チャールズ・カプチャン『アメリカ時代の終わり』


アメリカ時代の終わり〈上〉 アメリカ時代の終わり〈下〉

こちらでも感想を一部いいましたが、ここではノート的に中身を紹介します。


 そもそもカプチャン自身は、「もしもアメリカがフセインを抑えていなかったならば、フセインは今日も権力の座におり、おそらく地域の石油の大半をコントロールしていたであろう。また、もしもアメリカがバルカンに介入していなかったならば、半島は混乱へと陥り、ヨーロッパ南東部は不安定化し、欧州連合の信頼性は決定的に傷つけられていたであろう」ととなえるほどの論者で、アメリカ支配層の外交的イデオローグの一人である(米外交問題評議会上級研究員、ジョージタウン大学教授)。

 カプチャンの主張は、次の4点につきる。
  1. あと10年でアメリカの一国の覇権がおわり、世界はEU、東アジアなどの勃興にともなって、多極構造の時代にうつる。
  2. もともとアメリカの「本質」は、孤立主義と単独行動主義であり、それは海外でのモメごとに自国が巻き込まれるということをおそれ、それを回避するために自分で行動するということのメダルの表裏である。
  3. したがって、ほっておけば、アメリカは自国に「ひきこもり」(正確には単純なひきこもりではなく、他国のことを考えずに行動する)、アメリカが「グランド・ストラテジー」なしに撤退したあとには、無秩序な衝突、すなわち地政学的断層線が登場する。
  4. アメリカが多国間への関与を残しながら、秩序ある撤退をしていくという新たなグランド・ストラテジーを描くべきである。

 いくつか補強すると、F・フクヤマ、ミアシャイマー、P・ケネディ、S・ハンチントン、カプラン、フリードマンの戦略にかんする議論を検討し、カプチャンは全部「正しくない」となで切りする。共通しているのは、どの議論も、アメリカ一国の覇権が続くことを前提としていることである。
 ただし、「グローバリゼーションこそが新たな地政学的断層となる(つまりグローバリゼーションの進展がアメリカの覇権を必要とし、グローバリゼーションの波が世界を洗うその突端が「衝突」の現場になる)」という議論、および、「自由民主主義諸国同士は戦争をしなくなる〜♪」という議論については、軽視できない議論だとして特別に章立てをしてこれに反論をする。

 また、アメリカの「本質」については、ウィルソンとF・ルーズベルトの比較を通じて、これを「証明」しようとする。すなわち、国際連盟をつくろうとしたウィルソンは、まさにアメリカの政治文化がもっている「孤立主義と単独行動主義」によって挫折する。他方で、F・ルーズベルトは、ウィルソンの失敗から学んで、(ア)国内世論固め、(イ)現実主義と理想主義をたくみにブレンドし、実行可能な国際システムにすることを、かなり注意深くおこない、国内で新しい国際機構について説明するさいにも、あまり目的をズバリと言わないなど、とにかく国内世論で無用な紛争をつくりだすことを避けた(ウィルソンはあまりにも明示的にしすぎた、とカプチャンは言う)。
 カプチャンによれば、冷戦期というのは、このF・ルーズベルトの試みが抜群に成功し、かつ「共産主義の脅威」があったために、多国間主義が有効に作用した、アメリカ政治史のなかでも「例外」期にあたり、ソ連崩壊後の10年は「惰性」の時期だった、ということになる。
 つまり、すでにアメリカが多国間主義をとる現実的基盤はなくなっており、ほっておけば、テロやテロとの戦争によって、アメリカはしだいに海外から撤退していくであろう、というのがカプチャンの見方である。

 カプチャンは、多極構造を安定的にまとめあげた歴史上の3つのモデルから、半ば強引に共通する教訓をひきだす。3つの歴史上モデルとは、諸州が分立しあったアメリカを連邦制度にまとめあげたモデル、ナポレオン後のヨーロッパの勢力均衡を実現した「ヨーロッパ協調」(メッテルニヒ体制)、そして独仏の抗争を軸にしてきた欧州をおさえたEUである。
 カプチャンがあげる教訓は3つ。

 第一は戦略的抑制、第二は拘束力ある制度の構築、第三は社会的統合、である。

 最後に、カプチャンは、歴史は生産力の発展段階に相応する、というマルクスばりの議論を展開し、パクス・アメリカーナの終焉は産業資本主義時代と民主共和制の終焉に相応するものであり、デジタル時代の到来が多極化に相応する、と主張している。


 前にものべたが、改憲派のかた(Wさん)からメールをいただき、このかたから、“おまえの議論にはアメリカとどうつきあっていくのかという対案がないぞ”というおしかりをいただいた。

 このかたの議論は、「この先の数十年はアメリカを無視して、日本が繁栄を謳歌することはできないでしょう。/またアメリカの没落から無傷で逃れる道もなさそうです。/となれば、アメリカとの共存共栄の道だけが残された道ではないでしょうか」ということが結論であった。

 このことを、カプチャンの議論を手がかりにして考えてみる。

 まず、世界認識として、世界が多極化にむかっているというカプチャンの認識は、正しいものと考える。アメリカの歴史家や経済史家の議論は、多極化といった場合、だいたい三極を想定しているが、実際にはアメリカ大陸圏でも次々と左翼政権が誕生しているとか、アジアでも北東アジアでの中国の勃興とは別に、東南アジア諸国連合の発展やインドの台頭があり(ただし、多くの論者は東アジアのなかに東南アジアをふくめている)、さらにいっそう多くの極に分かれている(いく)ということがいえる。

 そして、「米ソ対立」ゆえに、EUも世界もアメリカの覇権を認めてきたというカプチャンの認識にもぼくは同意する。
 逆に言えば、アメリカの軍事・経済的優位はつづくものの、ソ連の崩壊とともにかの国の一国覇権主義を単純に認める客観的基盤はうすらいだ、といえる。
 
 「テロとの戦い」は、「共産主義の脅威」の代替物にはならず、ゆえにほっておけば、リベラルな多国間主義にはもどらず、孤立主義と単独行動主義を強化していくという認識にもぼくは同意する。

 そして、大局的には、アメリカはリベラルな多国間主義をとりもどすべきであり、そのためのアメリカの役割や、日本をはじめ世界がそのためにアメリカに働きかけることの意義についても同意する。


 つまり、現在のアメリカの「戦略」(カプチャンによれば無戦略、ないしはまちがった戦略)を前提として、その軍事的同盟国となって海外でともに戦争できる国の変わっていくことは、多極的世界が地政学的断層線をよびおこすというカプチャンの予見にてらせば、危険きわまりないものになると、ぼくは考える。
 すなわち、多国間協調や国際法を無視した形でのアメリカの行動に自身をあわせていくハメになるからだ。それはアメリカのみならず、日本自身が世界から孤立する道をあゆむことになる。

 イラク戦争がいい例で、イラク戦争を支持した国は約200ある世界の国々のうちの50カ国程度にすぎない。そして、イラクに派兵をした国はわずかに36カ国で、次々撤退をし、うち残っているのはわずかに17カ国(2005.4.25現在)しかないというのが現状である。

 現在、在日米軍の再編がすすめられているが、韓国からさえ米軍が削減されていくなかで、日本はアジア・太平洋全体、ひいては地球全体のアメリカの干渉拠点基地化の道をになわされ、さらに、有事法制によって、台湾・朝鮮有事のさいの米軍の「兵站基地」国家化させられようとしている。


 と、ここまで考えてみて、メールをくれたWさんの認識、「この先の数十年はアメリカを無視して、日本が繁栄を謳歌することはできないでしょう。/またアメリカの没落から無傷で逃れる道もなさそうです。/となれば、アメリカとの共存共栄の道だけが残された道ではないでしょうか」――これは果して如何なものだろうかと思った次第。


 日本がなすべきことは、まず多極化世界の一つの極である、東南アジアをもまきこんだ東アジアで、政治的イニシアチブをとって、東アジア全体の平和的安定を達成することである。
 その具体的な道筋について議論していくには、カプチャンの書評ということではやや逸脱がすぎると思うので(すでに一端は反日デモ問題のところでのべたけど)、これは別の機会に議論してみたいと思う。




NHKブックス 全2巻
チャールズ・カプチャン著 坪内淳訳
2005.4.25感想記
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