『不倫という名の恋をした 2』


 正当化アクセル全開のタイトルだなあ。
 しかし、実は、このタイトルにふさわしいのは、入っている7つの短編(作者がすべてちがう)のうち、高見まこのものしかないといっていい。
 高見まこの短編(「パート・タイム・ダディ」)は、わかりやすい。このわかりやすさは読む者に着実に深い印象を残す。漫画としてはすぐれている。

 リストラされた男が職さがしの雑誌を読んでいたカフェで、そこの若い女主人に見初められてその息子の「ベビーシッター」のパートをやりはじめる。息子は男になつく。そのうちに男と女主人が肉体関係をもってしまうという話。
 男の妻がこの関係に気づいてしまい、男と女主人を別れさせるのであるが、高見は妻にこう言わせる。

「あなたももう男売春みたいな真似はやめてね 娘もむずかしい年頃なんだし 私だって恥ずかしいわ」

 逆上した男は妻に手をあげたあげく、
「相談したら君は何かやってくれたのか!? 事実リストラを知った後だって君は実家に泣きついただけじゃないのかッ!?」
 と、この身勝手な理屈はどうであろうか。男の状態を客観視して娘への教育的配慮も訴えた妻の言い分に何か非があるだろうか? 自分の実家に援助を申し出た妻の行動は怠惰だとでもいうのだろうか? まさに逆ギレとはこのことである。

 あげくに、手を切る約束をした後の男の家庭の「そらぞらしい食卓」が描き出され、「もはや家族間には互いに感謝も尊敬も信頼もルールもない それぞれが生活の安定の為だけにそれぞれの役割の場所にただ座っているのみの毎日だ」と自分の家族たちの「パートタイム」ぶりを内心で苦笑する。そこに突然、女主人の息子から電話がかり、情にほだされた男は「すまない 自分の本当の居場所を見つけてしまった」と置き手紙をして家を出ていってしまう。

 愛情が崩壊していると男が判断すれば、そのもとにどんなことも許されるのだ。男が唱える「愛」という名のイデオロギーとは、かくも厚かましい。なぜ妻が「私絶対離婚しないから」といったのか考えもしなかったのだろうか。

「南向きの明るい家 美人で働き者の妻 かわいいひとり娘 人はこういう生活を幸福というのだろう だが僕は違う幸福をみつけてしまったのかもしれない 0から…いや マイナスからの出発かもしれないが 決してパートタイムではない人生を――」

 こう独白しながら、女主人の家にむかい自転車を漕いで豆粒のようにフェードアウトしていこうとする主人公が描かれたラストをみて、爆笑。ラストのコマのくせにページの10分の1ほどしかなく、男の身勝手の大義のなさをそのまま象徴しているかのような尻すぼみ感は、たいへん気に入りました。

 財産とか見てくれとかそんな見せかけの幸福をすてて、道はけわしくとも真の愛情を選んだ――という正当化の鎧であるが、むちゃくちゃでござりまするがな。だいたい、いまのアンタの家計は、アンタがリストラされて、妻の実家からの援助と、PC入力という不安定な職によって「なんとかしのいでいる」状態なわけでしょうが。しかも自分が浮気して居心地の悪い場所。そういうところをさっさと逃げ出して、女主人=「カフェを成功させ、月30万円もの報酬を払える金持ち」のところへ行こうってことなんでしょ。それがなんで「マイナスからの出発」なの。

 高見はこれをYOU読者への挑発として描いたのでしょうか。わからん。



『セレクトYOU不倫編 不倫という名の恋をした 2』
集英社YOU漫画文庫
2004.9.28感想記
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