D・キッサン『共鳴せよ! 私立轟高校図書委員会』(どろ高)



 「キャラクターで遊ぶ」4コマ漫画というのは、『あずまんが大王』にとどめをさす。
 しかし、その周辺にもうほんとうにヌルい温度で似たような「キャラクター遊び4コマ」が山のようにあって、それはそれで楽しめなくはないけども、読み続けようという気力がだんだんなくなっていく。

 たとえばヒロユキ『ドージンワーク』も「奥地」にすすんでいくことができなかった。ぼくの部屋にはこのような4コマが死屍累々となっていて、「ああまたこれもそうか…」というものに悩まされ続けている。
 気力をふりしぼって全巻読み通すべきなのだろうか? そうするとその先に光明が?

 それで、D・キッサン『共鳴せよ! 私立轟高校図書委員会』(『どろ高』)も読み始めたとき絶望的な気分を味わわされたものであった。しかも何を思ったか、2巻まで買ってしまったので「ああ1000円以上をムダにした」。

 ぼくは、この本に何を期待していたのか?

 それは「高校の図書委員ネタ」だった。
 「高校」「高校図書室」「高校図書委員」の内的論理に立ち入って、かつてそこでこまごまと実感したような、どうでもいい些細な日常感覚をネタにしていろいろ遊んでくれないかなあということだったのだ。
 キャラクターなどで遊んで終わるのはやめてほしいと。いや、キャラクターで大いに遊んでくれていいのだが、そのことと「高校の図書委員」の日常の事実をしっかり結びつけてほしかったのだ。

 たとえば高津カリノ『WORKING!』は、ファミレスで働く人たちの話だが、ファミレス労働の日常などさっぱり出てこない。キャラクターが性急に立ち上げられ、いそいそとそれで馴れ合いを始めさせる。1巻で断念してしまった。
 それはそれで需要があるのだろうけど、ぼくにはそれでは困るのであった。

共鳴せよ!私立轟高校図書委員会 1 (1) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)  んで、『どろ高』も1巻を読んでいる間は結局それらと似たような系列なのかとがっくり来たわけである。よほど1巻で読むのをやめようかと思ったが、優等生美少女で過度に腐女子である黒田蝶子を眺めるのは楽しかったので、どうにかこうにか1巻は読めた。

共鳴せよ!私立轟高校図書委員会 2 (2) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)  ところが、2巻で調子がかわってきた。
 「高校」「高校図書室」「高校図書委員」っぽいネタがふえてきたのである。

 たとえば、「読解物語I」。
 現文の授業で、森鴎外「舞姫」の登場人物の気持ちを問う問題。「なぜエリスの母親は主人公を快く家に招いたか 何と、ここ正解者が一人しかいません!」と教師がいいながらテストを返す。
「皆 わりとエリスの母親の本心が見抜けていなかったということでしょうか」
と嘆息しながら教師は講評する。
「このクラスは人を疑おうとしない、純粋な人ばかりなようだねー」(手書きで「先生ちょっと和みました」)

 クラスが騒がしい中、一人静かに返却されたテストをながめる、読書家で図書委員会副委員長の三村真亜子。三村のテストの答案にはマルが。唯一の正解者だったのである。果たしてその答案。

主人公を金持ちだと判断し、エリスに金をくれると思ったから

 図書室でため息をつく三村。
「間違えるべきところだったのかしらね…」

 この、現代文や古典をミもフタもない形で解釈するというのが、いかにも進学校的高校生の文化系女子っぽくてたまらない。
 これはたとえば『源氏』を「あーマザコンゆえに女遍歴が激しくてセックルばっかりしているプレイボーイの話ね」とか言っちゃったりするメンタリティである。沙村広明が「『アタシって天の邪鬼だから』とか言いたがるタイプのどこにでもいるオタクの女子高生って感じだな」と罵倒したあの人々。とくに図書室周辺に巣食っていたそのテの女子を思い出させてくれる。ぼくはこのテのタイプの魔力から未だに逃れられない。んもう。

 図書委員でリレー小説をやる8コマの話もなかなかいい。
 これはキャラクターで遊ぶことと、図書室派高校生っぽさがうまくからんだ話で、小説を破滅させようとする男子の野放図さにたいし、まじめな女子たちが必死で立て直しをはかるものの、最後に腐女子の黒田が「やおいネタ」でイキイキと台無しにしてしまう様が笑える。
 朗読文の中身もさることながら、黒田の目の輝きの書き方が、興奮や陶酔ではなく、生真面目に意志的に描かれているのがリズムをつくっている(右図参照、同作品2巻p.99)。

 あと、「君までの距離」という話で、「あたしマンガとかアニメとか好きなんだー」と「初対面でカミングアウト」する非オタク女子の顔が、「何の屈託もない一般人」の影のなさをかなり的確に表していると思う(左図参照、同作品2巻p.66)。

 もう本当に一般人てなんであんなにいとも簡単に「あたしマンガとかアニメとか好きなんだー」とか言えちゃうのかね? ぼくなんかもこういう反応に会うと、「へえ……そうですか……なるほどぅ。えーと、どんな……?」などと不自然なまでにテンションの低い反応。だいたいにおいてこういう場面では、ぼくが漫画を読むことが第三者によって紹介されているか、もしくは何の脈絡もなく相手が「告白」してくるかのどちらかである。だからこちらの手の内や属性は十分には明らかにされずに会話が進むことが普通である。
 ゆえに相手から「志村貴子とか好きですよ」とかそんな反応返ってくるわけがない。『キミキス』がエロいとかそういうものも話せはしない。
 有名漫画について、明るく会話して終わり、である。

 このように、「高校」「図書室」ネタがせりあがってきたのが2巻である。ぼくはつねづね4コマにおいて「キャラクターで遊ぶ」ことにはもうよほどのものでないかぎり「お腹いっぱい」な気分なので、それをもしやるなら、こういう具合に、「高校図書室」とか「ファミレス」などというふうにテーマの内側に入り込んでそれをよく揉むということをやってほしいと思っている。よけいなお世話だが。

 「本」をネタにするのは、たとえばブログ4コマ『今日の早川さん』もそうだが、『今日の早川さん』がカラーで、かつイラストチックな線の確かさであるのにたいして、本作(どろ高)は上記の参照図をみてもわかるとおり、線が不確かでどちらかといえば汚い。
菫画報 1 (1)  しかし、それが小原愼司『菫画報』のような「高校文化部系」のシロウト感、雑多さの味をよく出していて、個人的には大変親しみを持てる。

 本作『どろ高』をGoogleで検索すると、それほどメジャー作品でもないのに(失礼)、言及ブログが多いことに驚く(07年11月現在)。
 他の作家、まあ何でもいいけどたとえば、有名漫画家の槇村さとるの『Real Clothes』で検索してみても、個人のブログはほとんどヒットしない。それほどまでに、『どろ高』はブログと親和性の高い層からコアな人気、愛され方をされている作品であることがわかるし、しかもそのブログ上の感想を一つひとつ拾っていってみると、「図書委員体験」「図書室体験」を自分語りしているものが少なくない。すなわち「図書ネタ」として期待されているのである。

 「高校の図書室」というのは、ぼくのような文化系のオタクにとって「甘美な記憶」として残っている場所だ(別にそこでヘンなことをしていたとかいう意味ではない)。そういう後ろ向きな快楽の記憶に立ち返らせ、空想の高校生腐女子や文化系女子と遊ばせてくれる場所にするために、ぜひとも『どろ高』において図書委員ネタ、図書室ネタの比重をもっともっと極端に高めていくべきだと思う。ぼくの欲望のために。

 ところで「IDコミックス」のロゴ「IDC」って「エロコ」にしか読めませんが何か?(厳密に言えば「コ」は逆であるが)






一迅社IDコミックス
1〜2巻以後続刊
2007.11.11感想記
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