水木楊『エコノミスト三国志』


 なんちゅうタイトル。単行本のときは『思い邪なし』だったのだが。
 出版社はこちらのほうが売れると思ったわけですか。

 戦争に負けた日本は、ああいうバカなことはもうやるまいと心に決め、平和国家になると誓った。で、その「軍事ではなく平和」というのは、やがて「軍事ではなく経済」と読み替えられて、経済国家をつくることに国をあげて血眼になった。経済をどうするか、どうすれば国を豊かにできるか、というのは、生半可な決意で言えることではない。国運がかかっている。言葉には重い責任がある。それは、軍師の一言のように重い――おそらくこのように考えたからこそ、水木楊は「三国志」などというタイトルをつけたのであろう。それがどれくらい色物めこうとも。

 したがって、このノンフィクションの主人公であるエコノミスト・下村治には、まことにこうした昭和な空気がただよっている。経済小説に出てくる昭和の官僚たちにも、こうした匂いを見つけることができる。「はっきりと言えるのは彼(下村)が古めかしいともいえるほどの国士だったということだ。下村は天才的なエコノミストだったが、それ以上に日本の将来を憂える国士だった」(p.243)という一節をみれば、水木が下村や当時のエコノミストたちをどう造形したかったかがわかる。

 下村は、池田勇人の所得倍増計画の原型をつくりだしたエコノミストで、たえず生まれくる悲観論に動ぜず、その信念をつらぬき通し、戦後の日本の「奇跡」を用意した人物として描かれる。
 悪役の一人として登場するのが、たとえば、経済安定本部、いわゆる「安本」(のちの経済企画庁)の中心にいた都留重人である。「都留天皇」などと書かれている。下村が書いた白書の部分を、都留が全ボツにする話などが紹介される。
 とにかく、たえず、下村の理論には異論が出される。
 このノンフィクションの面白さの一つは、下村が頑迷にその異論を受けつけぬのではなく、「明晰に」相手を斬って、それゆえにまったく迷いがない、という透徹をみることである。
 実際にその反論がどれくらい明晰なものであるのかは、本当のところ、ぼくにはよくわからないが、少なくとも水木がどのような人物を彫琢しようとしているのかはよく伝わってくる。明晰で一徹であるが、一種の狂気にも似たものに憑かれたまっすぐさをもった人物である。高度成長が終わり80年代に入ったころには、下村は一転して低成長論を説く(現実にはプラス成長をつづけた)のだが、「誤っているのは自己の論理ではなく、現実の方だと主張する」(p.241)ほどであった。

 水木は、この高度成長の時期に池田勇人がとった所得倍増計画を、「一流の政治」と称揚する。「こと経済にかぎっていうなら、これほど政治が明確に国民の進むべき道を提示できた例は戦後ない」(p.156)。産業界はこの計画にするどく反応し、すさまじい設備投資ブームがおきる。GNPは倍増どころか3倍になった。

「所得倍増計画に産業界が鋭く反応した事実から言えるのは、池田や下村の見通しが的中したというよりも、政府、企業、個人が倍増計画に描かれた世界にみずからを導いていったということだ。日本経済そのものが、池田や下村の見通しを的中させた。/そう考えると、所得倍増計画は新しい意味を帯びてくる。倍増計画がなければ、日本経済はあれほどの勢いでは成長できなかったかもしれない。計画は経済を予測するにとどまらず、経済の実体を創ってしまったのだ」(p.159)

 いや、高度成長をもたらした、そして高度成長がもたらしたさまざまな矛盾を考えるとき、当然であるがそれを手放しで評価するわけにはいかないのであるが、ぼくは実はこういうエコノミスト像にどちらかといえばあこがれてしまう。もちろん、そんな知識も才覚もないので、「そうなりたい」とかいうレベルの好感ではなく、ただ単にイイなと思ってしまうという意味である。
 この小説が、ある種の人からみれば、くだらないおとぎ話であったとしても、透徹した理論がどのような妥協も排してやがて現実を屈服させてしまう、というのは、ぼくの「あぶない夢」である。それは本当にそうなるときというのは、現実がおくれてやってくるという意味であろうが、まかりまちがえば、毛沢東の大躍進計画みたいな無茶を意味してしまうからだ。

 専門家や理論家の一徹さは、ブレイクスルーになるか、破滅への急降下になるか、両極になりやすいわけだが、だからといってぼくは理論というものへの不信を単純に表明したくはない。数字や理論にのりにくいものを感じ取るのが、いわゆる「政治」の役割である。
 ここで描かれている池田勇人の造形は、まさにそれである。
 池田は、所得倍増計画を演説する中で、聴衆がどのような反応をするか、ということを感じ取り、それでこの方向への確信を得ていくのである。

「池田はやや早口で演説草稿を読みながら、ときどき顔を上げて聴衆の反応をしっかりと確かめていたのだ。聴衆は池田が『賃金二倍』といったところで身を乗り出して聴き入っていた。池田は数回ちがったところで遊説をしたが聴衆の反応はみな同じである。これならいけると確信した」(p.111)

 演説をしていると「わかる」ということがある。
 あるいは、支持者や聴衆と話していると「わかる」ということがある。
 政策科学と政治の感性がうまく結合して、絶妙の政策と、それに政策表現がうまれる。
 「所得倍増」というのは、たしかにあの時代の日本人にいかにもアピールする、大風呂敷であっただろう。この池田の政治的感性がなければ、下村の政策はこれほど大きくは当たらなかったはずである。

 水木は巻末で、いまはエコノミストが山のように登場し、そのかわり自分の発言に責任をとることが少なくなったと嘆く。経済の成長によって国運をかけるという時代ではないのではないか、もう経済の時代は終わったのではないか、と水木は指摘している。
 水木は、下村の晩年の発言を紹介する。

「経済的に高い水準を達成したうえでのことだが、ゼロ成長の日本は江戸時代のような姿になるのがいい。経済の後には文化とか芸術とか教養に力を入れる時代になるべきじゃないのかな」(p.253)
 
 ぼくは、おそらくその答えは、「モノは豊かになったからあとは心の豊かさを」式の能天気なものではなかろうと思う。
 いま日本資本主義は、国民の雇用と社会保障を徹底して破壊し、二極化の構造をつくり出しながら、まだなおも強蓄積を夢見ようとしている。それは、地球環境という、もっと根本的なものも破滅させてしまう。だとすればエコノミストの役割が終わったのではなく、このあくなき利潤追求の本性をおさえて、成長に依存しない経済をつくりだすことがカギとなる。それは、成長を前提とした「豊かさ」とは別の「豊かさ」を生み出さなければならない。
 その意味においてのみ、水木の結論、「それは経済ではなく、政治の問題であり、それ以上に思想が問われている」(p.253)ということになるのである。