小坂俊史・重野なおき『ふたりごと自由帳』



商業的視線から解放された作品


 『ふたりごと自由帳』は、小坂俊史と重野なおきといういずれも70年代中葉に生まれた漫画家の、同人誌時代の作品を収録したものである。
ハルコビヨリ (2) バンブー・コミックス  小坂も重野も4コマ漫画誌で主に活躍している。重野は手にとったことはなく、本屋で表紙をみかける程度である。小坂は『ハルコビヨリ』を読んだことがある。

ハルコビヨリ 3 (3) (バンブー・コミックス)  そういう少ない経験をもとに何かをいうのもアレなのだが、『ハルコビヨリ』はまず2巻をみたとき、表紙の絵柄が大変気に入った。もともとこういう描線がはっきりした絵は、絵としては好きなので、ぼくにたいする誘引剤としての効果を発揮する。そして、2巻の表紙は、たとえば3巻のそれが平凡な二人の描写なのに対して、ちょっとコミカルな「トラブル感」がある。

やさしくしないで! (1) (Bamboo comics) この「トラブル感」というのは、たとえば松山花子の『やさしくしないで!』1巻は、別にそこに何か物語が明示されているのではないのだが、何か面白そうなことが(そして当事者たちにとっては大変なことが)起きているという感じを与える。こういうのが「トラブル感」である。コミカルさの下位の感覚の一つだ。
 しかし、中身はそこそこ面白かったのだが、どうもいまひとつな感じを受けた。同棲生活、しかも男性の方が尻に敷かれる感じという設定自体はぼくの好みではあるが、1冊でもう満足という気持ちになってしまった。おいしけど、単調な味付けのスパゲティ、とかそんな感じだ。

 この『ふたりごと自由帳』は、あとがきに「いつもと違う顔を見せようという事で本業の4コマを離れ笑いを意識しないものを目指した結果がこのしみったれたショート集です」とあるように、商業4コマの視線をかいくぐっていない作品ばかりである。
 しかし、これが結果的にプラスに作用したのではないかと思う。面白い。




小坂俊史の作品について


 まず、小坂の作品であるが、ほとんどがナレーションでコマをすすめていく。たとえばこうである。

  • 1コマ目「2年にわたる同棲を解消し彼女と別れた そろそろ潮時とも思っていたので彼女がいない暮らしもさばさばしたものだったが」
  • 2コマ目「CDラックと本棚だけは一気に淋しくなってしまった」
  • 3コマ目「残ったものはとても聞けたものではなくとても読めたものではない」
  • 4コマ目「2年前の自分がいない事にはけっこう動揺した」

ふたりごと自由帳 (まんがタイムコミックス) 絵がなくてもなんとなく雰囲気は伝わってくるとは思うし、言葉自体にユーモアがあるので、この情景だけでも別れたときの空虚な感情を伝えることができていると思う。しかし、全体がナレーション調の作品のなかの一つとして、小坂の太い描線の絵を入れてみると「淡色のペーソス」のようなものが浮かび上がってくる。
 過剰に感情や雰囲気を搭載するリアルタッチの絵では、湿り気が多すぎる。4コマむきの小坂の絵だからこそ、なんとなくユーモアな感じがただようのだ。

 

 あるいはこういう作品もある。

  • 1コマ目(列車事故で138人が死亡したという大見出しの新聞)
  • 2コマ目(ワイドショーかニュースでそれを騒がしく報道するテレビ)
  • 3コマ目「あの列車に母が乗っていなくて 本当によかったと思った」
  • 4コマ目「静かにしてあげられて本当によかった」

 4コマ目にきているのは「列車が脱輪 1人死亡4人けが」という小さな新聞記事のスクラップである。
 細かく理屈で考えだすと、あまり社会的責任も問われずに逆に淋しいのではないかとかいろいろ出てきてしまうが、こうやって切り取って「さっ」と示されてみると、静かに死を悼む時間があったことの貴重さということについて思いを致してしまう。
 つまり、この漫画から自分の肉親が小さな列車事故で死んだときと、大きな列車事故で死んだときについて、あれこれ想像してしまうのである。
 小坂の2コマ目では、テレビでは「138人の人生を奪った事故を許していいのか!!」という糾弾、「社長以下責任者は138人全員に土下座して謝れ!!」という怒号などが報じられる。たしかにそれは必要な報道かもしれない。しかし、それは「通り一遍の、規格化された言葉」ではないか、という思いがよぎる。もし自分の母がそういう事故で死んだ場合、このようなステロタイプの言葉の洪水によって母の死を受け止められるだろうか、とぼくは想像した。
 ワクの外に想像がこんなふうに広がっていく漫画は、たぶんすばらしい漫画だ。

 「夕立ち」という作品は、「犯人」が名乗り出るまでクラス全員が教室に足止めを食らわされるという「教育的習慣」を利用して、主人公がわざと級友の給食費を隠し、クラスみんなで遅くまで教室に残り、暗くなった外で光る雷雨をうっとりと眺めるという漫画である。
 ぼくも、雨などのために暗くなった外を、明かりのついた教室から眺めるという、なんともいえない淋しい、しかしどこか心が浮き立つような感覚はよくわかる。
 それに「台風」を喜ぶ子どもの心情に似ていて、雷雨の轟音を、電気のついた教室で「観賞」する非日常に心が躍るというのも、こういうふうに明示されてみて自分の感情に輪郭を与えてもらったような気がする。
 さらに、この主人公がすごいのは、その感覚を味わうために、主人公が天気予報までみて雷雨を予測し、そして給食費を隠してのちのちビンタを食らうという危険すぎるリスクまで追う、その蛮勇である。

「空はありえないくらい暗く
 蛍光灯はありえないくらい明るく
 年に数度だけ現れるこの不健康な教室が
 私は大好きだ」

 その「大好きさ」加減をこの非常識きわまる計画によって鋭角に表現してしまうのがとても印象に残った。

 この作品集にはナレーションでなく、セリフを中心に展開しているものもある。
 しかし、少なくともぼくという人間からしてみると、ナレーションでなくなったとたんに、ペーソスとかユーモアという感覚が消えてしまう。ナレーション特有の、ひどく突き放したような客観的視線がその感覚を支えていたのだとわかる。

 これを描いていたのは、小坂が20代のころだろう。20代なのに「エラそう」みたいな感じで受け取る人もいるかもしれないが、その青臭さがまた逆に風味になっている。




重野なおきの作品について


 もう一人の重野の方はどうか。

 一番印象に残ったのは、ラストの「サブリミナル」という連作である。これは将来自分の妻になる女性と、自分が人生のどこで「交差」していたかを数年事に描いた作品である。
 このテーマは、前々からぼく自身が空想したり、ある種の感慨をもっていたりした問題だった。
 ぼくは中学時代に「自分の妻になる人は今頃〜」などと思っていたことがある。アホである。漫画の一場面っぽく相手の顔が「?」もしくはモザイクがかかっていたりしたものだが(笑)。
 それで実際に今のつれあいと一緒になってみて、彼女にそのとき何をしていたかを聞くわけであるが、まさか将来自分と結婚する女性がそのころ、あの県でこんなことをしていたとは! などと別に当たり前の話なのに、妙に遠い気持ちになったりするのである。
 さらに自分に娘が生まれたこともあって、「この子が将来結婚するかもしれない男性は実は3年前に生まれているかもしれない」「ひょっとして東京都東久留米市のコンビニでガムを買っているかもしれない」などと何の根拠もない具体的なことを想像したりするのだ。

 もしその二人が何らかの小さな「接点」を持っていたとしたらどうなるだろう?——かなり都合のいい、そしてありえないような「妄想」であるが、それが作品化されたのがこの「サブリミナル」である。
 そしてラストで彼女が主人公の男性に叫ぶ一言は、またこれ夢のような「妄想」であるが、こう叫ぶからこそ、妄想は作品として完成する。おそらく「出会いの偶然」という契機のなかに、いまだにぼくが「運命」というものを信じているからなのだろう。自分を愛してくれるすばらしい人は、いまこの世界のどこかで生きて自分を待ってくれているのだ、と。ああ、自分の基層部分にラブコメがあるのだ。

 あと、友だちがどんどん「売れて」いくことへの焦燥を描いた作品「君に幸あれ」。
 これはさまざまな漫画家がモチーフにしていて、この題材が出ると、その漫画家なりの変奏が聞けて楽しい。たとえばぼくのサイトでとりあげた作品でいえば鴨居まさね『オぉジョオします』のなかの短編「ぜんぶ糸のせい」はこのテーマをあつかったものだ。鴨居の描き方と比較すると重野のこのテーマの描き方はびっくりするほど直球である。別名、ヒネリがない、ともいう。
 しかし、それでもぼくは、親友の出世、親友が輝いていくのを見ながら、自分が平凡でつまらない労働に埋もれていくコントラストを読むのは、そしてそれを自覚し自己嫌悪に陥っていく主人公を見るのは、一面、自分を見るようで痛々しく、他方で、人ごとのようで「楽しい」感じがした。
 そしてこういう感覚は「直球」だからこそ惹起されたに違いないと思う。鴨居の作品を読んだときのように「作品世界に没入して情緒を揺り動かされる」のではなく、ストレートに自分(ぼく)の話に結びつけてしまうからである。

 繰り返すが、ぼくは小坂の作品も1つしか読んでいないし、重野にいたっては一つも読んでいない。そういうモノをいう資格もないことを承知でモノをいうのだが、たった一つ読んだ小坂の商業作品よりも本作が心に残ったのは、まさにこの作品集が「自由帳」であるがゆえに、商業視線からの解放によってもたらされたのではないかと思うのだ。







芳文社 MANGA TIME COMICS
2007.9.22感想記
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