『フライパン先生がゆく』


 本屋でよく漫画をノベライズしたものが売りに出されていて、ぼくなどは「ああいうものは誰が買うのかなあ」とちょっと不思議な思いで見ていた。

 ところが、死んだはずの司馬遼太郎が、墓場から出てきて、なんとおおひなたごうの漫画「フライパン先生」を小説化するというニュースを聞いた。なるほどこれなら買う。

 幕末の奇跡といわれた風雲児・フライパン先生の生涯を描く歴史ロマンがいま開幕する――
 




「キッチンいかずちの時間である」
 とフライパン先生が、この日のあさ、河原崎超一郎の前に現れ、芝居もどきの神妙さで叫んだものだった。
「今日は新鮮な『ふじょろう』を使った弾力性に富んだ料理を、ここリアス式海岸より紹介したい」
 この夜、天は暗い。
「うそだろう」
 と河原崎はおもった。
 ふじょろうは、当時の京の都では手に入りにくいものであった。
 それが、フライパン先生の前で、篭に山と積まれているのである。これが戦場巧者というものであろう。ふじょろうは、蛇のような細長い身体をしながら絶えず蝸牛の殻のように渦を巻いており、その頭部はフック状になっている。そのため、ジグザグしたところにひっかかりやすい。
「今朝リアス式海岸のジグザグしたところから獲ってきたばかりだ」
 破顔した。
 フライパンを思わせる顔に紅をさし、藩の若侍たちは、それをみて
「あれ見よ、フライパン女の化粧いじりよ」
などと陰口をたたいたものだった。
 奇相である。
 京の志士たちのあいだでは、「フライパン先生」という名でとおっている。
 フライパン先生は、もともと会津の下膨村の小百姓の子で、若いころは『松方弘樹のグルメDEフィッシング!』のレポーターなどをして、日銭を稼いだ。小才がきくところから、料理番組の講師にとりたてられ、多くの志士を獄に送っている。
「リアス式海岸だが」
とフライパン先生は切り出した。
「昔は海の部分も大陸であったらしい」
 河原崎はおどろいた。
 そのような話は、かつて幕臣たちから聞いたことがない。この人物の世界のひろさに、河原崎のなかの素直な正義感の血をさわがせた。
 フライパン先生はつづける。
「それが大陸移動によって、二つに裂けた」
 だから、もうひとつのリアス式海岸がどこかにある、とフライパン先生はいうのである。
 「いったい誰がそんな大陸移動説を……」
 「二十代の頃、わたしのストーカーだった人がしきりにそう唱えていたのだ」
 フライパン先生の夢は、このもう一つのリアス式海岸を見つけて海の家をひらき、そこでふじょろう料理をつくって一生を暮らす、という途方もないものだった。
 河原崎は息をのんだ。その構想のあまりの大きさに度胆をぬかれたのである。
「素敵です」
「であろう」
 不敵に笑うフライパン先生は、話を変えた。
「まあ、たわごとはそこまでにして、新鮮なふじょうろうの見分け方を教えよう」
 その代償として、フライパン先生は金品を要求した。
 河原崎は懐から、札束をとりだした。
「先生の誕生日にプレゼントを買おうと思って貯めておいたお金です」
 これには、ものに動じぬフライパン先生も色を失った。
「拙者に?」
 のち、料理番組の俊英と称されるこの大人物も、このときほど狼狽したことはないだろう。
 たちまち、フライパン先生は大粒の涙をこぼし、男泣きに泣いた。
「すまぬ。誕生日のプレゼントなどもらったことはない。取り乱してしまった。だが、その気持ちだけでいいのだ。札もプレゼントも要らぬ」
 嗚咽しながら、フライパン先生は、その札束に手をのばし、そっと自分の懐に入れた。

 やがて慟哭がおさまると、フライパン先生は、秘中の秘、新鮮なふじょろうの見分け方を河原崎に教えた。
「ふじょろうの腹の部分に線が入っているであろう」
 のちに、河原崎が書き残した『新・ほそうで三畳紀』によれば、このとき、フライパン先生は、
「新鮮なものはこの線が五百本におよぶが、そうでないものは四百八十本にすぎない」
といったという。
 河原崎は即座に、
(わかりにくい)
とかんじた。気配を察したフライパン先生は、
「日本の本塁打数と比較すると八位だ」
とつけ加えた。
 たしかに、ふじょろうの「五百」という数字は、広島の衣笠の五百四、ヤクルトの大杉の四百八十六の間にすぎない。先頭をいく巨人の王貞治の八百六十八という記録と比べても大きな開きがある。二位の西武の野村でさえ六百五十七本、三位のダイエー門田は五百六十七本と、王の記録は比類がない。
「こうして見ると、王選手の偉大さがよくわかる」
 フライパン先生は満足げだった。
「しかし、去年、年間本塁打記録はローズに並ばれましたが」
 この河原崎のひとことが、フライパン先生の逆鱗に触れた。
「たしかに数では並ばれたが!」
 フライパン先生は口角泡をとばし、河原崎の胸ぐらをつかんだ。
 天も裂けよ、地も割れよといわんばかりの剣幕である。
「五十五本打つのに、王選手は四百七十二本のところ、ローズは五百五十打席もかかっているではないか!」
――先生、般若の相貌に相成り、身も世もなく泣きたまいけり。
 河原崎は、このときのことを後日そう記している。
「王とローズじゃ、本塁打率が全然違うのだ! いいか。今度王選手を愚弄したら、二度と純情商店街を歩けぬようにしてやるぞ」
「わかりました」
 河原崎が神妙に答えると、フライパン先生は気をとりなおし、ふじょろう料理へとりかかる。
 フック状の頭部をあらかじめ用意しておいたリングのロープに引っ掛ける。
 リングは、幕末、
「四角いジャングル」
とよばれていた。
 そこには、ひとびとのプロレスにたいする、おそれのような気持ちがうかがえる。京のひとびとは、長い間、リングをそのように崇拝の対象としてきたのだ。
 頭部をロープにひっかけ、フライパン先生はふじょろうの体をのばしはじめた。
 かなりの大力が要る。
 弾性のあるふじょろうをのばしきると、もはやフライパン先生の体には余力は、こればかりも残っていないようであった。
 「早うっ、早うっ」
 フライパン先生は、低く鋭く透る塩辛声をもって、河原崎を叱咤した。このフライパン先生の声は、のちに河原崎家の家士が夜ばなしをするたびに、話題に出、いまだに語りながら慄然とする者が多かった。
 「臆したかっ、河原崎」
 フライパン先生は、おのれが引っぱっているあいだに、のびきったふじょろうの上に、ごはんを乗せよというのである。
 河原崎は焦った。焦りがこころを乱れさせた。河原崎はごはんをよそいながら、もってくる最中に、つまづき、そのごはんを地面にぶちまけてしまった。
 「あっ」
 それをみたフライパン先生は体中から力が抜け、
 「もう駄目だ」
 きゅるきゅると音をたてて、ふじょろうが元にもどり、反動で、その端をつかんでいたフライパン先生が宙天たかく舞い上がった。

 びよーん。

 「フライパン先生ーっ」
 河原崎の呼ぶ声もむなしく、フライパン先生は、青空の彼方にやがて飯粒ほどになって消えていった。

 河原崎は、のち、フライパン先生から書簡を受け取っている。
 この書簡は、昭和五十二年、千葉県の農家の納屋から発見され、長い間謎とされてきた空中飛行後のフライパン先生の行動が明らかになった。書簡の中で、フライパン先生はこう告白している。

「私はどれくらいの間、飛んでいたでしょう。
 やがて地面に叩きつけられ私は気を失っていました。
 目覚めるとそこには、ふじょろうが……。
 偶然辿り着いたその場所は、私の探していたもうひとつのリアス式海岸だったのです。
 超一郎くんからまきあげたお金を基に、
 夢だった海の家を開きました。
 是非一度私のふじょろう料理を食べに来て下さい」

(2巻につづかない。おしまいだ)



 司馬遼太郎の文体は、どちらかといえば乾いていて、できるだけ情緒的な言い回しを排除しようとする。みじかい文と豊富な語彙で客観的かつ散文的に話をすすめていく。
 しかも、話題が自由自在にとび、脈絡というものがない。
 しかし。
 司馬は描こうとする人物について、明確なイメージをもっており、読者は司馬にあちらこちらと引きずり回されながらも、読了するころには、当該人物についてきわめて明瞭な像を結ぶことができる。
 この「脈絡のなさ」というものが、実はおおひなたのコンテクストに非常によく合うのではないかとぼくはおもっている。
 おおひなたごうの根本精神が「異質なものの組み合わせ」と「藤子・赤塚等にたいするパロディ」精神であるとすれば、やはりぼく自身がおおひなたをパロディしなければなるまい。そのような無駄な使命感に駆られて、埒もないことをやってみたものである。


参考:おおひなたごう『遺伝子レベル剣』(イースト・プレス)
メニューへ