、この漫画が相武紗季主演のNHKドラマとして始まったと聞いて、ありえてむべなるかなと思ったものだ。

「テレビドラマはおそるべき俗論の支配する世界である。見るひとを選ばず(選べず)、誰もが脇見をしながらでもわかるようにつくるのだから無理もない。なにしろタダである。読者に一定の緊張と思考をもとめ得る表現ジャンルであるマンガが、テレビの真似をするのはいかがなものか」(前掲書p.131〜132)

という関川の矢島批判を言い換えれば、この漫画の安易さ、単純な陰陽、ベタさは、この漫画がまさにテレビドラマのソフトになるために存在しているのだということになるだろう。

 漫画では映えないこれらの諸条件が、テレビという舞台を得たとたんまるで変わるのかもしれない、と思う。
 ぼくは、女性消防士を描いた逢坂みえこの『火消し屋小町』をあまり評価していないのだが、これが池脇千鶴主演のドラマになって、大きな人気を得た。ある自治体では、女性の消防志願者が増え、その理由を聞いたところ、なんと『火消し屋小町』がその志望動機の大きな理由を占めていたという。ひとの人生を変えるほどの力を獲得しているのである。

 ぼくは、漫画としては『どんまい!』の評価は確実に低いのだけども、メディアの形を変えること、もっと端的にいえば「テレビ」化されることで、矢島の作品は力を得るのかな、と思った。
 テレビという舞台を得て高い人気を得る。いや、漫画という形であっても、たとえばぼくの左翼友人のように、この物語を支持し、評価する人がたくさんいる。介護についての希望を、介護の現状批判を、ぜひとも読みたいという読者の支持があるのだ。そうであれば、たかが漫画評論上の戯れ言など、無いにひとしいではないか――

 『どんまい!』の2巻には、昔流行作家だった老人が介護をうける話がある。
 自分の書いた作品が批評家に酷評されるという回想シーンで、当時の編集者は、作家にこういって励ます。

「批評家の言ってる事なんて気にしてどーするんですっ!
 読者が喜んでくれて元気になって勇気を出して頑張ってくれるなら
 物書きとしてこれ以上嬉しい事はないでしょう!?」

 これは矢島自身にむけられた、自己救済の言葉でもある。

 ただし、矢島には、弘兼憲史と組んで『人間交差点』を生み出した実績がある。これもやはり「ベタ」なドラマだったが、こちらにはぼくも感動した。だから、矢島的ベタさも、別の才能と組み合わされば、まったく違った響き合いをして、思わぬ美しい音色を出すのだということも、記しておきたい。






原作:矢島正雄 漫画:若狭たけし『どんまい!』
集英社 ジャンプコミックスデラックス 全4巻

くさか里樹『ヘルプマン!』
講談社 イブニングKC 1〜4巻(以後続刊)
2005.12.4感想記
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