三田紀房『ドラゴン桜』13〜14巻



※それ以前の『ドラゴン桜』の感想はこちら


 「東大生の親はみんな金持ち」――この「世間では常識とされてるある情報の解釈が正しいか検証」するという宿題を国語教師・芥山は出す。「これを調べて自分なりの結論を明日発表してもらいます」と芥山は言い残す。

 『ドラゴン桜』は、偏差値が非常に低い高校を、超進学校に改造するため、手始めに、勉強がまったくダメダメだった男女各一人を初年度に東大に進学させるプロジェクトを描いた漫画である。


ドラゴン桜 (13)  しかし、ここでずいぶんひどいごまかしがおこなわれている。
 このごまかしについては、13巻を読んだ時点ではぼくは「まあしょうがないか」と思っていたが、14巻でになって許容しがたいものになったので、ちょっとそのごまかしについて書いておこうと思う。


ドラゴン桜 14 (14)  まず、この「東大生の親はみんな金持ち」という命題なのだが、常識的に考えて、みんな金持ちなわけがない。
 いくら極端に考えても、一定数は貧乏人や非金持ちがいるだろうと察することができる。
 私立の医大の場合、たとえば産業医科大の場合初年度に1400万円も納付しないといけないのだが、こういうハードルは国立大学である東大にはない(それでも国立の初年度納付金は80万円をこえているが)。最初に80万円、あとは50万円を学費として捻出できる家庭なら、なんとか国立大には行かせることができるからだ(もちろんこれ以外に下宿代などの生活費がかかるが)。

日本のお金持ち研究  しかも「金持ち」というのもあいまいだ。橘木俊詔『日本のお金持ち研究』 (日経新聞社)だと年間3000万円を納税している人(収入ではない)だと定義している。
 『ドラゴン桜』13巻に出てくる「金持ち」のイメージ画も金塊などがたくさん置いてあって、このくらいのイメージに近いといえる。

 東大生の親は「みんな」「金持ち」――そんなわけがないだろう。まず厳密に考えればこの命題があっさり否定されるというか、考えるまでもないバカバカしい話だということがわかる。

 しかし、これは極論なので、それはまあいい。
 『ドラゴン桜』ではもう少し「常識」的な話をしているように見える。作者の三田は常識を疑えという話をしながら、自分自身はちゃっかりと「常識」にのって話をすすめていくのである。

 東大にチャレンジする男子高校生・矢島の家庭教師は、次のように言っている。「よく雑誌の特集であったりするのよ 年収一千万円以上の家庭じゃないと東大に入れないって…」。

 ようやくここで、作者が想定している「金持ち」の定義めいたものが登場する。「年収一千万円以上」。

 「東大には親が金持ちじゃないと入れない」という命題と「東大生の親は平均世帯より金持ち」という命題には大きな差がある。前者はかなりハードルが高い。金持ちしかいないわけだから。そういう現実というものはなかなか転がってはいないだろう。
 しかし、後者はありふれた「事実」である。
 作者は意図的にこの二つを混同させ、「常識を覆す爽快感」を読者に与えようとする。

 作者がいかに「信じたい情報を信じさせようとしているか」を、作者の論理展開にそってみてみよう。

 具体的に展開しているのは、東大にチャレンジする女子高生・水野と、それと親しい、デキる男子高校生・大沢の会話である。

 二人がネットをつかって参照しているのは東京大学の公式ホームページにある「2003年学生生活実態調査の結果」である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1302/index.html

 水野「親の平均年収一千万円って… 確かにそれくらいありそう…」。いや、「ありそう」じゃなくて「ある」んです。調査票のほうに出ているが、親の平均年収は1114万円である。「主たる家計支持者の年収」だけでみても978万円で、まあほぼ1000万円とみていいだろう。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1302/26.html

 以上。「東大生の親は金持ち」。終わり。終。完。

 しかし、大沢=作者はあきらめない。「平均には気をつけないと統計のワナにはまるよ」。
 くー。「統計のワナ」、と来ましたか。甘美な響き。「統計のワナ」。さあみなさんごいっしょに。「統計のワナ」。「すでに『ワナ』と自覚している段階で、おれは一歩抜け出た!」感満載。まあ言ってみれば情報の勝ち組? ヒルズ族? という作者の自意識が透けて見えるではないか。

 で、大沢=作者が何を言うのかと思えば「ホラ450万円未満でも10%以上いってるよ」。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1302/07.html

 当たり前です。さっきも言ったとおり私立の医大じゃないので、普通は正規分布に近い収入構成になることはほぼ予想がつく。「ホラ450万円未満でも10%以上いってるよ」というのは「ホラ1550万円以上でも10%はいるよ」ということの裏返しでしかない。
 これが「ワナ」であるという認識に結びつくのは、「東大には親が金持ちでないと行けない」という命題の場合だけである。

 「平均のワナ」に気をつけるべき場合とは、このような「つりがね分布」をするような場合ではない。二極分解しているようなケースや、超大金持ちが平均をいたずらに引き上げているような場合である。石原都政が「高齢者は裕福なので負担をかけてもいい」という口実を使ったことがあるが、これはまさに高齢者の所得分布が二極化しているのを隠蔽した「統計のワナ」である。

 大沢=作者の持ち出したものはワナでもなんでもないではないか。

 しかし大沢=作者は、やめない。

「30代40代の家庭を持っている男性の平均年収はおそらく約700万円…」。いや、大学生を子どもにもつ親の年齢で「30代」というのはどうなのか。文部科学省は「学生生活調査」というのを大規模に定期的にやっているのだが、そこで「学生の家庭の世帯主年齢と想定」されているのは45〜54歳である(04年度)。
http://www.jasso.go.jp/statistics/gakusei_chosa/data04.html

 だいたい、30代前半の民間サラリーマン男性の平均年収は国税庁の調査では01年で483万円、後半では567万円しかない。サラリーマンだけでなく全職種をあわせても厚労省調査では03年度で30代全体では554万円である(1世帯あたりの平均所得金額)。
 30代40代平均が「約700万円」っていったい何の根拠があってそう言っているのか。

 しかし、結論的にはここは譲歩しよう。
 なぜなら、「学生の家庭の世帯主年齢と想定」されている45〜54歳あたりについていえば、「約700万円」だからである。いまの厚労省調査では40代では719万円、50代では768万円。国税庁の調査では民間の男性サラリーマンでみるとその世代は686万円〜696万円。
http://www.j-tgs.com/value/salary/

 さて、大沢=作者は続ける。

「この統計だと750万円未満の家庭が30%以上 950万円未満だと50%以上だから… これはつまり… 東大生の約半数はごく普通の家庭から入ってるってこと」。

 おいおいおいおい。半分以上というのは50.8%。これは「平均以下に半分いる」という、正規分布グラフなら当たり前の話である。わざわざグラフを分析するまでもない。

 だいたい、なぜ「700万円」で切らずに「950万円(つまりだいたい1000万円)未満」で切るのか。いま、大沢=作者自身が「700万円」が「平均年収」だと言ったはずである。そこを「ごく普通」と設定するのが自然ではないのか。
 「750万円未満」にすると1/3に激減してしまう。
 これでは大沢=作者にとっては都合が悪いのである。

 45〜54歳全体の平均年収が「700万円」だとすれば、東大生の親の平均年収が1000万円というのは、そこに明らかに所得格差=教育格差を見て取ることができる。所得の低い家庭が淘汰され、結果的に「金持ち」が東大に行くには有利になっているという構図である。

 だが! 大沢=作者はこれで止めてはくれない。
 大沢「私大や他の大学の状況と大差ないんじゃないかな」。

 な……おま……なにを根拠にそういうことを言うわけ?
 氏んでください。
 先ほどあげた文科省の調査では、04年度の家庭の平均収入は国立大学で781万円、公立大学で750万円、私立大学で861万円である(昼間部)。
http://www.jasso.go.jp/statistics/gakusei_chosa/data04.html

 さすがに公立大学は平均に近い。国立大学は少し「ごく普通の世帯」とは格差がある。私大は一定の格差をみることができる。
 しかし、いずれも東大の「平均1000万円」とはまったく違う。文字通り「ケタが違う」のだ。
 「私大や他の大学の状況と大差ないんじゃないかな」という大沢=作者の発言は、「じゃないかな」という語尾に象徴されるようにまったくの憶測でしかない。

 大沢=作者が女子高生・水野にむかって、耳元でささやくようにカッコよくシメます。みんな聞いてあげて! 謹聴!

「情報の独り歩き… 人はみんな信じたい情報を信じるんだよ」。

 その言葉、あんたにそっくり返します


 終わってみれば、作者が否定したものとは、「東大生の親は年収1000万円以上ばかり」=「東大生の親はみんな金持ち」ということだった。ぼくが冒頭にのべた「極論」に近いことを否定しているだけなのだ。

 結局、このサイトの検証によって、「東大生の親は平均よりもずっと金持ち」という事実が確認された。「親の年収とか関係ないって知ったらますます勇気出てきた」と喜んでいる水野には申し訳ないが、個別ケースはともかく、社会的には関係あるんです(相関関係)。これは、昨今言われているとおり、所得格差がそのまま教育格差に結びついている危険を示しているといえよう。苅屋剛彦『階級化日本と教育危機』によれば、親の階層と子どもの成績には1997年の時点で有意の連関が見られる。79年よりもはっきり開いているのである(ただし東大とそれ以外の収入格差は今に始まったことではない)。
 大沢=作者はそんなことを信じたくないのかもしれない。「信じたくないものだけを信じる… これでは何も得られない… 何ひとつ進歩しない 逆に…信じたくないものを知る 本当の利益はそこにあるのよ」。


 ぼくが14巻にいたって「ひでぇ」と思ったのは、13巻の終わりでは、水野と矢島がそれぞれの家で別々にこの情報の調査にあたっているという話になっていて、ぼくは両者が「別」の結論にたどりついたんだと思い込んでいたからである。

 水野は今のべてきたとおり、「『東大生の親は金持ち』っていう情報は信憑性に欠けるってこと」という結論に大沢=作者とともにハッキリと達している。
 矢島は、そのすぐ後のコマで「どう? 正確な情報を得た感想は…?」と家庭教師の本田から問いかけられているので、同じ結論に達したような気もした。しかし、矢島が「だいたいこんな情報…クソだ 親がどうだろうと受験には何の関係もねえ 要は努力したやつが勝つ… これ以外に何があるんだよ」と言い、本田が「でも環境も大切だわ それを整えるための経済力は重要よ」と言っているので、「あれ? 水野とは別の結論に達したのかな?」と思ってしまったのだ。

 つまり、

●水野=「東大生の親は金持ち」は謬論。
●矢島=「東大生の親は金持ち」は正論。しかし、俺(矢島)はそれを信じない。親の経済力は重要だが、そんなもんは関係ねえ、要は本人の努力だ。

とそれぞれ結論を持ったのかと思ったのである。

 ところが14巻を読むといきなり矢島は水野の意見を聞いて「俺も同じ」「世の中の常識って意外とアテになんねえ だから最終的には自分で考えろってこと」と言い放つ。なんだ同じ結論かよ!

 水野と矢島。
 お前ら、ホントに「自分で考える」なら、大沢や本田に誘導されて、ドツボにハマってんじゃねえぞ、(゚Д゚)ゴルァ!





 

講談社モーニングKC
1〜14巻(以後続刊)
2006.8.3感想記
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